ティモ・ボーパート, ペア・クルーセル 『人はどれくらい働いているのか: 過去・現在・未来』 (2016年5月21日)

Timo Boppart, Per Krusell, “How much we work: The past, the present, and the future” (VOX, 21 May 2016)


オートメイションの隆盛、そしてこちらはより一般的になるが、IT技術が主導する労働市場の構造変化。政策画定者や研究者が 『消えゆく職』 と深刻な雇用の先行きに頭を抱えてきたのも、これら現象の為だった。本稿は、幾つかの国のデータの精査を通して労働供給の長期的展望獲得をめざすものである。生産性向上が続くならその限度で、労働時間はじじつ縮減してゆくと見込まれる。しかしこれは必ずしも忌むべき事ではないだろうし、また職が消えて無くなる訳でも必ずしもない。

未来の人々はどれくらい働いているだろうか? オートメイションの隆盛、そしてこちらはより一般的になるが、IT技術が主導する労働市場の構造変化 – 政策画定者や研究者が『消えゆく職』と深刻な雇用の先行きに頭を抱えてきたのも、これら現象の為だった [原註1]。我々が本稿で主張するのは、生産性向上が続くならその限度で、労働時間はじじつ減少してゆきそうだということである。しかしこれは職が消えて無くなると言う主張ではない。

先ずは過去のデータ幾つか見てゆこう。図1は労働市場における1人あたり労働時間の動きを幾つかの国について歴史的に辿ったものである。

図1. 25ヶ国における1人あたり平均年間市場労働時間

原注: y軸は対数スケール。したがって、直線は経過時間中一定の変化率を示している。出典: Maddison (2001)

確かに年あたり0.5%と穏健な率ではあるが、労働時間が一貫して減少し続けていることが極めて明らかに見て取れる。この動きを説明するものは何か? こういった傾向は19世紀初頭より続く職の漸次的消滅を表しているのだろうか? 否である。その理由はむしろテクノロジー変化が労働生産性を向上させてきたところに見出されねばならない、というのが我々の主張だ。そして人々はこの機運に乗じた – つまりテクノロジー変化の1つの結果として、人々は以前ほど根を詰めては働かないこと、これを選択したのである。構造変化は或る種の職を消滅させるが、また或る種の職を出現させる。労働時間というのは需要だけでなく供給の帰結でもある。したがって労働時間というのは何にも増して我ら経済人 (そして経済女人!) の選好を反映してゆくものだと考えられる。そしてまさにこの理由から、我々が幸運に恵まれ将来も生産性向上が続いてゆくのを目にできるのならば、市場における労働のさらなる縮減というのはそれが予期されるというばかりでなく、喜ばしい事なのである!

この論点に対する我々のアプローチは、殆どのマクロ経済学者と恐らく軌を一にしている。但し、1つの根本的な点で異なっているのだ – 過去30年ほど間に形成されてきた一種のコンセンサス、つまり、労働時間は長い目でみれば定常的 [stationary] であり、したがって生産性に反応しないものだと現在考えられているが、この点に関して我々は見解を異にしているのである。同コンセンサスは戦後の合衆国データにその根をもつ。図2は総労働時間を労働年齢人口で除したもので、この点の例証となっている。

図2. 合衆国の労働年齢人口あたり年間労働時間

原注: Rogerson (2006) と類似した方法および情報源を使用

これらデータは、半世紀以上の長さに亘って、合衆国の労働時間は目で見て取れるアップ・ダウンを経てきたが、全体的なトレンドは全く存在しなかったことを示している。とはいえ、マクロ経済学者も歴史を知らない訳ではない – 例えばCooleyとPrescott (1995) で労働時間の安定性 [stable hours] を主張している箇所では、過去とのコントラストが確かに指摘されている。学部レベルの教科書の殆どには過去の歴史に触れている所が有るし、労働時間が縮減してきていることに言及しつつ孫の世代ともなれば人間の生産性の向上は甚だしいと思われるので一週間にほんの15時間程度しか労働しなくなっているのではないかとの見解を述べたケインズの有名な言葉が引かれることもままある。もちろん定量的に言えばケインズは相当的を外したのだが、定質的には正しかった (この問題に関しては…)。しかし何故かは知らないが、我々はもはや定常時代に突入したのであるとの見方が支配的になっており、あちこちで馬車馬の如く働くマクロ経済学モデルは皆そろって労働時間の長期的一貫性 [long-run constancy of hours] を再現するよう設計されている次第なのだ。となると、これが正しいアプローチ、ということなのか。

