Cheap taxis and fancy smoothies are out. Big Science is in. 安いタクシーもおしゃれスムージーも飽きた.これからはスゴイ科学の時代だ 2010年代:テクノ悲観論と停滞
2010年代,「いまは技術停滞のまっただ中だ」というのが大方の見方だった.2011年にタイラー・コーエンの『大停滞』が出たり,2016年にロバート・ゴードンの『アメリカ経済:成長の終焉』が出たりした.ピーター・ティールは「空飛ぶ車をのぞんでたのに,手に入れたのは140字だった」と宣言した.デイビッド・グレーバーもこれに同調した.ポール・クルーグマンは,キッチン器具に新しいモノが登場しないのを嘆いた.経済学者のなかには,とにかくアイディアを新規発見しにくくなっているのではないかと問う向きもあった.スタートアップ企業の Juicero が高価な新キッチン器具をひっさげて登場したときには,これこそテック系産業のダメっぷりを示す象徴だといろんな人たちからこき下ろされた.「テック系」(tech) は,だいたいソフトウェア企業の同義語になった.とくに,ソーシャルメディアやギグ経済企業やベンチャーキャピタル企業をそう呼ぶ.多くの人たちは,この手のイノベーションは果たして社会をよくしているんだろうかと疑問視した.
こんなわけで,2010年代はテクノ悲観論が深まった10年間だった.
これはちょっとしっくりこない.全要素生産性で見ると2010年代はそんなにメタメタなわけじゃなかったからだ(経済用語に疎い人に補足すると,全要素生産性 (TFP) とは,経済学者たちのあいだでおおよそテクノロジーの生産力を測るものと考えられてる数値だ).TFP は計測しにくいけれど,アメリカでは2010年から2017年のあいだに 3パーセント上がったようだ.他の各種推計では,民間部門の TFP 成長率はだいたい年率1パーセントになっている.たしかに,2000年代に比べると伸びが遅いけれど,70年代後半や80年代前半の停滞ぶりに比べればそう悪くない.というか,近年とりわけ停滞していたのは2000年代の後半だったように見える.
[2011年を1として合衆国の全要素生産性の推移を表す.グレーの範囲は景気後退期.]
というわけで,2010年代のテクノ悲観論がこうもあちこちに出回っている理由は,ただ経済統計を見るだけではちょっと説明しにくい.もしかすると,過去50年間で2度目に生産性が停滞した時期だったために,停滞が例外ではなくて通例なように思えるのかもしれない.あるいは,もしかすると,19900年代から2000年代序盤の極端なまでのテクノ楽観論から生じた,振り子の揺り戻しみたいなものなのかもしれない.もしかすると,格差や景気後退や政治的な分断やソーシャルメディアの炎上合戦やマヌケなテック系企業創設者たちへのいらだちを間接的に表しているのかもしれない.あるいはひょっとすると,人々はたんに自分がのぞむとおりのテクノロジーを手に入れていないだけかもしれない.ぼくにはわからない.全部当たってるのかもね.
ただ,2020年代には大きな変化が起きそうに思える.科学とテクノロジーに起きているいろんな変化を見ると,技術進歩がふたたび加速する見込みがありそうだ.しかも,それは「もっとスマホアプリが登場するよ,やったね」みたいな変化ではない.
テクノロジー vs.「テック系」ここで,ぜひ,世間が考える「テック系」とテクノロジーがどうちがうのか区別しておきたい.「テック系」「シリコンバレー」「テック産業」と言えば,ソフトウェア産業を意味するか,それに加えてなんであれベンチャーキャピタルに資金提供されたものを意味するか,さらにそういうものに文化的なつながりがあると受け取られる人物(e.g. イーロン・マスク」を意味するかといったところだ.典型的には,ゼネラルエレクトリックやゼネラルモーターズのようなもっと古くからの企業や,バイオテック/製薬企業,政府から資金提供された科学は含まない.
