昨年末、ガーディアン紙は、気候変動と金融システムの間に関連性があると主張する論説を掲載した。著者のジェイソン・ヒッケルは、現在の金融システムは、絶えず経済成長する必要を生み出すので、地球温暖化の重要な原因になっていると主張している。その解決策としてヒッケル氏が支持するのは、圧力団体ポジティブ・マネー(PM)が提唱する完全準備銀行制度(full reserve banking) [1]一般的には「ナローバンク論」とも呼ばれ、また「公共貨幣論」、「信用創造廃止論」と呼ぶ論者もいる。 だ。
これは私もよく出くわす主張だ。多くの環境保護活動家の間では、これがデフォルトの立場になっているようで、緑の党の公約でもある。しかし、残念ながら問題の診断と解決策の処方の両方が誤っている。PM(ポジティブ・マネー)は、貨幣と銀行業についてより広範な議論を展開しているが、完全準備銀行制度はその一部である。(ヒッケルはPMの一員ではないが、彼の記事はPMによってソーシャルメディア上で宣伝され、同様の主張はPMのウェブサイトでも見ることができる。)
PMの分析は、現代経済における貨幣は、そのほとんどが民間銀行(private banks)によって発行されているという観察から始まっている。私たちが思い描く貨幣(money)のほとんどは、物理的な現金ではなく、リテールバンク(小売銀行)の顧客預金(customer deposits)だ。さらに、銀行が貸付を行うのに誰かが先に現金を預けておく必要はない。むしろ、銀行が貸付を行うとき、貨幣は「無から生まれる」のである。銀行貸出は、システム内の貨幣量を増加させる [2] … Continue reading 。
これは事実である。そして、ポジティブ・マネーが正しく指摘するように、そのメカニズムも意味合いも広く理解されてはいない。しかし、PMは一般の人々の理解を深めるような努力はほとんどしていない。問題を明確に説明する代わりに、この貨幣創造(money creation) [3]「信用創造」との訳語が当てられがちだが、ここでは文字通り「貨幣創造」と訳すこととする。 のプロセスに不必要な神秘主義的な空気を吹き込んでいる。
これは理解し難い話ではない。J・K・ガルブレイスの有名な洞察のとおり、「銀行が貨幣を創造するプロセスはあまりに単純なので心理的に受け付けないのだ。これほど重要なものには、より深い謎があるに違いないと思ってしまう」。
大抵の人にとっては、貨幣というのは形あるもの、触れられるもの、実体のあるものに見える。ほとんどの人にとって、貨幣は、あるいは貨幣がないことは(圧倒的ではないにしても)生活上の重要な制約になっている。何もないところから貨幣が作り出されるなんてことがありえるだろうか?悪い冗談にも程があるのでは?と。
これはペリー・メーリングが言うところの「実物崇拝(fetish of the real)」や「錬金術的抵抗」につながる。人々は本能的に騙されたと感じ、地に足つく場所へ戻ろうと模索する。ポジティブ・マネーはこの種の不安を利用するが、彼らの通貨・金融システムの仕組みについての説明は不正確なもので、かえって混乱を深めている。
「実物崇拝」は何も新しい概念ではない。経済学者は何世紀にもわたって、金融システムから「実物」経済(’real’ economy)を切り離そうとしてきた。厳格な「金融引き締め」策は、政治的右派の自由市場経済学者が主張するケースが一般的である。一方、集産主義に傾倒する経済学者は、金融規制の緩和を支持してきた。その理由の一つは、右派がインフレーションをマクロ経済の重要な危険因子と見なし、左派が失業をより懸念する傾向があるためである。
PMによる主張の青写真となった原案は「シカゴ・プラン」として知られているが、これは〔現行の〕「部分準備銀行制度」(fractional reserve banking)を「完全準備銀行制度」(full reserve banking)に置き換えることを主張したシカゴ大学の経済学者グループにちなんで命名された。これが何を意味するのか理解するには、以下のバランスシート(賃借対照表)を見てほしい。
この表は、銀行のバランスシート上の資産と負債を様式化したものになる。資産側では、銀行は顧客に対する貸付金(loans)と「準備預金残高」(reserve balances)(略して「準備預金」〔reserves〕)を保有している。後者は、中央銀行(例えば、英国ではイングランド銀行)に対する債権である。この準備預金残高は、銀行間で支払いを行う際に使用される。また準備預金は、要求に応じて中央銀行で現物である現金と交換できる。中央銀行のみが、(現物の現金と同様)これらの準備預金を創造・発行できるため、「マネーサプライ」のうち、国家の直接的管理下にある部分を形成している。
したがって、銀行にとって準備預金は、一般人にとっての預金と同様の役割を担っている。つまり、準備預金のおかげで銀行は要求に応じて現金を入手したり、イングランド銀行の個人口座間で直接支払いを行ったりすることができるのである。
