●Noah Smith, “Hard money and the gerontocracy”(Noahpinion, October 03, 2012)
ことインフレーションの話になると経済学者と世人との間には大きな隔たりがある。インフレは効率性や経済成長にどのような効果を及ぼすか? [1] 訳注;言い換えると、インフレは「パイ全体の大きさ」にどのような効果を及ぼすか?、ということ。 経済学者は概してそういう側面に注意を向ける傾向にある。「金融緩和は生産量(GDP)の拡大を後押しできるだろうか?」とかいった話だ。一方で、世間の大半の人々はそういう話には見向きもせずに、「インフレだって? 実質賃金が下がっちゃう」とかいう間違いに陥りがちだ(「インフレ」と「実質賃金の低下」とを同一視するというのは馬鹿げているが、世間の99%の人はついそういう間違いをやっちゃうようだ)。その代わり、世間の多くの人々は「インフレの再分配効果」に気を揉みがちなようだ [2] 訳注;「インフレの再分配効果」というのは言い換えるとインフレが「パイの分け方」に及ぼす効果のことを指している。。インフレの再分配効果はもちろん実在するし、その効果はかなり大きい可能性を秘めているが、経済学者にはよく無視されがちでもある。
インフレで損するのって誰なんだろうか? その答えは「(純)債権者」(保有する資産(債権)残高が債務残高を上回っている純債権者)だ。株式はそれほど持ってないけど、物価連動型ではない通常の債券はたくさん保有している。加えて、賃金が毎年の収入源に占める割合が小さい。インフレで損するのは特にそういう「債権者」だ。それって具体的にはどういう層だろうか? その答えは高齢者だ。
あなたが年配の人物だとしたら「債券はたくさん持つけど株式はあまり持たない」というのは(資産運用の仕方として)賢明な選択だ。株式は債券よりもリスクが大きいし、高齢者は大きなリスクを引き受けるだけの余裕がないからだ(このあたりの事情を資産運用戦略の核に据えているのがいわゆる「ライフサイクル投資戦略(資産運用のライフサイクルモデル)」(”life-cycle investing“)だ)。(高齢者は債券をたくさん持ちがちという点に加えて)さらには、高齢者は蓄えがたくさんあって毎年の収入の多くは資産運用を通じて生み出される。賃金は収入源として大したことない。そんなわけで高齢者は予想外のインフレで損を被る傾向にある一方で、若者は概して(予想外のインフレで)得する傾向にあることになる。
ジェームズ・ブラード(James Bullard)&カルロス・ガリガ(Carlos Garriga)&クリストファー・ウォーラー(Christopher Waller)の三人(セントルイス連銀トリオ)の手になるこちらの論文(pdf)ではまさにそのあたりの事情(インフレに備わる世代間にわたる再分配効果)が基本的なアイデアとしてモデルの中に取り込まれている。政府は国民のために奉仕しようとする(国民の歓心を買おうと試みる)が、社会保障をはじめとした公的な所得移転の仕組み(を通じた再分配)は利用できない。その代わり、政府は全人口の中で最も政治力のある世代を満足させるためにインフレやデフレを頼りにすることはできる。件の三人はそのような特徴を取り込んだ数理モデル(世代重複(OLG)モデルの変種)を組み立てているわけだが、全人口に占める高齢者の割合に応じて社会厚生を最大化するインフレ率は変わってくるとの結果が得られている。全人口に占める高齢者の割合が高くなると社会厚生の最大化はデフレ(マイナスのインフレ率)を通じて成し遂げられる一方で、ベビーブームが巻き起こるようだと(全人口に占める若者の割合が高くなると)社会厚生の最大化はインフレ(プラスのインフレ率)を通じて成し遂げられるというのだ。
なるほど。それでその数理モデルとやらは現実とどういうつながりがあるんでしょう? そういう声が聞こえてきそうだ。現実には社会保障制度だとかといった公的な所得移転の仕組みに頼ることができる。だから若者世代と老人世代との間での再分配を図ろうというのであればインフレやデフレなんかに頼る必要はない。その通り。しかしながら、異なる世代がそれぞれ政治的な働きかけを通じて金融政策を自らに有利な方向に誘導しようと試みるという可能性も現実にはあり得る話だ。ブラード率いるセントルイス連銀トリオの話を聞くとしよう。
再分配政策に対する老人世代の影響力が強いほど、経済(の定常状態)における・・・(略)・・・インフレ率は低くなる(場合によってはマイナスの値にまで落ち込む)。それとは対照的に、再分配政策に対する若者世代の影響力が強いほど、・・・(略)・・・賃金は比較的高水準に落ち着き、インフレ率も比較的高めのプラスの値にとどまることにある。
・・・(中略)・・・
再分配政策に関する社会的な意思決定は政治プロセスを通じて下されるが、本論文ではその代理となり得るような数理モデルを組み立てて分析を行った。
・・・(中略)・・・
同じ目的(世代間での再分配)を達成するために社会が利用できる政策は他にもある。それゆえ、本論文での分析を通じて得られた発見は歪みを伴う既存の税制を所与とした上でどういうことが言えるかを検討したものと解釈できよう。
先進諸国におけるインフレの大まかな変遷を辿るとそれぞれの国の年齢構成の変化をなぞるような動きを示しているように見える。ブラード率いるセントルイス連銀トリオはそうも主張している。試しにアメリカと日本のケースをご覧いただきたい [3] … Continue reading。
両者の間には相関がある。どうもそのように見える。
ブラード率いるセントルイス連銀トリオの言う通りの事態が現在進行中なのだとすれば、高齢者たちはFedに対していくらかの支配力を有しているという話にならねばならないだろう。専門家が集う独立性が高くて政治的に中立な組織、それがFed。世間的にはそういう見方が一般的だろう。下の世代を犠牲にして自分たちだけいい思いをしようと企む高齢者たち。Fedはそんな彼らの利己的な欲望にひれ伏すような組織じゃない。そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない。誰が真相を知ってるだろう? 高齢者たちは伝説的なまでの強力な政治力を備えていてその力はFed議長の脳内にまで及ぶかもしれないじゃないか!
仮にそんな具合になっているのだとすれば、高齢化が進む国ではそうじゃない国よりも不景気をやっつけるのがずっと難しいということを意味することになるだろう。インフレを低く抑えて再分配のうまみにあずかろうという高齢者たちの欲望が「Fedは経済の成長を促すべく努力すべきだ」という声を凌駕するようであれば、現状の停滞からなかなか抜け出せないままになってしまうことだろう。ハードマネー [4] 訳注;引締め気味の金融政策、という意味。がアメリカよりもずっとカルト的な人気を得ている国、十年単位でデフレの周囲をウロウロする状況から抜け出せないでいる国、日本。そんな日本だけの問題じゃないのだ。
どうしてFedは景気を刺激するためにもっと手を打とうとしないんだろうか? そう不思議に思って自分なりに答えを探そうとしたけれど結局これはという答えは見つからず。そんなお手上げ状態に追いやられでもしたらブラード率いるセントルイス連銀トリオの論文のことを是非とも思い出してもらいたいところだ。・・・じいちゃんばあちゃん世代が犯人かもしれないのだ!
References
金融政策への影響力より財政赤字を許さない方針も大きいと思うがな