ジャネット・イエレン 「ポリシー・ミックスの未来の姿を素描する」(2014年11月7日)

●Janet L. Yellen, “Remarks at the Panel Discussion on “Shaping the Future of the Macroeconomic Policy Mix””(Speech at the “Central Banking: The Way Forward?”, International Symposium of the Banque de France, Paris, France, November 07, 2014)


これからこの会場を舞台として活発な議論が交わされることと思われますが、そのような場に参加させていただく機会を用意して下さいましたフランス銀行の関係者の皆様にまずは感謝したいと思います。

このたび世界経済を襲った金融危機はあまりに唐突なものであり、その影響は大変深刻なものでした。そのような火急の事態を前にして各国の政策当局者たちは創造力を発揮して矢継ぎ早に決断を下す必要に迫られました。景気の急下降を食いとどめ、経済に再び活を入れるために、(金融政策ならびに財政政策をそのうちに含む)マクロ経済政策の道具箱の中から幅広い範囲にわたるあれやこれやのツールが引っ張り出されることになったのです。現在のところ経済は回復傾向を見せてはいますが、その足取りは遅々として覚束ない有様です。そのような現状を踏まえると、今後もしばらくの間はマクロ経済政策を通じて景気の下支えを続けていく必要があるでしょう。

今般の世界的な金融危機を前にして金融政策および財政政策の面で一体どのような対応がなされたのでしょうか? 本日の講演ではその軌跡を簡単に振り返ってみたいと思います。話はアメリカだけではなくその他の先進国にも及ぶことになるでしょう。それというのも、今般の金融危機の影響はいずれの国でも似通ったものであり、それに対する政策面での対応も先進各国の間で似通ったかたちをとることになったからです。金融危機の最中に先進各国で採用されたマクロ経済政策の軌跡を振り返った後にそこからいくつかの教訓を引き出し、金融政策と財政政策をどう組み合わせたらよいかという問題(いわゆるポリシー・ミックスの問題)との絡みで今後の課題についても私なりの考えを述べさせていただくことにします。

危機直前の経済情勢

金融危機が勃発する直前の状況を振り返ると、アメリカをはじめとした先進各国のインフレ率は目標の水準近くに落ち着いており、大半の国は潜在的な供給能力をほぼフルに活用し得ているような状況にありました。また、中央銀行が操作する政策金利はいずれの国においても標準的な(取り立てて高くも低くもない)水準の近辺に設定されていました。

金融危機に見舞われる直前の段階においては各国の政府が抱える財政赤字もコントロールの範囲内にあったと言えそうです。OECD(経済協力開発機構)の報告によると、2007年度のアメリカやイギリスの(連邦政府レベルで測った)財政赤字の規模は対GDP比で4%を下回る程度でしたし、日本に関してはその規模(財政赤字の規模)は対GDP比でおよそ2%であり、ユーロ圏全体ではその規模は平均すると対GDP比で1%を下回っていたのです。とは言え、経済が比較的好調だったこの時期に人口の高齢化に伴って発生する長期的な課題(高齢化の進展とともに膨れ上がるであろう年金や医療といった社会保障費の問題)に備えてあらかじめもっと手を打っておくべきだったとは言えるかもしれません。さらには、日本やユーロ圏の一部の国の政府が抱える債務残高はこの時期の段階においても既にかなり高い水準にあり、それ以外の国の政府が抱える債務残高も決して低いとは言えない状況にありました。なお、ユーロ圏の一部では危機に先立つこの期間に健全な財政状況を誇っていた国もあるにはありましたが、その理由の一部は住宅ブームに支えられて歳入(税収)が大きな伸びを見せていたためだったのです。しかし、その住宅ブームも金融危機の到来とともに終焉を迎えることになったのでした。

危機直後の政策対応

このたび世界経済を襲った金融危機はその影響が及んだ範囲とそのショックの大きさのどちらに照らしても例を見ないものでした。金融危機の勃発を受けてアメリカをはじめとした先進各国の中央銀行は即座に政策金利の大幅な引き下げに動き、多くの国では政策金利はほぼゼロ%に近い水準にまで引き下げられることになりました。それだけではありません。各国の中央銀行は「最後の貸し手」としての役割を果たすためにも実に迅速な行動を見せました。金融システムの安定を確保し、家計や企業に対する信用(ローン)の供与を途絶えさせないために、金融システムに対して積極的な流動性の供給を行ったのです。その過程で新たな貸出ファシリティの導入に動いたケースも見られました。こうして異例とも言える創造性溢れる対応が見られたわけですが、そのように事が運んだのは金融政策を担当する当局者たちの間で1930年代の大恐慌(グレート・デプレッション)の教訓がしっかりと汲み取られていたからこそだと言えるでしょう。

