●Tyler Cowen, “The culture that is Bryan Caplan”(Marginal Revolution, August 21, 2010)
つい最近の論文によると、哲学上の信念は実社会でのパフォーマンスにも重要な影響を及ぼす可能性がある(少なくとも両者の間には相関がある)らしい。
哲学上の信念は、職場での業績に影響を及ぼすだろうか? 本稿で見出された結果によると、「自由意志は存在する」との信念の持ち主は、将来的に仕事で成功を収める可能性を高く見積もる(将来のキャリアについて楽観的な見通しを持つ)傾向にあるだけではなく、実際にも高い業績を残す(仕事ぶりに対する上司の評価が高い)傾向にもあることがわかった。職場での業績と相関を持っている尺度としては、誠実性や統制の所在、プロテスタント的労働倫理尺度等が知られているが、自由意志への信念の強さは、そのいずれの尺度よりも職場での業績の高さと強い相関を持っていることも見出された。
この論文を知ったのは、Vaughn BellがTwitterで紹介していたからだ。いくつかの解釈があり得るだろう。「自由意志は存在する」との信念の持ち主は、仕事で成功する可能性を高めるような何らかの属性(例えば、内的統制型)を併せ持っている [1] … Continue readingというのが一つ目の解釈だ。二つ目の解釈は、自由意志への信念それ自体が仕事で成功する可能性を高める働きをするというものだ。自由意志の存在を信じる人は、自らの一つひとつの選択に責任を持とうと心掛ける傾向にあり、それゆえに仕事で成功する可能性が高まるのかもしれない。
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●Tyler Cowen, “The case for a belief in free will”(Marginal Revolution, April 2, 2016)
今回取り上げる論文は、“Believing there is no free will corrupts intuitive cooperation”(「自由意志の存在に対する疑いは、人の直感的な判断に干渉して非協力的な行為を誘う」)だ。著者は、ジョン・プロッツコ(John Protzko)&ブレット・ウィメット(Brett Ouimette)&ジョナサン・スクーラー(Jonathan Schooler)の三人。論文のアブストラクト(要約)を引用しておこう。
自由意志なるものが本当に存在しているのかどうかはともかくとして、「自由意志は存在する」と信じるかどうかは人の行動に影響を及ぼす。「自由意志は存在する」との信念が脅かされると、非協力的な振る舞いが誘(いざな)われる可能性があるのだ。自由意志の有無に関する信念と現実の行動とをつなぐメカニズムの詳細については、今もなお盛んに議論が続けられている最中である。本稿では、「公共財ゲーム」 [2] … Continue readingに若干の捻り(出資額を決めるまでの制限時間を調節する [3] … Continue reading)を加えて、自由意志の存在への疑念が「思考システム」(熟慮をつかさどる「システム2」)に影響を及ぼすのか、それとも「反射システム」(直感的な判断をつかさどる「システム1」)に影響を及ぼすのかを探る [4]訳注;人間の思考をつかさどる二つのモード(「システム1」と「システム2」)については、例えば次を参照されたい。 … Continue reading。どういう結果が得られたかというと、直感に従って意思決定を下さないといけない [5] 訳注;「公共財ゲーム」の説明を聞いてから10秒以内に出資額を決めないといけない場合ようだと、人々は協力的に振る舞う傾向にあるが [6] 訳注;共同基金に出資される額は、平均すると(0.5ドル中)0.4ドル、「自由意志は存在する」との信念が脅かされる [7] 訳注;実験に参加する被験者に、自由意志の存在を否定する研究結果の概要を事前に説明して聞かせると、直感的な判断が狂わされて(直感レベルでも)利己的に振る舞いがちになる [8] … Continue readingことがわかった。しかしながら、「自由意志は存在する」との信念が脅かされたせいで直感レベルで利己的な判断を下しがちになったとしても、考える時間が与えられるとその傾向も乗り越えられる可能性があるようだ [9] … Continue reading。