技術進歩の大半はテック系産業からやってくるとアメリカ人が考えていても仕方ないと言えなくもない.1980年いらい,ぼくらの生活をとりわけ大きく変えた製品の多くは――コンピュータ,インターネット,スマートフォン,ソーシャルメディアは―――テック系産業からやってきた.テック系企業のトップ5社(マイクロソフト,アップル,アマゾン,グーグル,フェイスブック)は,いまやアメリカ株式市場のだいたい5分の1を占めている.世間の人たちが〔技術進歩をもたらす人として〕思い浮かべるイメージで言えば,ある程度白衣を着た科学者のイメージからガレージでコンピュータをつくるスティーブ・ジョブズという元型に変わったところがある.
でも,そのテック系産業は,科学とイノベーションの広大な生態系の下流にある.公表される科学の大半は大学からもたらされている.その大学の資金を提供しているのは,政府の研究助成金・学費・企業の共同ベンチャー資金の組み合わせだ.(大企業の研究所は,かつて研究のかなりの割合を占めていたけれど,いまはちがう.ただ,AI でのグーグルの取り組みはその変化を逆転させる動きを代表しているのかもしれない.)
[分野別に見た研究開発への支出(世界のトップ企業1000社)]
たしかに,民間部門はかなりのお金を研究開発に費やしている.でも,ぼくらの知る「テック系」産業は,そうした支出の3分の1ほどを占めるにすぎない.
「テック系」は間違いなくとても重要だ.でも,テック系で全体が語れるわけでないのも確かだ.
それに,大半の製品イノベーションをやったのは大企業であってスタートアップではなかった.近年,経済学者の Daniel Garcia-Macia, Chang-Tai Hsieh & Peter J. Klenow による研究では,創造的破壊生産性向上のうち,創造的破壊ではなく既存製品の改善による部分がどれくらいを占めるのかを推計しようと試みている――Clay Chirstensen がいう「持続的イノベーション」に当たるそうした改善による生産性向上がだいたい75%で,破壊的イノベーションが25%だと彼らは推計している.
さらに,技術進歩の多くは,App Store からアプリをダウンロードしたり Best Buy で電子機器を購入するといったチャンネル以外で実施されている.首尾よく進んだと伝えられる驚嘆すべきCOVID-19 ワクチン開発が示すように,医療制度をとおして影響をもたらすイノベーションは多い.太陽光発電・風力発電の展開は,大半が公益事業会社によってなされるだろうし,電気自動車は大手製造企業からもたらされるだろう.それに,軍もテクノロジーの多くを利用する.ただ,そのことを大規模戦争で思い起こす機会がやってこないことをぼくとしては願ってるけど.
言い換えると,2020年代には,ソフトウェアや電子機器のスタートアップ企業が新しい製品や人々どうしの新しい交流方法をもたらすってかたちを,技術進歩の大半はとらない見込みが大きいってことだ.大手ソフトウェア企業は大企業なまま,スタートアップはスタートアップのままにとどまり,ベンチャーキャピタルは相変わらず設け続けるだろうけれど,おそらく,趨勢を変えるイノベーションという領域では,「ビッグサイエンス」が優位になってくるだろうとぼくは踏んでる.
そして,それはいいことだ.個人的な話をすれば,IT革命は世界にあれこれのすばらしいことをしてくれたと思う――IT 革命のおかげで旧友とつながりを保てるようになったし,離婚した後にもかんたんに交際できるし,世界中の人たちと会えるようにもなった.それに,IT革命が生み出したいろんな社会運動は,いろんなラジオや印刷出版の到来に似た水準ですでに社会を変えている.IT 時代に産み出された進歩と社会の変化は,生産性の数字でとらえられるものよりもずっと大きいと思う.でも,この話に賛成でないとしても,まだ悲観しなくていい.2020年代の技術進歩はいまある「テック系」に集中するとはかぎらない.
