ポール・クルーグマン「どんなコストを払ってでもインフレ妄執を広める人たち」

Paul Krugman “Spreading Inflation Paranoia, No Matter the Cost,” Krugman & Co., October 24, 2014.
[“Inflation Derp Abides,” The Conscience of a Liberal, October 17, 2014; “The Civility Whine,” The Conscience of a Liberal, October 18, 2014.]


どんなコストを払ってでもインフレ妄執を広める人たち

by ポール・クルーグマン

KAL/The New York Times Syndicate
KAL/The New York Times Syndicate

先日,ウェブサイト「ゼロ・ヘッジ」が読者に「必読のインタビュー」を案内していた.インタビューでは,投資家で評論家のジム・ロジャースが「我々はいまの紙幣発行と債務に手ひどい対価を支払うことになるだろう」と公言していた.

すぐに思い浮かぶ質問がある:ロジャースは,この『紙幣発行と債務による災厄』論をいつぐらいまで続けるだろうね?

答えはこうだ――「すっごくすっごくすっごく先まで」 2008年10月に――まるまる6年も昔のことだ――ロジャースは CNBC にでて,ぼくらがいま「途方もないインフレ・ホロコースト」のお膳立てを整えつつあると語った.

さて,この数年で完全に大外れになったわけだし次の2つのどちらかが起きてるはずだと思う人もいるだろう:

(1) ロジャース氏が自分の前提を問い直す;
(2) マクロ経済に関するロジャース氏の見解を世間が真に受けなくなる.

ところがさっぱり.

ロジャース氏の見解は変わってない(同様の説の持ち主たちで目の当たりにしたことから考えると,ロジャース氏は「自分の予測におかしなところなんてない」と否定しそうだ).それに,金融系メディアはいまでもロジャース氏を深い賢慮のわき出す人物みたいに扱ってる.

このインフレ不足の世の中で,インフレ「妄言」が――あるいは証拠では微動だにしない経済説への断固たる信念が――長々と続いている様には,相変わらず目を見張るね.


礼儀がどうのこうのって泣き言

インフレ vs. デフレの大論争で高インフレ到来派がいま言ってることの多くは,批判者たちの無礼さについて泣き言をいうってかたちをとってる――もちろん,このぼくもその無礼者の1人だ.ああやって泣き言を言ってるのは,事実上,自説を擁護する材料が弾切れになっちゃってることを告白してるんだとぼくなら言うところだろう――って思われてるだろうね,うん.

でも,それ以外にも知っておくべきことがある:高インフレ到来の「妄言」を言ってる人たちは,金融政策について無知なだけじゃなくて,論述のルールってものを理解してないんだよ.とくに,「対人論法」攻撃について不満をいっつもこぼしてるのを見ると,彼らは「対人論法」ってのがなんなのかわかっちゃいないのがわかる.

ウィキペディアの定義はけっこうよくできてると思う:対人論法とは,「批判している相手から独立した事柄(少なくとも潜在的には独立した事柄)ではなくて,その人物に関する事柄に向けた批判の形式」をいう.

たとえば,金融政策に関するぼくの見解を誰かが論じてるとしよう.その人がぼくのことを「エンロンのコンサルタントであるポール・クルーグマンは~」と言ってきたら,それは対人論法だ.でも,たとえば,ちょうど先日の文章でもやったように,高インフレ到来派が「のらりくらりと言い逃れをして,自分が言ったことを「言った」と一向に認めず,まちがいを認める意志が完全に欠落してる」と言ったって,それはべつに対人論法じゃない.ぼくはこういう人たちがどう議論をしているかを攻撃してるんであって,個々人の属性を攻撃してるわけじゃないからね.

ここ数年でぼくらがつくりあげていた語彙目録はどうだろう――「ゾンビ」だの「ゴキブリ」だの「信認の妖精さん」だの「たわごと」だのは? こいつはみんな,人物じゃなくて論述を対象にした用語だ.ほんとだよ.2013年の文章で,ぼくは「ゴキブリ」って言ってるけど欧州委員会のオッリ・レーンをそう呼んではいない.ただ,歴史に関して無知なままに,高い債務を前にすればジョン・メイナード・ケインズも財政刺激策を提唱しなかっただろうってレーンが断定してるのをそう呼んだんだ.

要点はこうだ――ぼくが知るかぎり,これまでどの時点でも,実質のある論述の代用としてぼくが個人攻撃に頼ったことはない.誰かがほんとにアホなことをやってるってことを示さずに「あいつはアホなことをやってる」って非難しやしない.

「でもさ,なんでそんなに色のついた言葉づかいをするのさ?」 もちろん,みんなの注意をひきつけたり,正真正銘の妄言っぷり度合いを際だたせるためだ.で,ちゃんとそう機能してるでしょ?

さて,ゾンビ論証をやってる人たちや妄言に手を染めてる人たちは,これで心底から侮辱されたと感じるらしい.でも,何百万人もの生活に影響する現実の政策問題に関わる公開の論争に参加しようっていうなら,尊敬に値しない論述が尊敬をもって扱ってもらえるような権利なんてないんだよ.

あともう1つ:妄言野郎ご一行は,権威からの論証がどんな意味なのか理解してなさそうだ.いくらか時間をかけて金融に関する論争を理解する意欲もないのに金融政策について自説を開陳するべきじゃないってぼくが言うとき,言わんとしてるのは他のなにごとでもありゃしない.

べつに,博士号がなきゃ発言しちゃいけないなんてぼくは言ってない.ちゃんと宿題をする必要があるよってことを言ってるの.


© The New York Times News Service

【バックストーリー】ここではクルーグマンのコラムが書かれた背景をショーン・トレイナー記者が説明する

連銀の成功譚

by ショーン・トレイナー

金融危機が起きてからの数年に,多くのアメリカ保守派は連銀とオバマ政権が追求した経済回復策を批判してきた.インフレ率がうなぎのぼりになる発端になりかねない,いやそれどころかハイパーインフレにつながるかもしれない,というのが彼らの言い分だった.

2010年11月,当時の連銀議長だったベン・バーナンキに宛てた公開書簡に署名した保守系の知識人は大勢いた.この公開書簡は,バーナンキが提唱している債券購入すなわち量的緩和の第二弾実施を批判していた.「計画にある資産購入には通貨毀損とインフレのリスクがある」――と書簡は警告している――「また,こうした資産購入が雇用促進という連銀の目的を達成することになるとも我々は考えない.」

だが,量的緩和の大規模プログラムが3つも行われたにも関わらず,過去4年にわたって,インフレ率は一貫して低いままにとどまったし,ドルの価値は上昇した.アメリカの失業率も劇的に下がった.2010年11月に 9.8パーセントだったのが,今日では 5.9 パーセントになっている.この失業率改善を,多くの経済学者はバーナンキ氏とその後任ジャネット・イェレンの功績と認めている.

今月,『ブルームバーグ』の記事で Caleb Melby 記者,Laura Marcinek 記者,Danielle Burger 記者は,この公開書簡に名を連ねた23名にインタビューして,彼らの見解は近年の経済データに照らして変化しているかどうかを尋ねている.返答した9名の全員が,じぶんの主張は根底において正しいままで変化はないと述べている.署名者の1人で『フォーブス』のコラムニストの Amity Shlaes は,こうコメントしている――「インフレ〔2%目標を超える高いインフレ〕は到来しうる.我々の多くはこの国がその用意を調えていないことを懸念しているのです.」

これに反応して,『ニューヨーカー』誌コラムニストのジョナサン・チェイトは最近の記事でこう論じている――「署名者たちの誰一人として,[こうしてインフレが高まっていないことから]導き出される世界観の全面的な失敗にまっこうから取り組んでいない.(…)彼らが勝利すると予測したチームは負けたわけだ.彼らの経済モデルは欠陥品だ.」

© The New York Times News Service

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  1. 財政ファイナンス、奴隷制度、優生学、植民地など、過去の失敗は、あまりに痛烈だったため、
    諺:「羹に懲りて膾を吹く」ように自らの手を縛り続けている。
    過去の制度は、それなりの利点、需要があって導入された。
    しかし、その欠点、副作用があまりにも大きかったがために、
    もはや、それに近付くことも恐れられて、思考停止に陥っている。

    インフレ自体は通貨のあるべき姿だ。
    通貨はババ抜きのババであってこそ、すぐに手放され、価値の流通手段になる。
    本来価値のない紙切れである通貨に価値の貯蓄が集まるデフレは、
    通貨という証券のバブルであり、異常事態だ。
    通貨が機能してこそ、二重価格は収斂に向かい、一物一価に向かう。

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