●Lars Christensen, “Irving Fisher and the New Normal”(The Market Monetarist, November 13, 2011)/【訳者による付記】昨日訳出したばかりのタバロックのエントリーと同じ題材が取り上げられており、相互に補完し合う内容となっている。興味がある向きは、あわせて参照されたい。
2008年以降から続く世界的な同時不況――いわゆる、大不況(Great Recession)――から抜け出す術をめぐる議論の多くでは、デレバレッジ(債務の圧縮)という概念に注目が寄せられる傾向にある。それとの関連で、長期にわたる低成長の時代――「ニュー・ノーマル」(“New Normal”)の時代――に足を踏み入れたのだ・・・なんて語られることもある。デレバレッジに向けた動きが続く限りは、経済の停滞が長引くというわけだが、私としてはそのような議論は理論的にも実証的にも欠陥を抱えているように思えてならないのだ。
アーヴィング・フィッシャー(Irving Fisher)と言えば、20世紀を代表する最も優れた経済学者の一人だが、彼のデット・デフレーション(債務デフレ)理論(pdf)は、「ニュー・ノーマル」にまつわる論争とかなり密接な関わりを持っている。とりわけ、「ニュー・ノーマル」からいかにして抜け出すかという問題と深い関わりを持っていると思われるのだ。そこで、以下ではフィッシャーの言い分を簡単に追ってみるとしよう。
フィッシャーによると、資産市場でバブルが破裂すると、その後に次の9つの局面を順に辿ることになるという。
- 債務を返済するために、大勢の人々が大挙して(商品や手持ち資産の)投げ売りに乗り出す
- 銀行ローンの返済に伴うマネーサプライの縮小
- 資産価格や物価の下落
- 企業の純資産が縮小し、中には破産に至る企業も
- 企業利潤の低下
- 生産と取引の縮小、雇用の削減
- 悲観的なムードが蔓延し、自信が損なわれる
- 貨幣を手元に退蔵する動きが広がる
- 名目金利の低下と(デフレによる)実質金利の上昇
現在の危機に対する多くの人々の考えがそっくりそのまま再現されていると言っても言い過ぎではないだろう。資産市場でバブルが発生し、やがてそれが弾けるや、上で描かれているような「自然な」過程を辿ることは必至であり、その途上では痛手を被ることも避けられないというわけだ。
私としては、この先長きにわたって低成長が続き、デフレ目前の状況にまで追いやられてしまうリスクが存在すること自体に異を唱えるつもりはない。フィッシャーも次のように語っている。
物価の下落を食い止めるような何らかの力が働かない限りは、1929年~1933年に発生したのと似たような、長年にわたって続く不況――債務の返済が急がれれば急がれるほど、デフレが進んで債務の実質的な負担がますます高まっていく状況――に陥ってしまうことだろう。悪循環がとめどなく進行して、さらなる深みに嵌(はま)ってしまうことだろう。先ほどの比喩を使うと、傾いた船を元に戻そうとする力が働かずに、やがては転覆してしまうことになるのだ。誰も彼もが破産するに至ってようやく風向きが変わる。債務の膨張が止んで、債務が徐々に縮小し始める。それに伴い、景気は回復に向かい、しばらくすると新たな景気循環が始まりを告げる。このようにして、不況は終わりを迎えると見なされている。不必要で悲惨な破産、失業、飢餓を経て、不況は「自然に」(“natural”)終息へと向かうと見なされているのだ。
フィッシャー流の「ニュー・ノーマル」論だと言えるだろう。しかしながら、フィッシャーと巷の「ニュー・ノーマル」論者との間には、大きな違いがある。フィッシャーの考えでは、「長年にわたって続く悪循環」を甘受せねばならない理由などないのだ。
他方で、これまでの分析が正しければ、リフレーションを通じてこの種の不況を食い止めたり、防いだりすることはいつだって可能ということになろう。すなわち、貸し手と借り手の間で契約が結ばれた時点――既存の債権・債務関係が発生した時点――の平均的な水準にまで物価を引き上げ(リフレートさせ)、その後は物価をその水準に保てばよいのである。
私も含めたマーケット・マネタリストの面々は、常日頃から「名目GDPを危機が始まる前のトレンドにまで引き戻せ」と唱えているが、ここでフィッシャーが語っていることはそのヴァリエーションの一つだと言えよう。