新たな鉱脈科学とテクノロジーは鉱石がねむる鉱脈を掘るようなものだとぼくは思ってる.ときに,うまく掘り当てて大もうけすることもある.DNA の構造を発見するような理論的発見があると,まったく新しい知識分野が切り開かれる.トランジスタのような鍵となる発明があれば,そこからありとあらゆる発明が可能になったりする.時が経つにつれて,そうした鉱脈はどんどん掘り尽くされていき,さらに鉱石を掘り出すのに必要な労力は増えていく.でも,そういう古い鉱脈は,新しい鉱脈につながる筋道を見出す助けになる.科学は線形に進歩しない.科学は,枝分かれしながら広がっていくものだ.
じゃあ,次の10年間に急速に伸びていきそうなのは,どんな分枝だろう? 確信をもって答えるのは難しいけれど,いくらか推測はできる.Caleb Watney がいい感じの新しい記事を書いて,推測を語っている.彼がもっぱら関心を向けているのは,ワクチン・太陽光発電と蓄電池・人工食肉・AI・自動運転車・核融合・VR だ.
個人的には,自動運転車や核融合や VR がこの10年で世界を席巻するか懐疑的で,こういうのはもうちょっと先のことなんだろうと思ってる.この推量が外れてくれればそれはそれでありがたい.
ただ,ワクチン技術が飛躍的に進歩したのは疑いようがない.COVID の危機に後押しされて,mRNA ワクチンはうまくいくかどうか定かでないツールから証明済みのものに変わった.きっと,これによって,あらゆる種類の新ワクチン開発が加速するだろう.ガン用ワクチンもそれに含まれうる.いまのフレーズをぜひ読み返してちょっと考え直してほしい:「ガン用ワクチン」
近年ふるわなくなっている新薬発見率に,AI も大きな影響をもたらしうる.グーグルの DeepMind が「タンパク質の折りたたみを解決した」と言ったら誇張だけれど,グーグルの機械学習技術によってこの分野の急速な発展が可能になったのは否定できない.
また,自動運転車が遅々として実現できずにいたとしても,間違いなく機械学習は他のいろんな分野を確信するだろう.どの分野に革新が起きるかは予測しがたい.たとえば,自律的ドローン集団によって戦争に革新が起こるかもしれない.ディープフェイクが伝統的な映画制作にとってかわるかもしれない.アルゴリズムが新聞・雑誌の論説を書けるようにすらなるかもしれない.それに,数多くの研究分野が機械学習の導入で変わりうる.
もちろん,人工食肉も世界を変えるだろう.ものすごく広大な土地が,家畜用の牧草地から他の用途に使えるようになるだろう.
それに,言うまでもなく最大の革新が起きるのはグリーンエネルギーと蓄電だろう.先日の投稿でも触れたように,太陽光発電・風力発電の価格はこの10年で大きく下がった.この下がり具合は,申し分なく革新的だ.でも,それより蓄電の方がいっそう大きな革新になりうる.利用が増えるにつれて急速に値段が下がっているのは,リチウムイオンバッテリーだけじゃない――ありとあらゆるテクノロジーも同様だ.
気候変動を食い止めて文明を持続可能にするのに,これは大いに役立つだろう.突き詰めて言えば,それ自体が計測しようがない生産性向上となる.しかも,それに加えて,太陽光発電と蓄電が安価になれば,これまで数十年にわたってご無沙汰だったものが復活することだろう――つまり,より安価なエネルギーだ.
石油価格が下がらなくなり,原子力発電も思ったように発展しなくなってからというもの,人類は化石燃料の旧式技術でやりくりするしかなかった.その化石燃料はいつか枯渇するのが確実で,しかも気候変動を促進してしまう.この現状は,人類にとってとてもよくない.安価なエネルギーの終わりは,おそらく1970年代におきた最初の生産性停滞の原因になっていただろうし,『宇宙家族ジェットソン』みたいな SF 風の未来が一向に実現しなかった理由でもあったろう.
でも,60年代いらいはじめて,テクノロジーによってエネルギーが安くなりそうだ.これは生産性を急激に高め,しかも普通の労働者達が直接に便益を手にしやすくする可能性を秘めている(エネルギーは人間の知性を大いに補うので).それに,予測しがたい無数の他のイノベーションを産み出すことも確実だ――夏に連邦捜査官たちが用いた催涙ガスを撃退するのにポートランドの抗議集団が電動リーフブロワーを使ったような,そういう意外なイノベーションが産み出されるだろう.
