我ながらくどいとは思うんだけど、こういうことが相変わらず無視されている:
1. アフリカ系アメリカ移民がよい結果をもたらしている〔アフリカ諸国の優秀な層がアメリカに来ている〕ことから、お互いの利益のためにこうした移民をもっと受け入れることができるし、受け入れるべきだ。
2. こういうよいことが生じているのは、選別が効いてるおかげという部分がある。つまり、アフリカからアメリカにくるのはそうそう容易いことではない。少なくとも一般的にはそうだ。だから、もっと移民を入れるべきではあるけれど、アフリカからの移民をあまりかんたんにしすぎない方がいい。また、アフリカからの移民が増加するにつれて徐々に結果の質が低下していくなら、それは政策がうまく機能しているというしるしであって、政策が失敗しているというしるしではない。
3. 誰も彼もを受け入れるわけにはいかない。このため、さらにどんな人をどれくらい人を受け入れるかという部分では、かならず冷酷な事態が生まれる。入国を拒否され、祖国に送還される人々がでてくるからだ。いまのところ、カナダですら、ハイチからの移民を送り返している (NYT)。こうした冷酷な処遇は移民の意思決定に関連してくるが、決定的なものではない。移民に対する冷酷な処遇を取り上げる一方で、どこで移民受け入れを止めるべきかを決める原則がどうすべきか言わないでいるなら、そういう議論は片手落ちだし、なによりじぶんをごまかしてしまっている。そういう調子では、政策問題を明瞭に考え直せなくなること請け合いだ。
4. コスモポリタンな倫理を採用すると、追加で受け容れるべき移民を増やすことになる。だが、それでも誰も彼もを入れるわけにいかない点に変わりはない。さらに言えば、〔移民を寛大に受け入れたためにかえって他の市民のあいだで〕バックラッシュが起こってしまうということだってありうる。バックラッシュ効果が移民受け入れの限度を決める制約になっている場合、じぶんがどれくらいコスモポリタンな倫理をもっているかによって移民の受け入れ率を決めるのはあまり適切でない。
5. また繰り返しておくと、移民をもっと受け容れるべきだ。アフリカからだけでなく、GDP や教育面であまり成功していないいろんな国々からも受け入れた方がいい。候補としてすぐさま思い浮かぶのは、インドとイランだ。
6. ウィル・ウィルキンソンが、トランプを相手に移民問題でどう渡り合うかについて『ニューヨークタイムズ』にすぐれた文章を書いている。