●Tyler Cowen, “Dubner and Levitt on monkey monies”(Marginal Revolution, June 8, 2005)
サルに「お金」の使い方を教えることはどうやら可能なようだ。ダブナー&レヴィットの『ヤバい経済学』コンビがサルを被験者とする興味深い実験結果を紹介している。
・・・(略)・・・オマキザルたちは「お金」というものを本当に理解してると言えるんだろうか? それともオマキザルたちの食欲が凄すぎてたまたまそう見えちゃってる(「お金」の何たるかを理解しているように見える)だけに過ぎないんだろうか?
どうやら前者が正しいらしいことを示唆するいくつかの事実がある。おやつにキュウリを使った実験でのことだ。キュウリはサイコロ状に切って出す予定だったのだが、リサーチアシスタントを務めた大学院生の一人がキュウリをついいつもの感じで円形にスライスしてしまったのだ。キュウリのスライスを手に取った一匹のオマキザルが一口かじったかと思うと研究者のところまで走ってやってきた。これ(円形に切られたキュウリのスライス)でもっと甘いおやつが「買える」? そう確認しにきたのだ。円形にスライスされたキュウリのかたちが(キース・チェン(研究者の名前)がかつての実験で「お金」として渡した)銀色の円盤とあまりにそっくりだったので「これも『お金』に違いない」と思ってしまったようなのだ。
(オマキザルたちが「お金」の何たるかを理解していることを仄めかす)別の証拠は「盗み」だ。ロウリー・サントス(研究者の名前)はオマキザルたちが「お金」を貯める姿を一度として目にしたことはなかったが、実験の最中に(お金の)円盤を一つか二つ「盗む」ことがあるのには気付いていた。オマキザルは全部で7匹いて750立方フィートくらいの檻(生活用の檻)の中で共同生活しており、その隣に実験の時に使う小さな檻があった。ある時のことだ。一匹のオマキザルがいつものように実験用の檻に入れられたのだが、檻の中に入るやいなやお盆の上にある円盤を一つ残らずかき集めた。何をするかと思ったら他のみんながいるデカい(生活用の)檻目掛けて円盤を残らず放り投げ、空飛ぶ円盤を追って大急ぎで駆け出したのだ。「脱獄」と「銀行強盗」の合わせ技というわけだが、待っていたのはてんやわんやの大騒ぎ。(人間の)研究者たちも急いで生活用の檻に走り寄ったが、食べ物の賄賂と引き換えにやっとのことで円盤を返してもらえたのだった。「盗み」をすれば賄賂をもらえるということでその後「盗み」はさらに加速する一方となった。
生活用の檻の中でてんやわんやの大騒ぎが続いている最中にちょっとした出来事が起こった。オマキザルたちは「お金」の何たるかを理解しているに違いないとチェンが確信するに至った出来事だ。「お金」とそれ以外を分ける一番の特徴はおそらく「代替可能性」(fungibility)だろう。つまりは、「お金」は食べ物だけじゃなくてそれ以外のあらゆるものを買うのにも使えるわけだが、檻の中で大騒ぎが続いている最中にチェンは視界の隅で「お金」のその特徴(代替可能性)をまざまざと知らしめる光景を捉えた。後になって「いや、そんなはずはない」と否定しようとしたものの、チェンも心の奥底ではわかっていた。「あれは現実なのだ」、と。チェンが目撃したもの、それはサルの歴史上でおそらくはじめて観測された「売春」の光景――オスのサルがメスのサルに(お金の)円盤を渡し、その後に男女の営みがおっぱじまった光景――だったのだ(オマキザルたちが「お金」の何たるかを理解しているに違いないことを裏付ける証拠がもう一つある。事が終わった直後のことだ。メスのサルが「稼いだ円盤」を持ってチェンのところまでやってきてぶどうと交換してくれと願い出たのだ)。
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