ピーター・テミン「経済史と経済開発」

Peter Temin “The Black Death and industrialisation: Lessons for today’s South” (VOX, 4 June 2014)

経済史と開発との相互作用を高めることは、その両方の分野において有益となる可能性がある。本稿では、経済史における最近の知見が、どのように開発と関係してくるかを示す。黒死病は農業技術の改善、女性の地位の変化、賃金の上昇をもたらした。そうした展開は産業革命につながったが、技術の急成長は低所得国においては採算の合うものではない。こうした発見は、開発における根本的な問題は賃金を低く抑える人口パターンであるという可能性を示唆している。


経済史と経済開発は、両分野ともに本質的には経済発展の研究であるがために、その相互作用を高めることは双方にとって有益となるだろう。両者の違いは、経済史が高賃金国に焦点を当てているのに対し、経済開発が低賃金国に焦点を当てているということだ。経済史における最近の研究は、現代技術は賃金が高いときに最も有利となることを明らかにしており、これは開発を成功裏に納めるための根本的な問題は賃金を低く抑える人口パターンであるという可能性を示している。

第二次世界大戦以降の経済学における革命と足並みをそろえる形で、過去世代において新しい経済史が生まれた。過去を研究するにあたっての現代経済学と計量経済学の使用は、経済史と経済開発の双方にとって興味深いものとなる可能性を秘めた多くの知見をもたらしてきており、それは例えばRobert AllenやJoachim Voth、そして彼らの研究仲間によっても示されている(Allen 2013, Voigtländer and Voth 2013, Temin 2014)。

黒死病の影響によって誘発されたヨーロッパ型結婚パターンを用いることにより、Vothは西ヨーロッパが14世紀に高賃金国となったことを示した。アレンは高賃金と動力コストの低さが18世紀における産業革命を生み出したと主張しており [1]訳注;黒死病で人口が減って賃金が上がったことにより、エネルギーコストや資本コストは相対的に下がった。なお、上ではAllen … Continue reading 、これは部分的には黒死病とヨーロッパ型結婚パターンが原因であるとしている。Allenは工業化技術はこうした要素価格に適したものであって低賃金経済においては採算が合わないことを示した。こうした知見を経済開発へ適用すると、人口は過去そうであったように現在においても運命に影響を与え、経済史からの教訓は現在の政策決定に対して情報をもたらす可能性があることが示唆される。

農業技術の変化の役割

より詳細には、Voigtländer and Voth (2013)は黒死病後の労働者不足が農業技術の変化をもたらしたと主張している。賃金と資本調達の等生産性曲線に沿い、農家は作物の栽培から動物の世話、すなわち耕作から畜産へと変化したのである。言い換えれば、平滑な生産可能性曲線が基盤技術の離散的な変化をもたらしたのだ [2] … Continue reading 。トマス・モアがこれを次のように非常に色鮮やかに表現している。「とても従順で飼い慣らされており、とても小食であったあなたがたの羊たちは、私が伝え聞くところによれば、いまやとても大食らいかつ野放図であり、人間それ自身をさえ食らい尽くすほどになった。羊たちはすべての農地、家、都市を消費し、破壊し、食らいつくしてしまうのだ。 [3]訳注;いわゆる「囲い込み」を批判している。

この農業技術の適応は、中世ヨーロッパにおける女性の役割を変化させた。作物から畜産への切り替えは、鋤を引く力への需要を減少させるとともに、女性が可能な仕事の範囲を拡大した。その結果は社会における女性の地位のへんかであり、これは経済史家がこれ以外の時期・場所でも観察しているものだ。耕作の減少は男性の労働への需要を減少させ、女性の労働への需要を増大させた。女性の賃金は上昇するとともに、働く機会も拡大した。彼女らは結婚を遅らせ、就労し、より独立した存在となったのである。そしてこれがヨーロッパ型結婚パターン [4] … Continue reading やHajnal (1965)がいうところの家族パターンをもたらした。これは女性の晩婚化、新婚夫婦の別世帯化、後にスピンター [5]訳注;spinterは未婚女性(行き遅れといった軽蔑的な意味を伴ったりもする)を意味するが、元来は糸紡ぎをする女性を意味した。 と呼ばれることになる独身女性の割合の上昇といった、社会構造の特異な変化だったのである。

賃金変化の影響

黒死病がもたらした賃金の上昇は、女性の結婚年齢を上昇という結婚パターンの変化を持続させ、人口増加の速度を低下させた。最初のショックに対する適応が人々の所得の持続的な上昇を引き起こしたのだ。これはひいては食生活においてより多くの肉類への需要を引き起こし、それは当然ながら畜産の増加によって賄われた。全てのパターンが黒死病、すなわち家計と経済をひとつの人口均衡から別の均衡へと動かしたショックとかみ合っていたのである。