金融危機が勃発してからしばらくの間は財政政策も景気を大きく刺激する方向に向かいました。そうなったのは財政制度に組み込まれたビルトイン・スタビライザー(自動安定化装置)が発動した結果でもありました――例えば、失業者の増加に伴って失業保険の給付が増えることになり、所得の減少に伴って税負担が軽減することになりました――が、減税や政府支出の拡大といった手段が行使されたためでもありました。しかしながら、そういった拡張的な財政政策が採用された結果として大半の国では財政赤字の規模が拡大することになり、さらにその上に金融機関を救済するための費用が加わって財政赤字がいや増す格好となった国もありました。こうして財政赤字が急増したおかげで政府債務残高が累増する結果となったのでした。

景気回復の途上における政策対応

政府債務残高の累増に加えて景気の低迷(生産の落ち込み)が長引いたこともあり、大半の先進国では対GDP比で測った政府債務残高が上昇を続ける格好となりました。そのような状況を受けて「このまま政府債務残高が膨らみ続けるようだと金融マーケットに動揺を引き起こしてしまうのではないか」との懸念が徐々に高まりを見せるようになります。その結果、各国の政府は景気の回復が始まったばかりの早い段階で財政刺激策(財政政策を通じた景気の下支え)から手を引き始め、大半の国では財政政策は差し引きすると景気の足を引っ張る要因の一つとなるに至りました。その最たる例はユーロ圏周辺国でしょう。ユーロ圏周辺国では国債の利回りが急騰し、マーケット参加者の間ではユーロ圏周辺国の政府はデフォルト(債務不履行)を宣言するのではないかと強い懸念が抱かれていました。そのような事情もあって、ユーロ圏周辺国の政府にとっては財政刺激策(財政政策を通じた景気の下支え)から手を引く以外に選択肢は残されていませんでした。スペインを例に挙げると、スペイン政府による財政再建の取り組みは2009年以降の同国のGDP成長率を年あたり1~1.5%だけ低下させる効果を持ったというOECDの推計結果があります。財政政策が引き締めの方向に転じたのはマーケットから強い圧力を受けた国だけに限られるわけではなく、それほど強い圧力を受けてはいない国でも同様の政策転換が見られました。例えば、イギリスやアメリカがそうです。両国の政府は過去4年間を通じて財政再建に取り組み続けており、そのおかげで構造的財政赤字は大きく縮小することになりました。しかしながら、それと同時に財政再建に向けた取り組みは結果的に景気回復のペースを鈍らせる逆風として働く格好ともなっています。

財政政策が景気の足を引っ張り、さらには民間部門で進むデレバレッジ(債務の圧縮)に向けた動きが経済全体の消費や投資に下押し圧力をかける。そのような中で景気を下支えする重責を一手に引き受けたのが金融政策でした。政策金利はもう既にゼロ%にまで引き下げられていたこともあって、各国の中央銀行は非伝統的な金融政策に手を付けざるを得ませんでした。具体的には、大規模資産購入プログラムやフォワードガイダンスといった手段に訴えられることになったわけですが、そういった一連の非伝統的な金融政策は内需の回復に貢献し、その結果として同時に世界全体の経済成長を下支えする役割を果たすことにもなったというのが私の見立てです。

そうとは言いながらも、先進各国の大半においては景気回復の足取りは政策当局者の望むところよりも鈍いというのがこれまでの状況です。その理由の一つは金融危機が及ぼしたそもそものショックがかなり大きなものであったことに加えて、その余波がしぶとく逆風として働き続けていることにあると思われます。しかしながら、総需要を下支えする上で財政面からのサポートが欠けていることも過去の景気回復期と比べて現下の景気回復の足取りが鈍い理由の一つとなっていると言えるでしょう [1]原注1;この点について詳しくは次の論文を参照してください。Greg Howard, Robert Martin, and Beth Anne Wilson (2011), “Are Recoveries from Banking and Financial Crises … Continue reading。アメリカを例に挙げると、ここのところの財政政策は過去の景気回復期と比較すると景気を下支えする上でずっと小さな役割しか果たしていません。例えば、2001年の不況から景気が回復の方向に向かう過程では全政府レベルで測っておよそ80万人分の公的な雇用が生み出されましたが、それとは対照的に現下の景気回復の過程においては公的な雇用は削減されることになりました。その削減規模はおよそ65万人分に上ります。

これまでの軌跡から得られる3つの教訓

このたびの金融危機の経験からどのような教訓を引き出すことができるでしょうか? 政府は経済が好調な時期に長期的な課題への取り組みに前もって着手しておくとともに、構造的財政収支の大幅な改善(黒字化)に向けて努力する必要がある。そうしておいてその後景気が悪化に転じた際に財政面からのサポート(財政政策を通じた景気の下支え)が提供できるように十分な余裕をあらかじめ確保しておく必要がある。これが一つ目の教訓です。景気の悪化があまりにも酷く、そのため政策金利をゼロ%に近い水準まで引き下げることを余儀なくされるような状況では、財政政策は通常よりも総需要を刺激する上で大きな効果を持つ可能性があります。というのも、そのような状況(政策金利がゼロ%近辺に張り付いているような状況)では財政政策の実施に伴って通常のように実質金利が高まるようなことはなく、それゆえ民間需要がクラウドアウト(抑制)されることもないと考えられるからです [2]原注2;この点については例えば次の2つの論文を参照してください。Lawrence Christiano, Martin Eichenbaum, and Sergio Rebelo (2011), “When Is the Government Spending … Continue reading