「流動性の罠」の存在を信じてやまない論者の間から、「リフレーションを勧めるのはいいが、一体全体どうやってそれを実現するというのだ。金融政策で? 到底無理だ」と疑問視する声が上がるかもしれない。そんな疑問の声に対して、フィッシャーは次のように即答している。
物価水準をコントロールすることは可能だ。そのことは、貨幣経済学者の間でも受け入れられているし、近時の2つの重大な出来事によっても裏付けられている。(1)スウェーデンでは、これまでのおよそ2年間にわたって物価の安定が保たれている――目標水準の上下2%の範囲には必ず収まっており、大抵は上下1%の範囲に収まっている――。(2)適切な手段を用いれば、あるいは、適切な手段が用いられそうだと見込まれるだけでも、容易にデフレーションを即座に反転させることができる。そのことは、ルーズベルト大統領が実証しているところだ。
ルーズベルト大統領は1933年に金本位制から離脱する決断を下したが、そのことについてフィッシャーは次のように語っている。
「ルーズベルト大統領がリフレーションの達成を約束し、その約束を叶えるために動いたからこそ、景気が回復に向かっているとの見方は間違っている。景気が回復局面にあるのは、単に景気が底打ちしたからに過ぎない」との意見があるが、そのような意見はひどく間違っていると言えよう。私の知る限りだと、そのように語る人から景気が底打ちしたことを示す証拠が提出された試しなんて一切ないが、仮にそのような意見が正しいようなら、私のこれまでの分析は大きく間違っていることになろう。入手可能なありとあらゆる証拠に照らすと、債務残高とデフレは、1933年3月4日 [1] 訳注;1933年3月4日というのは、ルーズベルトが大統領に就任した日時を指している。 時点までにかつてない水準に達しており、それまでにも大きな混乱を引き起こしていたことが示されている。私のこれまでの分析に従うと、3月4日以降も債務とデフレの問題が放置されたままだったとしたら、さらに大きな混乱が引き起こされていたことだろう。経済に対して「人工呼吸」(“artificial respiration”)が施されていなかったら [2] 訳注;ルーズベルト大統領がリフレ政策を採用していなかったとしたら、という意味。、住宅ローンの保証会社、貯蓄銀行、保険会社、鉄道会社、地方政府、州政府が次々に破産する羽目になっていたことだろう。おそらく連邦政府は、国債を償還する(借金を返済する)ために輪転機に頼らざるを得なくなっていた [3] 訳注;国債を償還するための原資として、貨幣の新規発行に頼らざるを得なくなっていた、という意味。ことだろう――あまりにも遅すぎる対応であり、大変嘆かわしくもあるが、「人工呼吸」の一つではある――。為政者たちが経済の「自然治癒」にこだわり、インフレを受け入れたがらず、むやみに財政収支の帳尻を合わせようとしていたら――そのために、公務員の削減に乗り出したり、増税に訴えたりしていたら――、あるいは、借り入れをさらに増やそうと試みていたら、彼らは為政者としての地位を早晩失う羽目に陥っていたことだろう。というのも、連邦政府自体が破産に追いやられたであろうし、次の選挙を待つまでもなく、何らかのかたちで革命が起きたであろうからだ。現に、中西部の農民たちの間では、法律無視が蔓延(はびこ)りつつあったのだ。
これまでに述べてきたことがどれも正しいようなら、経済の行方を「自然の成り行き」に任せるというのは、医者が肺炎患者を見て見ぬ振りをするのと同じくらい不道徳的で馬鹿げた行為であると言えよう。経済学も医学と同じく治療学としての側面を備えているが、経済の行方を「自然の成り行き」に任せるというのは、治療学としての経済学に対する侮辱を意味しているのだ。
フィッシャーの主張を現在の文脈に置き換えて解釈すると、次のようになるだろう。我々は、金融ショックに端を発するデット・デフレーションの悪循環に嵌りつつあり、この先何年にもわたって低成長が続く可能性がある。しかしながら、金融政策を通じて――例えば、名目GDPを危機が始まる前のトレンドにまで引き戻すことで――下方スパイラルを食い止めることは可能だ。政策当局者がルーズベルト大統領に劣らぬ決心を見せさえすれば、あるいは、大恐慌期のリクスバンク――スウェーデンの中央銀行――の経験(pdf)に学びさえすれば、流動性の罠など存在しないも同然なのだ。
復興現場を巡っての建設資材の高騰は、本格的なインフレーションの幕開けではないだろうか。政府は資器材の調達においてこの兆しを助長するよう配慮するべきではないか?