上記の研究は、産業革命における初期のイノベーションは、高価な労働のコストを減少させ安価な動力から利益を得ようとする生産者の試行錯誤から生まれたというアレンの議論とも整合的だ。西ヨーロッパでは一般的に賃金が高かったという認識に答える形で、Allen (2009)はフランスやオランダではこうした初期のイノベーションからの少ない利得は採算が合わなかったということを綿密に示している。

またAllen (2013)では、北米における賃金とエネルギー価格はイギリスのパターンと近く、関税、教育、インフラ投資といった政策によって工業化に適した条件を作り上げるためには十分であったことが述べられている。このことは、工業生産性が初期水準から向上した後にイギリスのパターンを後追いした西ヨーロッパの国々でも全く同様であった。これらの国々における要素価格は、産業革命における初期のイノベーションが採算に合うようなものではなかったが、そうしたイノベーションの更なる発展によって要素価格がイギリスにおけるそれと近ければ採算が合うようになった。そしてAllenが指摘するように、政策の変化も工業化が広まるにつ入れてそれを後押しした。

しかしこれはVoigtländer and Vothが述べるところの高賃金圏に限った話だ。彼らによればヨーロッパ型結婚パターンはサンクトペテルブルクとトリエステを結んだ線の西側だけで広がっていた。それ以外のアジアやアフリカの国々は低賃金経済であるためにマルサス的な賃金圧力の下にあり、これらの国における要素価格はイギリスのそれと近しくなかった。インドやエジプトにおける経済政策のわずかな変化は、工業化を採算が合うようなものにするには十分ではなかった。このような黒死病と産業革命を結びつける筋立ては、したがってなぜヨーロッパが過去2世紀のうちに工業化したのかを示す物なのだ。

さらにこれは、なぜ他の大陸においては経済発展の進展が難しいのかを説明するのにも役立つ。現代技術は、高賃金と安価な動力を背景に産業革命のイノベーションを拡大してきた。しかしながらこうした要素価格は、アフリカやアジアの多くの地域においては一般的なものではなく、世界の他の高賃金地域とは違いそうしたところでは現代技術は採算が合うものではない。低賃金諸国は、今の関税の低い世界において現代的な生産を維持しようと悪戦苦闘している。今も昔もしばしば繊維産業は端緒となるが、それ以外の類の生産へとつなげるのは依然として難しい。

終わりに

本稿で示した推論は、人口へ注意を払うことが経済発展の大部分を占めていることを示唆している。ペストの無い場合において賃金を上昇させる最も良い方法は、ヨーロッパ型結婚パターンへと近づけるために途上国における女性の役割を変えて出生率を下げることだ。もちろんながらこれは、アジアのタリバンやアフリカのボコ・ハラムのような、イスラム過激派が女性の教育や雇用に反対している地域では非常に難しい。経済開発における問題の多くは宗教や政治なのかもしれない。

参考文献

●Allen, Robert C (2009), The British Industrial Revolution in Global Perspective, Cambridge: Cambridge University Press.
●Allen, Robert C (2013), “American Exceptionalism as a Problem in Global History,” Journal of Economic History, 71 , 901-27.
●Hajnal, John (1965), “European Marriage Patterns in Perspective,” in David V. Glass and David E. C. Eversley (eds.), Population in History (London: Edward Arnold).
●Temin, Peter (2014), “Economic History and Economic Development: New Economic History in Retrospect and Prospect,” NBER Working Paper 20107 (May).
●Voigtländer Nico, and Hans-Joachim Voth (2013), “How the West ‘Invented’ Fertility Restriction,” The American Economic Review, 103, 2227-64.

References

References
1 訳注;黒死病で人口が減って賃金が上がったことにより、エネルギーコストや資本コストは相対的に下がった。なお、上ではAllen 2013が参照されているが、ここのところの主張がなされているのはAllen 2009である。
2 訳注;労働力が高くなったので、相対的に安い資本を集約的に使う畜産へと向かう動きがある時点(黒死病後)でひょいっと現れた、といったような意味。
3 訳注;いわゆる「囲い込み」を批判している。
4 訳注;ハイナル線(サンクトペテルブルク~トリエステを結ぶ線)以西で見られた晩婚化・非婚化傾向。これが資本蓄積を可能としたという議論があるが、ここではその遠因には黒死病による人口減少があるということを述べている。
5 訳注;spinterは未婚女性(行き遅れといった軽蔑的な意味を伴ったりもする)を意味するが、元来は糸紡ぎをする女性を意味した。
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