ところで我々は最近の研究でその反対を主張している – 我々の考えでは、戦後合衆国のデータは歴史的視点からだけでなく、国際的視点からしても例外的なものなのだ (BoppartとKrusell 2016)。したがって同データを代表的 [representative] だと受け取ってはならないし、これを理論の導きにしてもいけない。だからもっと言えば、労働供給理論の構築の礎とするのも全くよろしくないのである。労働供給理論というのは将来の予測や政策アドバイスを引き出す際の拠り所なのだから。図3aはフランスおよびドイツのデータを例示しており、図3bは一部OECD経済諸国に目を向けたもの。両図とも戦後期をカバーしている。

図3a. フランスおよびドイツの労働時間

図3b. 一部OECD国の労働時間

これらのデータは先ほどまでとはかなり違った事態を描き出している。フランスとドイツの場合、平均すると1年あたり約1%という高い率で労働時間が減少している。範囲を広げたセクション横断データをみると、労働時間は経過時間中に平均して1年あたり約0.45%の率で減少しており、図1の長期的展望と整合的である。0.5%という率では毎年目で見て取れる様な変化が現れてくる訳ではないだろうが、もっと長い期間になればこの減少はハッキリと目に付く様になってくる。

さて、どうすればこのデータの説明がつくだろうか。戦後期を通し、労働生産性はほぼ4倍になっている – 消費と産出量も同上。生産性向上が鍵となる要因なのは確かなようだ、というのは我々はさまざまな国で労働時間と生産性の間に有意な負の相関が存在することも発見しており、したがって時間縦断データと同じパターンがセクション横断データにも見られることを明らかにしているからである。しかしどうして人々は賃金が上昇しているときに労働量を増やそうとしないのだろうか? その答えは既に上で示唆した。スタンダードなミクロ経済学理論は、「賃金上昇時には代替効果が生じ、余暇に費やす時間との比較において、労働に費やす時間を以前より魅力的にする」 と教える。ところが他方に所得効果というのも存在する。所得効果のもとでは、労働時間を変えないかぎり我々は以前より豊かになるわけだが、こうして増した豊かさが今度は 『さらなる余暇の消費』 を – すなわちより少ない労働を – 後押しする1つのファクターとなるのだ。スタンダードなマクロ経済学アプローチは結局のところ、「家計の選好は、所得効果と代替効果がちょうど相殺されるようなものに必ずなる」 と結論してきた – 他に労働時間の安定性をどうして説明できようか、生産性に産出量に消費と、これら全てが一定かつ有意な率で成長を続けているのだから、といった具合だ [原註2]。これと対照をなす我々の主張は単純で、参考にするデータの範囲を広げるなら、実際には必ず所得効果が支配的になる、というものだ。具体的には、所与の社会の豊かさに関わらず安定した形で、代替効果を僅かに上回る程度の所得効果が在れば、全てのデータがキレイに説明できてしまうことを示した。

さてこの事についての我々の解釈はというと、先ず第一に、今後の動向に関して過去のデータからの逸脱を予測すべき理由は全く無い – 生産性が歴史的パターンをなぞった成長を続けるなら、人が働く時間もどんどん短くなってゆくはずだ、というのが在る。これはつまり、50年後には大まかに言って一週間あたり33時間の労働といった具合になるだろうということ (現状は一週間40時間の労働だとして)。もちろん生産性が停滞的になれば労働時間の縮減を期待すべき理由はない。しかし果たして将来訪れるものが長期的停滞なのか、それともその反対なのかというのは、我々が本稿で推察しようという論題ではない。

第二に、合衆国に特有であり、かつ、1950年以来例外的な定常状態にある同国における労働時間を少なくとも定質的観点から上手く説明してくれそうなファクターが幾つか存在すると我々は考えている。一つ目は、労働時間は1980年頃まではそれ以前と同じように縮減を続けていた点。これは図4に示されている通り。

