ジョセフ・ヒース「左派の中心的課題は事前分配である」(2014年4月3日)

分配だけに焦点を当てる、あるいはもっと悪いのが、効率性を犠牲にして分配に焦点を当てるのは、とんでもない間違いなのだ。

The central challenge for the left in Canada
Posted by Joseph Heath on April 3, 2014
「カナダにおける左派の中心的課題」

前回のエントリを読んだ人は皆、オンタリオ州におけるNDPの最近の政策(特にNDPが、切迫している集合行為問題の解決よりも、富の再分配を優先していること)に強い賛意を呼び覚ますのに、私が非常に苦労しているのに感づいたに違いない。前回の論題について考えたことで、私は最近読んだサミュエル・ボウルズの『不平等と再分配の新しい経済学』の冒頭の一節を思い出した。

社会主義、急進的民主主義、社会民主主義、その他平等主義運動が勃興を極めてきたが、こういった運動が成功したのは、希少性の問題へと取り組むのを可能としている経済戦略に、分配の公平性要求を組み込むのに成功した場合であった。土地の耕作者への再分配、社会保険、平等主義的賃金政策、中央司令型経済、適切な医療や学校教育を万人に提供すること、これらが魅力的になっていたとしたら、分配の強化による経済的見返りが、経済システム全体のパフォーマンス向上に結びつけられると約束されていた場合であった。

このボウルズの文章は、完全に明晰とではないにしても、中心的主張は非常に重要だ。平等を高めようと試みとした時、既存の社会的生産物を単純に取り上げてから、再分配が可能である、と考えるのは間違えている。なぜなのか? それは大きな社会的軋轢を産み、結局は水泡に帰してしまうからだ。左派が、平等をより大きく促進するのに成功している状況があるとすれば、社会生産物の促進を行いつつ、そこでの利益を(裏側で進行している市場での様式とは相対的な形で)より平等主義的な方法で分配するスキームを提示している場合である。私の考えでは、この最適事例は、社会保障だ。社会保障は、重要な効率性の向上を達成しつつ、より大きな平等を促進することになる。

この観点から、分配だけに焦点を当てる、あるいはもっと悪いのが、効率性を犠牲にして分配に焦点を当てるのは、とんでもない間違いなのだ。以下、少し極端な主張だが、非常に印象的に思える論点を紹介しよう(今度はルバート・ルーカスの引用だ)。

健全な経済を有害に至らせるもののうち、最も魅力的でありながら、私見では最も有害なのが、分配の問題に焦点を合わせることだ。今この瞬間にも、等しく神の恩寵を受けた赤ん坊が、アメリカとインドの家庭で同時に誕生している。この新たに生まれたアメリカの赤ん坊に与えられる資力は、同時に生まれたインドの赤ん坊の約15倍となるだろう。この15倍の格差は、直接的な是正措置によって公正化せねばならない恐るべき悪事であり、なんらかの措置が可能かもしれず、なんらかの措置を取るべきだ、と我々には感じられるだろう。しかしながら、産業革命期から今日までの200年、何億もの人々の生活状態が大幅に改善したが、これらは全て、貧乏人から金持ちへの資源の再分配によって達成されたのではない。現存する生産物を分配する様々な手段を発見することで、貧しい人々の生活を改善できる可能性は、産出を増加させる明らかなる無限の可能性に比べれば、ちっぽけなものでしかない。

ルーカスのこれは、事例を少し誇張しすぎだ。生産を増やしている時に、増やした生産の利益がどのように分配されているのかに関心を寄せるのは、完全に正当である――実際、急を要する場合もある。過去に観察されてきたように、増加した生産物は無所有とならず、生産物は一度でも誰かの手に渡ってしまうと、それを再分配するのは非常に困難となってしまうからだ。なので、「さあ! みんなで経済成長しましょう! 経済成長で生産を増やしてから、再分配について心配しましょう!」との単純提言は不可能事となっている。ルーカスは(右派のやり方で)、そしてボウルズは(左派のやり方で)提起している重要な論点がある。それは、分配にだけ焦点化することや、効率性を犠牲にして分配に焦点化することは、極めて有害ということだ。左派にとっての中心的課題とは、皆を豊かにしつつ、さらなる平等化を促進するような社会の組織化の新しいパターンを考え出すことにある。富裕層に増税を課すだけでは、明らかにこの基準を満たすことはできない。

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