ピーター・ターチン「ビッグ・ゴッドからビッグ・ブラザーへ:アラ・ノレンザヤン著『ビッグ・ゴッド:変容する宗教と協力・対立の心理学』を読む」(2015年9月4日)

社会科学において最も重要となっているるかもしれない問題だ。「人間は、巨大な匿名社会の中でどのように協力する能力を獲得したのだろう」というものだ。

From Big Gods to the Big Brother
September 04, 2015
by Peter Truchin

最近、アラ・ノレンザヤンの『ビッグ・ゴッド:変容する宗教と協力・対立の心理学』を読み終えた。本書は重要な本であり、非常に楽しい読み物だ。しかし、この本は少なくとも2つのグループから心底嫌われるだろう。新無神論者と進化心理学者である。
〔訳注:「新無神論」とは、サム・ハリス、リチャード・ドーキンス『神は妄想である』、ダニエル・デネット『解明される宗教 進化論的アプローチ』、クリストファー・ ヒッチンスらの知見を元に2000年代半ばから英米で広まった新しい無神論思想。ネオ・ダーウィニズム的な科学による宗教の解明と、宗教の非合理性への批判を特徴としている。〕

『ターク・イ・ブスタン遺跡のアルダシール2世の戴冠式の高レリーフ』フィリップ・シャヴァン撮影:出典元

アラが扱っている重要な問題は、私も最も重要だと考えている問題でもある。社会科学において最も重要となっているるかもしれない問題だ。「人間は、巨大な匿名社会の中でどのように協力する能力を獲得したのだろう」というものだ。

協力において重要な前提条件となっているのが、「信頼」である。信頼がなければ、協力は不可能だ。人類祖先の小規模な社会では、信頼に足りる人を判別するのは、今よりずっと簡単だった。誰もが、互いに見知っていたからだ。自分の経験だけに頼る必要はなく、ゴシップに耳を傾けるだけで、〔誰が信頼できるか〕すぐ分かったのである。これは「小規模な社会では、信頼を産み出すのはヒトにとって些事だった」と言いたいわけではない。〔信頼は常に困難となっていることもあり〕最終的に、ヒトは、社会的記憶と計算エンジンとして巨大でエネルギーコストのかかる脳を発達させている。それでも、信頼の困難さでは、今日のような何百万人規模の大規模匿名社会より、対面による相互作用によって形成された小規模社会のほうが克服は簡単であった。

次に、宗教の出番となる。「ビッグ・ゴッド(大きな神)」とは、3つの重要な能力を持った超自然的存在だ。第一の能力:ビッグゴッドは、ヒトの頭の中の実際に覗き込んで、ヒトが何を考えているのかを知ることができる。特に、ヒトが決まりごとを守るつもりがあるのか、それとも誤魔化そうとしているのかを知っている。第二の能力:ビッグゴッドは、ヒトが道徳を高めようと努めていればそれを庇護する能力を持っている。第3の能力:悪人がいれば、その人に罰を下すことができる(そして罰がくだされる)。

出典元〔リンク切れ〕

さて、私のような無神論者(ただし、断じて新無神論者などではない!)なら、神は存在しないことに同意するだろう。すると、「神への信仰はどのようにして広まったのか?」というのが関心事となる。大規模な社会が出現すると、これまで述べてきたような理由から、新たなる問題が生じる。協力には信頼が不可欠だが、見知らぬ人をどのように信頼すればよいのだろう? という問題だ。一方で、その見知らぬ人が、ビッグ・ゴッドを心から信仰していれば、信頼できる人となる。なぜならその人は、ゲヘナ(地獄)で業火に包まれたくないだろうし、ミミズに転生したくないからだ。道徳的で全知全能の懲罰者への信仰が根付いた集団は、無神論的な集団よりはるかに協力的になるだろう。ヒトは、小規模な社会では知人や隣人に見張られているため向社会的に振る舞うが、大規模な匿名社会では神に見張られているために善良であることを強いられる。

マナーを守りましょう 因果応報です

この考察では、集団淘汰という考え方が重要な要素となっている。しかし究極的には、ヒトはかなり賢明なので、周りが道徳的な神を信じていてれば、安心してフリーライド的な不正を行えるようになってしまう。賢明な個人は、地獄の業火など存在しないと考えるからだ。しかし、このような無神論者が社会で優位になると、その集団では効果的な協力が不可能となり、信仰が厚い他集団との競争に負けてしまう。

ちなみに、道徳的懲罰を行う超自然的な存在の信仰が浸透していくと、誠実な信者になることが個人の利益とイコールとなる。もっとも、この件は別のエントリでの解説に譲ろう。

アラ・ノレンザヤンの考察での潜在的な難点は、現代世界には大多数がビッグ・ゴッドを信仰しないにもかかわらず、非常に協力的な社会が多数存在している事実である。デンマークのような北欧諸国が典型例だ。すると、そうした社会は何に基づいているのだろう?

ビッグ・ゴッド仮説が示す解答において重要となっているのが、ビッグ・ゴッドの超自然的な性質(性質そのものが理にかなっているとしても)にあるのではなく、不道徳な行為を見つけ出し罰する能力を持つ監視者の存在だ。現代社会では、警察官、裁判官、国税庁の職員など、実際に存在する人間がビッグ・ゴッドの役割を担っている。

つまり「見張られているヒトは、良いヒト」となるのである。監視者は、(小規模社会の)友人や隣人でも、(古代や中世の大規模社会の)超自然的存在でも、ビッグ・ブラザー(現代の大規模社会:別名警察国家)でも構わない。監視されている限り、ヒトは行儀が良くなる。

これは、ヒトの本性についてのかなりシニカルな見解である。もっとも、監視の重要性を裏付ける実証的な証拠は膨大に存在している。ただ、ヒトの協力(あるいは非協力)は、様々な要因の相互作用から成り立っていることを忘れてはならない。「監視」はそのうちの1つの要因にすぎない。

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