●Frances Woolley, “Copyright laws and the evolutionary theory of property rights”(Worthwhile Canadian Initiative, June 04, 2010)
巣を作れば、生き延びる助けになる。しかし、巣の奪い合いが起こると、被害が生じる。もしも「他人の巣を奪うなかれ」というルールが立ち現れることになれば(そして、誰もがそのルールを自発的に守るようであれば)、(安心して巣作りに臨めるようになるために)巣作りが盛んになるし、(巣の奪い合いが防がれるために)流血騒ぎも減ることになる(現に、多くの動物の間で「他人の巣を奪うなかれ」というルールが守られている)。このアイデアを1970年代にはじめて口にしたのはジョン・メイナード=スミスだが、つい最近になってハーバート・ギンタスをはじめとした一連の経済学者の間で再度注目を集め出している。私的所有権の進化を説明する(pdf)ために使えるというのだ。
私たちが私的所有権を尊重するのは、他人のものを奪うのは間違っている(し、そんなことをすると我が身を危険にさらすおそれがある)と本能的に感じる(脳の中の原始的な部位がそう伝える)せいなのだとすると、著作物のダウンロードを禁じる法律はなかなか守られない運命にあるだろう。
私が音楽CDの曲をパソコンにコピーしたとしよう。その際に、他人のものを奪っていると感じるかというと、感じない。だって、奪ってなんかいないからね。冒頭に掲げたイラストでも述べられているように、「窃盗はオリジナル(原作)を奪い取ることを意味するが、海賊行為はオリジナルをコピーするに過ぎない」。海賊行為に対する知的な反論については、もちろん承知している。一銭も払われずに曲がコピーされると、ミュージシャンの懐に入る印税が減ることになる。そうなると、ミュージシャンのやる気が失(う)せることになる。パフォーマンスが悪化して、スキルを磨こうという気も新機軸を打ち出そうという気も削がれることになる。海賊行為に対する知的な反論については承知しているが、その反論に脳の中の原始的な部位も納得しているかというと、そうじゃない。脳の中の原始的な部位が伝えることと言えば、路上ライブをやっているミュージシャンのギターケースから投げ銭を奪うのは間違っているっていうことくらいなのだ。
(ギンタスらがその発展に尽くしている)「私的所有権の進化論」によると、何かに対する所有権が認められるに至るのは、その何かを生み出したり、その何かを作ったりしたからこそだという。私が巣を所有しているのは、その巣を私が作ったから・・・というわけだ。このことは、著作物のダウンロードを禁じる法律にどこか違和感を感じてしまう別の理由ともなる。というのも、カセットテープに色んな曲を録音したり、CDにデータを書き込んだり、曲をリアレンジしたりリミックスしたりというのは、自分なりに何かを作ることを意味しているからだ。何かを作ったら、その何かを自分のものにしても構わないように本能的に感じてしまうのだ。「他人の巣を奪うなかれ」というルールが私的所有権の礎(いしずえ)となっているわけだが、「他人の巣を奪うなかれ」というルールを拡大解釈して「他人の巣をコピーするなかれ」という意味を含ませることができそうかというと、なかなか難しそうだ。
自己保存という観点からすると、よく出来た巣をコピーするのは名案だと言える。(自己保存の)本能に従うよりも背く方がずっと難しい。となると、著作権の侵害を防ぐにはどうしたらいいだろうか? 誰も著作権を尊重する本能を持ち合わせていないとしたら、どうしたらいいんだろう? 職を失った映画スタッフの惨状を訴えるお涙頂戴のCMでも流すべきだろうか? あるいは、(海賊行為に対して罰金を科すなどして)恐怖を抱かせるべきだろうか?(リスク中立的な「犯罪者」であれば、著作物をダウンロードすることで得られる限界便益が「期待損失」(=罰金額×著作権侵害で罰せられる確率)を上回っている限りは、ダウンロードをやめないだろう)。
本能に従うのは愚策も愚策ということが時にある。例えば、糖分や脂質を摂取せよと迫る本能の言いなりになっていたら、健康を大きく害するおそれがある。私たちの本能に反して、著作権もある程度は保護するのが好ましい。それでは、与党であるカナダ保守党が提案している著作権法の改正案は是とするに値するだろうか? 法案では、「私的使用目的」のコピーと「営利目的」のコピーが区別されていて、私的使用を目的としたものであれば、一旦購入した曲をコピーするのは合法とされている。首肯(しゅこう)できるように思える。
法案の内容で物議を醸しているのは、コピーガードを解除すると著作権侵害にあたる可能性があることだ。例えば、カナダ製のDVDプレーヤーで視聴するために、ヨーロッパで買ったDVDのコピーガードを解除するのは、著作権侵害にあたる可能性があるのだ。世知辛(せちがら)いばかりだ。
仮にコピーガードを解除すると著作権侵害にあたるとしても、コピーガードの解除を防ぐことができるとは限らない。音楽CD一枚の値段が15ドルで、コピーガードを解除したのが当局にバレると著作権侵害で5,000ドルの罰金が科されるとしよう。さらには、コピーガードを解除するのにコストは一切かからないとしよう。著作権侵害で罰せられる確率が0.3%以下であれば――著作権侵害で罰せられる確率が0.3%であれば、コピーガードを解除する(「犯罪に手を染める」)ことに伴う期待損失は、0.003×5000で15ドルということになる――、自分で15ドルを支払ってCDを買うよりも、そのCDを持っている友人から借りて(コピーガードを解除して)コピーする方がお得だろう。
法案について詳しく調べたわけではないので、残念ながら突っ込んだ話はできない(ヨーロッパで買ったDVDのコピーガードを解除するための役立つヒントであれば、あちこちで目にしたので詳しいけれど)。皆さんの意見も聞かせてもらえたらと思う。