さらに,自分の身に手を加えられるようにするテクノロジーもある――とくに,CRIPSr だ.最初の CRIPSr によるヒト遺伝子編集は,ものすごいスキャンダルを引き起こしたけれど,もっと穏当な試みもそう遠からず表に出てくるだろう.
次の10年に大きく花開く可能性を秘めた分野は他にもたくさんある――合成生物学,積層造形,脳-コンピュータ・インタフェイス,生物化学工学,ドローン戦争,再生医療,などなど.それに,ぼくがよく知らない分野だって,大きな可能性を秘めている.たとえば,単細胞生物学とか.
こうしたものの大半は,ラボでの研究や医療制度や軍やソフトウェア産業以外の企業によるイノベーションに依存している点に留意しよう(AI は大きな例外だ).これらが本当に「すごい」と興奮するほどに進歩を遂げる分野だとしたら,それはつまり,2020年代の技術進歩は「テック系」を大きく超えるものになるということだ.
…そして,お次は宇宙だ.
あらたなスプートニク読者は気にとめていなかったかもしれないけれど,中国はちょうど無人ロボット宇宙船を月に着陸させたところだ.ヒトを月面に届けるのもそう遠くない話だろうし,月面基地も現実味がある.中国のこうした動きに刺激を受けて,インド・日本・ヨーロッパ・アメリカでも独自の月面ミッションを計画している.一方,アメリカには「スターシップ」という巨大ロケットがある.こいつは短距離を行き来できて,しかも,もしかすると月や火星まで飛べるかもしれない.さらに,ここ地球軌道では,アメリカ・中国・ロシアのあいだで宇宙を軍事的に掌握する戦いが進行している.
宇宙開発競争の復活だ.
さて,軍事競争なんて物騒な話ではある.でも,大国どうしが再び競り合わざるをえないとすれば――現時点で,これはほぼ不可避に思える―――少なくとも,新たな宇宙開発競争がもたらされるはずだ.
技術進歩にはお金がかかる.しかも,時が経つにつれてますますお金がかかるようになる.進歩の泉から水を湧き出させ続けるために必要な大金を議会に出させるのはすごく難しくなりうる.60年代以降,GDP 比で連邦政府の研究助成は減り続けている:
でも,60年代にものすごい増加があったのに留意しよう.その相当部分は,第一次宇宙開発競争だった.アポロ計画はとてつもなく高くついた.でも,ソ連とアメリカという大国どうしが宇宙の掌握をめぐって競争するというだけで,議会にそのためのお金を決済させるのに十分だった.
宇宙開発競争は技術開発を前進させて,〔宇宙食から民生用に広まった〕フリーズドライ食品なんかをはるかに超えるものをもたらした.でも,ここにはそれよりもっと重要な原則がある.大国どうしの競争は,近視眼的で視野の狭い政治階級に圧力をかけて適切な水準での研究に資金提供させるのに使えるんだ.
アメリカが中国と繰り広げる競争は,たんに月面基地や宇宙兵器をめぐるものにはとどまらないだろう.ものすごく多岐にわたる技術でお互いに張り合うことになるはずだ.エネルギー,AI,ドローン,ワクチン,そして民生用・商業用に波及するありとあらゆる分野も,熾烈な米中競争の焦点になるだろう.すでに,「終わりなきフロンティア」法案を通す理由に中国との競争が持ち出されている.この法案は,連邦政府の研究助成を拡大するものとして大いに必要とされている.
というわけで,技術進歩を駆動するために国際競争が必要なければ結構なことではあるものの,少なくとも,国際競争は次の10年でイノベーションと研究について楽観的になる理由をもうひとつ加えてくれる.
結びに前へ,そして高みへ! 科学だ,もっと科学をよこせ! なにもかも発見しつくせ! 2010年代は背後に置き去りにして,2020年代をテクノ楽観主義の10年にしてやろう.