●“Cameralism in Practice. State Administration and Economy in Early Modern Europe”(The Long Run Blog, November 2, 2017) [1] 訳注;以下の文章は、『Cameralism in Practice』の編者であるセッペルとトライブの対談(こちら)を圧縮したものと思われる。
今回紹介する一冊は、マルテン・セッペル(Marten Seppel)&キース・トライブ(Keith Tribe)編集の『Cameralism in Practice:State Administration and Economy in Early Modern Europe』である。
過去5~10年を通じて「官房学」に対する関心が高まりを見せているが、英語圏において官房学を対象にした学術的な研究書を探しても、アルビオン・スモール(Albion Small)が1909年に著した書くらいしか見当たらないと言われてきていた。
幸(さいわ)いなことに、そのような状況も変わりつつあるようだ。今やフランスやイタリア出身の若手の学者がヨーロッパ経済思想史学会(ESHET)の年次大会で中心的な役割を果たすようになっている。知性史が研究分野の一つとして発展するのに伴って、経済学史の分野でも研究の質が高まってきている。1970年代後半から今日にかけて、18世紀の政治思想史が研究水準の高い分野として発展を遂げており、その流れの中で官房学の研究も最早マイナーではなくなってきているようだ。官房学に何らの「論理」(ロジック)があるとするなら、経済運営の学とでも形容することができるだろう。同じような志向を備えた学問が当時の英語圏やフランス語圏では芽生えずにいたことを踏まえると、英語圏(やフランス語圏)の学者が官房学を定義するのにてこずっているのも成る程もっともと言えよう。その一方で、今回紹介する一冊に収録されている研究でも指摘されているように、国家運営および経済運営の学たる官房学は、ドイツやオーストリアは言うまでもなく、スウェーデン、ロシア、デンマーク、そしてポルトガルにもかなり大きな影響を及ぼしてきたことが次第に明らかになってきている。
官房学に関する一連の研究を集成した本書では、官房学の実践面に焦点が合わせられている。アウグスト・ヴォルフガング・ガーロフ(August Wolfgang Gerloff)が1930年代に語ったところによると、18世紀の官房科学は「国家運営の実践/政治の実務を対象にした教義」とのこと。その一方で、官房学は、行政が則(のっと)ることができる具体的な計画を提示しているというよりは、空想小説ないしはユートピア理論の一種と見なせるというアンドレ・ウェイクフィールド(Andre Wakefield)の評価もある。ウェイクフィールドによると、官房学者自身も自分たちの教えがあまりに抽象的で理論偏重と感じていたとのこと。
本書(『Cameralism in Practice』)の主たる目的の一つは、18世紀に官房学が生み出した新しい潮流を浮き彫りにすることにあるが、それに伴って次のような興味深い問いが持ち上がってくることになる。官房学は世界(世の現実)を変えたのだろうか? 果たして「官房学革命」は起きたのだろうか?
過去の言説に対する深い理解を欠いたままで、「現在」の視点から歴史を振り返ろうとすると、「進歩」があった――「革命」が起きた――という判断に安易に傾きやすい。官房学が何らかのかたちで世界を変えたかのように論じるのは正しくないだろうが、官房学は世の中を認識する術たる「言語」を変えたとは言えるだろう。官房学が実践面でどんな結果を及ぼしたかはともかくとして、18世紀の後半までに国家運営に関する新たな言語が誕生するに至ったのだ。そのおかげで19世紀に国家財政の科学が生まれ、やがては行政の言語(行政官が語る言語)の一部を形作るまでになったのである。すなわち、官房学は、「実務家」集団に対して、職責を遂行する方法について互いに語り合う術を与えたのである。
官房学に関する研究が露(あらわ)にしていることは、近代初期のヨーロッパ――当時の政治/行政/経済/社会――に対して我々がいかに無知であるかということだ。官房学に関する最近の研究の蓄積によって、過去の社会経済活動のネットワークや過去の言説に対してこれまでとは違う新たな角度から迫ることが求められている。プロイセンにおける官僚制の発展の軌跡を跡付けたハンス・ローゼンバーグ(Hans Rosenberg)の研究の重要性は今もなお失われていないが、行政の言語に目を向けずに官僚制の歴史を綴(つづ)るのは最早適切とは言えないだろう。すなわち、官房学および官房学の言語に対する研究――18世紀のヨーロッパ諸国における行政の働きに対する新しいアプローチ――を無視するわけにはいかないのだ。「重商主義」にも当てはまる話だが、「官房学」というように特定の名称を付けて枠をはめてしまうと、近代初期時点におけるその教義の多様性だけでなく、教義が収斂していくプロセスも見過ごされてしまうおそれがある。本書では、官房学の多様性を提示するよう努めている。本書がこれまで以上に体系的な官房学の研究を促すことになればと願うばかりである。