Paul Krugman, “Austerity — The Caloric Kind,” Krugman & Co., December 5, 2014.
[“This Dieter Is Different (Trivial and Personal),” The Conscience of a Liberl, November 27, 2014]
よーしパパもおなかを緊縮しちゃうぞー(しょうもない個人的なお話)
by ポール・クルーグマン
Vox のジュリア・ベルツが先日,減量についていい文章を書いてる.2つの事柄に,共感を覚える:その2つとは,しっかり定義された最良の食生活がないってことと,個人記録が重要だってことだ.
ちなみに――あまりに情報を漏洩してしまう重大リスクを冒しつつ言っちゃうと――この2点についてはぼくもこのところ実体験がある.そう,ぼくはここ2年間でけっこう体重を落としてる(べつに特別なまずい事情があるわけじゃないよ.たんに,ぼくもとうとう60歳になるってんでそれに合わせただけ).で,減量してみて,じぶんについていくらか学んだことがある.(些細な註記:ぼくの業績と並べて写真を掲載するのがお好きなメディアは――やあ Salon さん,どうもどうも――生まれ変わったぼくの姿に近い写真に切り換えた方がいいかもね)
まず,誰にでもいちばんよくあてはまる食生活なんてないって点:ぼくらの文化では,個人個人のちがいを過大に取り扱うきらいがある.CNBC をつけてみれば,個々人の必要にあった投資ができる口座の広告がたくさん流れてくる.でも,圧倒的大多数の人たちは,投資の選択なんてしない方がいい――たんに,インデックス・ファンドにお金をずっとおいとく方がいいんだよ.同じことは,健康のための方策についても言える.食べ物の消費ですら,同様だ:つまりね,たとえばファーストフード店で個人ごとに選択肢をカスタマイズできるようになったとして,それでほんとにいっぱい得する人が,いったいどれほどいると思う?
でも,カロリー制限しようとがんばってる場合には,たしかに個々人のちがいは大きい.人それぞれで,自分を律していつでも分量をおさえて健康な食事をとるのがしっかりできる人もいる(すまないねぇ,あたしゃどうにも哀しみを赤ワインとパスタで癒さずにいられなくってねぇ…).ぼくの知人のなかにも,マーク・ビットマンがいう「夕食前まで菜食主義者」プログラムでうまくやれる人たちがいる.ぼくに合っていたのは,週に2日だけきびしくカロリーを制限するってやり方だった.「それってどんな感じかな」って疑問の方に言うと,これって実はすごいつらいよ.でも,定期的に苦しむ方が,ぼくの性分には合ってるみたい.
記録をつけるって話について:ぼくは Fitbit を使ってる.といっても,記録が正確だと思ってるからじゃなくて,自分に罪悪感を覚えさせるためだ.その点についてはこいつは有能で,ぼくをいびって職場まで歩かせてくれるし,有酸素運動に追い込んでくれる.それに,毎日ずっと体重も量ってる.おかげで,一時的に増えたり減ったりの変動はどうでもいいってことが完全によくわかった.ここでも,罪悪感が秘訣だ.
いまの話を聞いて「さぞかしつらかろう」と思うかもしれないけど,実を言うと,すごく気分はいい.これから数年先もずっとこの新レジームを固守するかって? さあ,どうだろ.
© The New York Times News Service
「たった一つの冴えた食生活なんてないって点」の原文
on the no best diet point: は
「誰にでもあてはまるベストなダイエットブランはないことについて」
というような意味ではないか。
diet point をネットで見るとアプリの名前として出てくるが、
diet planと同義であると思われるし、文脈からもふさわしいかも。
そのように書き換えました.