Paul Krugman, “The ‘Libertarian Moment’ Will Have to Wait,” Krugman & Co., August 22, 2014.
[“Libertarian Fantasies,” The Conscience of a Liberal, August 9, 2014]
《リバタリアンへの転回》は起こりそうにない
by ポール・クルーグマン
ロバート・ドレイパーが先日『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』に書いた長文は,「リバタリアンへの転回」の可能性について論じている.この記事には,すでにけっこうな数のコメントが集まっている.その多くは,根拠とされる世論調査を疑問視している.
『ニューヨーク・マガジン』の評論家ジョナサン・チェイトが指摘しているように,独立の世論調査を見ると――自分たちの世評を高めようと模索してるリバタリアンたちが実施したものとちがって――若いアメリカ人では年長者たちよりもずっと〔大きな〕政府支持が強まっている.なるほど彼らは反戦リバタリアンに対しては比較的に親しみがあるように見えるけれど,実際にはその政策目標を支持してはいない.
ただ,それよりもっと大きな問題がある:〔原理原則ではなくて〕実質の話となると,リバタリアンたちは幻想世界に生きてしまっている.これが文字通りの事実だったりすることも多い:共和党議員で下院予算委員会委員長のポール・ライアンは,ぼくらがアイン・ランドの小説世界に生きてると思ってる.もっと要点をしぼって言うと,ぼくらが現に暮らしてる社会としてリバタリアンたちが思い描いているものは,現実とほとんど似たところがない.
ルーズベルト研究所の研究員マイク・コンツァルは,最近のブログ記事で具体的な例に目を向けている:いまリバタリアン界隈で流行の考えは,福祉国家にとってかえてベーシックインカムを採用することで物事はずっとよくなるというものだ.コンツァル氏が書いているように,この考え方が立脚してるのは,「福祉国家は非効率なプログラムがれこれとバカみたいにややこしく入り組んでいる」「〔そうしたややこしい制度を〕単純化すれば,資産調査を実施することも不運な状況にあるかどうかに左右されることもなく,国民全員への給付を行う資金が十分にまかなえる」という信念だ.だけど,現実はちっともそんなことない.福祉国家の支出の大部分は,一握りの大規模プログラムが占めている.そして,そうしたプログラムはかなり効率的で行政コストは低い.
実際,官僚機構のコストは総じて大幅に過大評価されてる.防衛費以外の連邦政府支出のうち,人件費が占めるのは6パーセント程度にすぎない.しかも,そうした人件費のうちでも「官僚」と呼べる人たちに入る額はほんの一部でしかない.
それに,福祉についてコンツァル氏が言ってることは規制についても当てはまる.ただ,こっちは定量化しにくい.もちろん,無駄で不必要な政府規制はある――だけど,多くのリバタリアンたちが信じたがってるほどたくさんあるわけじゃない.たとえば,お節介な官僚どもがお皿洗いにつかう洗剤についてやっていいこと・わるいことを口出ししてるときにも,実はごくまっとうな理由がある.2014年のアメリカは,「ライセンス・ラジ」時代のインドじゃないんだよ.
言い換えると,リバタリアンたちは,ありもしない問題を成敗してくれようとしてる十字軍だ.「ありもしない」が言い過ぎだとしても,リバタリアンたちが想像したがってるほどの問題ではない.これがなによりはっきり例証されてるのが金融政策だ.多くのリバタリアンたちは,連邦準備制度が無責任にお金を刷るのをやめさせようと断固決意してる――でも,実はそんなことやってないんだけどね.
翻って,これが意味してるのは,リバタリアンたちはまともに機能する政策目標を提示していないってことだ.だからって,その政策目標をぼくが嫌ってるってワケじゃない.それはまた別問題だ.ぼくが言わんとしてるのは,なにかの拍子でリバタリアン政府ができあがったとしても,そのいろんな約束はとうてい果たせないのがすぐに明らかになっちゃうってことだ.
というわけで,アメリカでリバタリアンへの転回がすぐさま起こることはなさそうだ.それって,いいことだよ.
© The New York Times News Service
「ありもしない」が言い過ぎだとしても,リバタリアンたちが想像したがってるほどの問題でしかない.
→想像したがってるほど問題ではない
文意が逆になっています
ご指摘のとおりです.修正しておきました.助かります.