「自由意志」にしても「自己責任」にしても形而上学的な観点からすると突っ込みどころがあるとしても、「自由意志」や「自己責任」への信念が実益を伴うためには、その信念が津々浦々で(多くの人々の間で)広く共有される必要があるだろう。「この思想家は、社会で広く共有されている信念に加担しているだろうか? それとも反旗を翻しているだろうか?」 そう問い掛けながら、一人ひとりの思想家の言い分に耳を傾けてみるというのもありだろう。「自己責任」という概念を論敵だけに適用する――論敵を叩く時にだけ、「自己責任」という概念を持ち出す――論者も中にはいることだろう。
情報を寄せてくれた Ben Southwoodに感謝。
References
↑1 | 訳注;「自由意志は存在する」との信念の持ち主は、仕事で成功する可能性を高めるような何らかの属性を併せ持っており、「自由意志は存在する」と信じているがゆえにではなく、その何らかの属性のおかげで仕事で成功する可能性が高くなっている、という意味。 |
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↑2 | 訳注;この論文では、次のような設定になっている。4人一組でグループを作り、各人にはあらかじめ0.5ドルが与えられる。各人は、手元にある0.5ドルの中から、共同基金にいくら出資するかを決める。共同基金に集まったお金は倍に増やされて、4人の間で均等に配分される。出資せずに手元に残しておいた金額と、共同基金から配当される金額を加えたものが各人の儲けということになる。例えば、4人全員が手元の0.5ドルを全額出資すると、共同基金には合計で2ドル集まることになる。そして、その2ドルが倍に増やされて四等分されることになるので、各人の儲けは1ドル(={2ドル×2}÷4)ということになる。さて、利己的な人間は、どれだけの額を出資することになると予想されるだろうか? 答えは「0ドル」。その理由は、0.1ドル出資した場合に共同基金からいくらの配当が返ってくるかを考えてみるといいだろう。0.1ドル出資すると、それが倍に増えて四等分される(={0.1×2}÷4)ので、共同基金からの配当額は0.05ドル。0.1ドル出資して戻ってくるのは0.05ドルなのだから、これほど損な話はない! その一方で、他の誰かが共同基金に0.1ドル出資すると、自分も0.05ドルの配当がもらえることになる。自分はびた一文出さずに他人には出資してもらいたい(他人の努力にただ乗りしたい)という誘惑が存在するわけである。4人全員が同じように考えたとしたら(ただ乗りの誘惑に流されたとしたら)、共同基金にはお金は一切集まらず、各人の儲けは(最初に与えられている)0.5ドルということになる。4人全員が全額出資した場合よりも儲けが少なくなってしまうわけである。 |
↑3 | 訳注;二つのケースに分けられている。「公共財ゲーム」の説明を聞いてから10秒以内に出資額を決めるよう求める(被験者に速断を求める)場合と、最低でも10秒は考えた上で出資額を決めるよう求める(被験者に熟慮を許す)場合である。 |
↑4 | 訳注;人間の思考をつかさどる二つのモード(「システム1」と「システム2」)については、例えば次を参照されたい。 ●友野典男「人はなぜ変われないのか――認知バイアスから逃れられない理由」(カタリスト, 2016年1月8日) |
↑5 | 訳注;「公共財ゲーム」の説明を聞いてから10秒以内に出資額を決めないといけない場合 |
↑6 | 訳注;共同基金に出資される額は、平均すると(0.5ドル中)0.4ドル |
↑7 | 訳注;実験に参加する被験者に、自由意志の存在を否定する研究結果の概要を事前に説明して聞かせる |
↑8 | 訳注;10秒以内に出資額を決めるよう求められると、「自由意志は存在する」との信念が脅かされないままの状態では平均すると0.4ドルが出資される傾向にあるが、「自由意志は存在する」との信念が脅かされると平均して0.28ドルしか出資されなくなる。 |
↑9 | 訳注;最低でも10秒は考えた上で出資額を決めるよう求められると、「自由意志は存在する」との信念が脅かされようがされまいが、出資額にあまり違いは出ない。出資額は、どちらの場合でも平均すると0.34ドル前後。 |