政策金利がゼロ%近辺に張り付いているような状況では財政政策が通常よりも大きな役割を果たすのが適切だと考えられるとしても、財政政策を通じて景気の下支えを図る上では制約が課される場合が時としてあるかもしれない、というのが二つ目の教訓ということになるでしょう。そのような場合に備えて中央銀行は景気を下支えし、インフレ目標を達成できるように(非伝統的な金融政策を含めて)利用できるものならどんな手段でも行使する用意を整えておく必要があると言えるでしょう。

三つ目の教訓は、効果的な金融規制および監督体制を敷くことで金融部門における自己資本の増強と慎重なリスク管理を促し、金融システムの健全性と強靭性を高めていくことがきわめて重要だということです。このたびの金融危機は結果的に世界中の中央銀行の間で「金融システムの安定性確保」という課題に対する関心を高めることになりましたが、そのような動きは方向性として適切なものだと考えられます。近頃ECB(欧州中央銀行)はユーロ圏の銀行を対象にした包括的審査に乗り出しましたが、そのような試みは域内銀行の信頼性を確保する上で重要な一歩を画するものだと言えるでしょう。さらには、ECBはこのたび創設された単一監督メカニズム(SSM)の中軸として新たな責務を引き受けることにもなったわけですが、ECBがその役割を見事に果たされることを私個人としても祈っています。我々Fedもこの間に金融システムの安定性確保に向けて監視体制を大幅に強化し、金融部門におけるシステミック・リスクをできるだけ抑制するために金融規制および監督体制の見直しを図りました。金融システムの安定性確保という課題を引き受けるいわゆるマクロ・プルーデンス政策は経済の健全な発展を促す上で既存の政策手段を側面から支援する重要な役割を将来的に果たしてくれるものと思われます。

今後の課題

先進各国の現状に目をやると、金融政策は極めて緩和的なスタンスを維持している一方で、財政政策は幾分か引き締めの方向を向いているといったポリシー・ミックスのかたちが広く観察できるようです。しかしながら、経済成長や雇用、物価に対して下押し圧力をかける逆風が今もなお吹き続けていることを考えると、そのような現状のポリシー・ミックスは理想的なものとは言えないでしょう。一方では財政の長期的な持続可能性を確保する必要があり、もう一方ではもうしばらくの間(マクロ経済政策を通じて)景気を下支えする必要があります。先進各国の政策当局者たちはこの2つの課題の間でどうバランスをとったらよいかという困難な選択に直面しているのです。

とは言いましても、金融危機の余波がもたらす逆風は次第にその勢いを弱めていくことになるでしょう。私はそう予想しています。将来的に雇用や生産、インフレが正常な状態に戻った暁には、金融政策も正常化に向けて舵を切る必要が出てくるでしょう。ただし、金融政策の正常化に向けてどのタイミングで舵を切ったらよいか、正常化のプロセスはどの程度のテンポで進めていったらよいかといった点に関してはそれぞれの国内の景気回復のペースに応じて国ごとに違ってくることでしょう。また、金融政策の正常化に向けて歩が進められる過程では金融市場の一部で大きな変動がもたらされる可能性があります。しかしながら、これまでにも折に触れて語ってきましたが、国内外双方の金融市場に動揺をもたらしかねない予想外のショックをできるだけ引き起こさないためにも、我々Fedとしましては金融政策の戦略の中身について明確かつ透明性の高いかたちで発信する努力を今後とも続けていくつもりです。最後になりますが、何よりも重要なポイントを指摘しておきたいと思います。金融政策の正常化に向けて舵が切られることには重要な合図の意味が備わっています。金融政策の正常化に向けて舵が切られるということは、経済全般の回復に伴ってこれまで長きにわたって我々を苦しめ続けてきた大不況(グレート・リセッション)の影からやっとのことで抜け出せそうな気配が見えてきたことの証拠でもあり、そのことを示す重要な合図でもあるのです。

References

References
1 原注1;この点について詳しくは次の論文を参照してください。Greg Howard, Robert Martin, and Beth Anne Wilson (2011), “Are Recoveries from Banking and Financial Crises Really So Different?” International Finance Discussion Papers 1037 (Washington: Board of Governors of the Federal Reserve System, November).
2 原注2;この点については例えば次の2つの論文を参照してください。Lawrence Christiano, Martin Eichenbaum, and Sergio Rebelo (2011), “When Is the Government Spending Multiplier Large?Journal of Political Economy, vol. 119 (February), pp. 78-121./ Bradford Delong and Lawrence H. Summers (2012), “Fiscal Policy in a Depressed Economy,” Brookings Papers on Economic Activity, Spring, pp. 233-97.
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