図4. 合衆国における一週間の労働時間 (1990-2005)

出典: RameyとFrancis (2009)

レーガン政権時には相当の租税/所得移転カットが実施された – そしてこれは後になっても撤廃されていない – のだったが、労働時間のリバウンドがみられた時期というのも大まかに言って1980年以降に対応している。二つ目は、戦後期の後半に女性労働者の労働市場参加率が上昇を続けていた点。もっとも現在はこの現象にも減速がみられる。三つ目は、賃金格差が1970年代後半以降劇的に拡大している点で、実際のところ大半の労働者の賃金が停滞しており、労働時間を縮減すべき動因など全くもたらされていない。最後は、同戦後期後半にはベビーブームが主要な 『労働適齢期』 にある労働者を供給し続けていたが、このことに由来する人口学的変化が既に現れている点である。以上を総合的に考慮すると、これらファクターは合衆国における労働時間の安定性を例外であると説明するものである公算が高い、そう我々は考えている。付け加えれば、以上のメカニズムの殆どについては、このさき労働時間に上向きの影響を持ち続けることはなさそうだ。

本歴史データに対する我々の解釈から他に推察されることは何か? そう、低労働時間、そして低雇用は、じつに高所得と手を携えて進むのであり、したがって不調ではなくその反対の好調の兆候なのだということである。それ故、さまざまな歪みが望ましい限度を超えた労働時間縮減を誘発する場合も考えられるとはいえ、労働時間縮減に向かう根本的な力の流れ自体は喜ぶべきものであって、国家横断的であれ時間縦断的であれ、福利厚生の評価を行おうと思うなら考慮に入れる必要が有るのだ。

本時間縦断的・国家横断的データに対する我々の解釈はさらに、所与の国の内部に世帯間で労働時間の格差が在ると予期すべきことを暗示している。特に、自余の事象を一定とすれば、財産や時間あたりの賃金が少ないほど望ましい労働量は増加するものと考えられる。したがって、何れの国においても、所得が低い層ほど多くの労力を労働に充てることになるというのは市場結果として自然なのであり、そういったパターンからのシステマティックな逸脱は様々な非効率を含意するものとなろう。つまり、労働時間の制限を目指す政策や労働市場における一般的な合意は、この不均一性を考慮せねばならないということだ。

とはいえ、「労働生産性の成長はこれまで/いま/恐らくこれからも、全ての労働者について同一だった/である/だろう」 というのが我々の見解だと受け止められては困る。将来テクノロジーがもたらすものが何であれ、それがありとあらゆる 『スキル』 – 人間が習得するものにせよ、機械に組み込まれたものにせよ – に等しく影響を及ぼすということはまずないだろう。一部労働者は相対的な賃金上昇を経験するだろうが、他方で賃金減少をみる者も出て来よう。しかし、広範かつ安定的な生産性上昇がこの先も、経済成長の歴史を長い目でみたときの生産性上昇と似た形を取り続けてくれるのならその限りで、労働時間は安定した率で短縮を続けるはずであり、それは喜ばしい事になるだろうと、我々はここに自信をもって予言する者である!

参考文献

Boppart, T and P Krusell (2016) “Labor supply in the past, present, and future: A balanced-growth perspective”, CEPR Discussion Paper No 11235.

Cooley, T F and E C Prescott (1995) “Economic growth and business cycles”, Frontiers of business cycle research, 39: 64.

The Economist (2014) “The onrushing wave”, 18th January.

King, R G, C I Plosser and S T Rebelo (1988) “Production, growth and business cycles: I. The basic neoclassical model”, Journal of Monetary Economics, 21(2-3): 195–232.

Maddison, A (2001) “The world economy: A millennial perspective”, Volume 1, OECD, Development Centre Studies.

Ramey, V  A and N Francis (2009) “A century of work and leisure”, American Economic Journal: Macroeconomics, 1(2): 189–224.

Rogerson, R (2006) “Understanding differences in hours worked”, Review of Economic Dynamics, 9(3): 365-409.

Endnotes 原註

[1] 包括的調査としては、2014年1月18日のEconomistを参照。

[2] Kingら (1988) でこの現象のモデル化手法が提示されている。

 

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