タイラー・コーエン 「フリードマンは大恐慌をどのように分析したか?」(2013年8月11日)

●Tyler Cowen, “How would monetarism have fared against the Great Depression?”(Marginal Revolution, August 11, 2013)/【訳者による付記】アレックス・タバロック「バーナンキVSフリードマン」(227thday氏による訳)とあわせて参照されたい。


ポール・クルーグマンがフリードマンによる大恐慌解釈をちょくちょく槍玉(やりだま)に挙げている。最新の例はこちらだが、次のように述べられている。

とは言え、主要なポイントは、我々が置かれている状況は、古典的なマネタリズム(classic monetarism)が説くところとは大違いだということだ。古典的なマネタリズムによると、中央銀行は貨幣集計量――例えば、M2――を意のままにコントロールすることができて、経済の成り行きは貨幣集計量によって左右されるとされる。しかしながら、経済がゼロ下限制約に追いやられてしまうや、決してそうはならないのだ。フリードマンによる大恐慌(Great Depression)の分析が間違いである理由は、この点を認識していないところにあるのだ。

私の考えは違うのだが、フリードマン本人の発言に直接あたるようにした方が議論も実りあるものになるだろう。フリードマンが何を考えていたかについては過去に私なりにまとめているので、以下にその一部を引用するとしよう。

1929年~1931年に関して言うと、Fedは a) 債券の買い入れ額を大幅に増やして、 b) 破綻の危機にある民間の銀行を救うために「最後の貸し手」として振る舞うべきだった、というのがフリードマンの考えだった。a)b) は別物だというヘンダーソンの言い分はその通りだが、どちらもやるべきだったというのがフリードマンの考えだったのだ。

フリードマン&シュワルツの『合衆国貨幣史』を紐解くと、賛意を示すかたちでウォルター・バジョット(Walter Bagehot)の発言が引用されている(pdf)が、そこでは、銀行危機(銀行パニック)を食い止めるために、いかに大胆で一か八かの窮余の策に見えようとも、何でもやってみる必要性が説かれている。バジョット曰く、

「1825年のパニックは、イングランド銀行による積極的な資金貸付を通じて食い止められた。そのあたりの事情については、ハーマン氏(イングランド銀行の理事の一人)が過不足なく生き生きとした調子で伝えている。その名調子のために、ハーマン氏の発言は語り草となっているが、イングランド銀行の立場を代表して、ハーマン氏は語っている。『我々イングランド銀行は、ありとあらゆる手段を使って、これまでに試みられたことのないかたちで、貸付に臨んだのであります・・・(略)・・・』」

Fedは「最後の貸し手」として振る舞うべきだったというのがフリードマンの考えなわけだが、そのような考えに至った理由についてはチャールズ・グッドハート(Charles Goodhart)が編集しているこちらの本を参照されたい。あるいは、フリードマン&シュワルツの『合衆国貨幣史』の269ページもご覧になられたい(1930年代初頭に民間銀行がFedから有利な金利でなかなか借り入れができなかった事情について説明されている)。あるいは、フリードマンへのこちらのインタビューもあわせて参照されたい。

言い換えると、当時のFedがフリードマンのアドバイスに従っていたとすれば――とは言っても、当時はフリードマンからアドバイスを聞きようがなかったわけだが――、事態はずっと良い方向に向かっていた可能性があるのだ。フリードマンが求めていたのは、「貨幣の増刷」だけではない。破綻の危機にある銀行を救うために、Fedが「最後の貸し手」として振る舞うことも求めていたのだ。さらには、これまでの話では、アメリカ経済がゼロ下限制約に追いやられる前の段階でどういった政策を採用すべきだったかが問題にされているのだ(とは言え、ゼロ下限制約下においても、「最後の貸し手」機能は依然として有用だったろうが)。当時のFedがフリードマンのアドバイスに従っていたとすれば、マネーサプライが3分の1近くも縮小するなんてことにはなっていなかったことだろう。

2008年以降の「大不況」を経験した上で判断すると、フリードマンが1929年~1931年のアメリカに推奨した類の政策( a) と b))では景気後退を避けるには十分じゃなかったろうという意見ももっともなところがある。フリードマンは、そのこと [1] 訳注;a) と b)だけでは景気後退を避けるには十分ではない可能性 を十分には理解していなかったし、名目金利がゼロ%近くまで落ち込む可能性を想定していなかったのだ・・・なんて意見もあるかもしれないが、そういう批判があたっているかどうかを今すぐに判断することはできないものの――そのためには、フリードマンの発言をすべて点検しないといけない――、あたっている可能性も十分にあるだろう。

とは言え、「フリードマンを筆頭とするマネタリストは、大恐慌に対する処方箋として、効果の無い『貨幣の増刷を通じたピグー効果』に頼っていた」というクルーグマンのまとめ方は正確ではない。当時のFedがフリードマンのアドバイスに従っていたとすれば、事態は遥かにずっと良い方向に向かっていた可能性がある。それは、アメリカ経済だけに言えるわけではない。世界経済全体については、なおさらそう言えるのだ。 「どうも信じられない」と疑うようなら、当時のスウェーデンに目を向けるといいだろう。1930年代のスウェーデンでは、フリードマンのアドバイスに最も近い政策が採用されていた。金融政策も他の国ほど引き締め気味じゃなかったし、バーナンキ&ジェームズの共著論文(pdf)でも指摘されているように、いち早く金本位制から離脱して変動相場制に移行してもいたのだ――ところで、バーナンキ&ジェームズの共著論文の脚注1では、次のように述べられている。「『大恐慌は、貨幣的な現象である』と誰よりも先に診断した功績は、フリードマン&シュワルツ(1963)に帰せられることは言うまでもない。大恐慌に関する最近の研究では、大恐慌の国際的な側面に焦点が合わせられているが、そういった最近の研究はフリードマン&シュワルツの分析を補完するものだと言えよう」――。そのおかげもあって、当時のスウェーデンが被った損害は、西洋の大半の国々が味わったよりもずっと穏やかなもので済んだのだ。

言い換えると、こういうことだ。大恐慌の分析に関しては、マネタリズムはかなりいい線をいっていると言える。完璧とまでは言えなくても、かなりいい線をいっているのだ。

(追記)「金融政策にできること/できないこと」を論じたフリードマンのかの有名な1968年論文(pdf)もあわせて参照されたい。「フリードマン対ケインズ」という話題についてもあちこちで論じられているようだが、逐一詳細に取り上げるつもりはない。それよりはむしろ、数々のケインジアンと論争する中でフリードマン本人が何を語っているかに目を向ける方がいいだろう。

References

References
1 訳注;a) と b)だけでは景気後退を避けるには十分ではない可能性
Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts