Tyler Cowen”The causes of the Bengal famine” (Marginal Revolution, February 17, 2015)
1943年のベンガル大飢饉は、アマルティア・センをはじめとする人々によって市場の失敗の典型例 [1] … Continue reading として引用されてきた。でもその新たな(そして素晴らしい)著書「死者を食べるというのは誤り‐飢饉の過去と未来に関する小論集(Eating Dead People is Wrong, and Other Essays on Famine, Its Past, and Its Future ※未邦訳)」において、コルマック・オグラダはこのベンガル大飢饉にまるまる一章を割き、そのような見方とは違った印象を与えてくれる。その要旨を示す箇所を引用しよう。
欲望とパニックによって生まれた投機が、主食である米の「人工的な」不足を作り出したという「エンタイトルメント飢饉 [2] … Continue reading 」として、1943~44年の飢饉はパラダイムとなった。この章において私は、前述した意味における投機ではなく、戦争への注力を食料へと向けるための政治的意思の欠如が飢饉の主な原因であったことを述べてきた。
私としては、飢饉が進行した際に価格統制が導入されたこと、貯蔵業者に対するネガティブキャンペーンが行われたことも付け加えたい。
この本の中では、かなり多くの人肉食が起きたとされる1946~47年のモルドバでの飢饉に関する議論もものすごく面白かった。