負債側にあるのは、顧客の預金、つまり私たちが「貨幣」と考えているものだけだ。これらの預金は、2つの理由で増加することがある。顧客が銀行に現金を「預ける」と決めた場合、銀行はその現金を受け入れ(おそらく中央銀行の準備預金と交換する)、その顧客の預金残高を増やす。銀行のバランスシートの両側が同額増える。100ポンドの現金を預けると、100ポンドの準備預金が増加し、100ポンドの預金が増加することになる。
しかし、預金の増加のほとんどは、別の方法で起こる。銀行が貸付を行うと、上記の例と同様にバランスシートの両側が増加する。ただし、今回は「準備預金」ではなく「貸付金」が資産側で増加する。銀行が顧客に100ポンド貸し出した場合、「貸付金」と「預金」の両方が100ポンド増加する。他に変化がなければ、世の中の貨幣(預金)の量は100ポンド増える。つまり、貨幣は「無から生じた」ことになる。
ポジティブ・マネー(PM)の提案は、1930年代のシカゴ・プランのように、この貨幣を創造する〔民間銀行の〕権限を非合法化するものである。この提案では、銀行は貸付を行うことができない。銀行のバランスシートで認められる唯一の資産は「準備預金」となり、それゆえ「完全準備銀行」と呼ばれることになる。準備預金は中央銀行によってのみ発行されるので、民間銀行は貸付を行う際に新たな貨幣を創造する能力を失うことになる。
PMの提案のどこが問題なのだろうか。その答えとして、まずPMが解決しようとしている問題は何かと問う必要がある。PMのウェブサイトには、環境破壊、不平等、金融不安定性、まともな雇用の欠如など、いくつかの問題が挙げられている。ポジティブ・マネーは、通貨制度がこれらの問題にどのように寄与していると考えているのだろうか。次の引用と図は、ポジティブ・マネーのウェブサイトから引用したもので、議論の核心をついている。
「実物の」(非金融の)生産的な経済が機能するためには、貨幣が必要である。しかし、あらゆる貨幣は負債として生まれるので、その部門も機能するために銀行に金利を支払わなければならない。つまり、商店、オフィス、工場などの「実物」経済部門は、銀行部門に補助金を支払うことになる。経済に民間債務が増えれば増えるほど、貨幣は実物経済から金融部門に吸い取られていく。
これは、貨幣と銀行に関するPMの記述の中で、中心的な誤解を示している。「実物経済」が機能するには貨幣が必要であるーーよって、個人や企業は支払いを行うことができる。これは正しい。しかし、PMは、このお金を得るために、「実物経済」は銀行から借りなければならないとほのめかしている。そして、”銀行はこの貸付に金利を請求するので、結局は金利の支払いとして「実物経済」からお金を吸い上げることになる。この利払いをカバーするために、「実物経済」はさらに貨幣を手に入れなければならないが、それには〔さらに〕金利をつけて借りなければならない!”といった具合だ。
もしこれが貨幣システムの真の記述であれば、「実物経済」の銀行に対する負債は制御不能なほど膨らみ、システムは何十年も前に崩壊しているはずだ。PMは本質的に、ピラミッド式の制度を記述している。彼らの言う「無限成長」という語り口との関連も明らかだーー「実物経済」は、銀行を養うためだけに、より多くの生産物を生み出すことを余儀なくされ、その過程で環境を破壊している、と。
しかし、この引用も図も正確さを欠く。これを示すには、下の図を見てほしい。この図は、上記のようなバランスシートを持つ銀行と、ジャックとジルという二人の個人を表している。ここでは2つのステップが示されている。最初のステップでは、ジルが銀行から貸付を受ける。銀行は貸付をすることで新しい貨幣(預金)を作り出す。第二のステップでは、ジルはこの貨幣を使ってジャックから何かを購入する。ジャックは預金を持ち、ジルは銀行からの未償還の借入金が残っている。銀行は2人の間に位置している。
ここでのポイントは2つある。まず、最終的な債権者(ultimate creditor)、つまりジルに貸出しているのは、銀行ではなく、ジャックになる。ジャックはジルに貸付していることになり、銀行は「仲介役」(middleman)として機能している。銀行は純債権者ではなく、ジルとジャックの間の仲介者であるーージルの融資を保証する重要な役割を担っているにも関わらずだ。ジルが支払いの約束を果たせなければ、ジャックではなく銀行が打撃を受けることになる。第二に、最初の貸付の決定は、ジャックではなく、銀行が行っている。ジャックとジルの間に入り、ジルの保証を銀行の保証に代えることで、銀行は、ジャックがまず貸出をしなくても、ジルが借入と支出をすることを可能にしたのだ。しかし、ジャックは預金を支払として受け取ることで、銀行に対して貸付も行っている。銀行預金は「貨幣」(money)として機能するだけでなく、預金保有者から銀行への貸付という貸借関係でもある。
したがって、銀行貸出の結果をより正確に表すと、次のようになる。
ジルには借入の金利が請求される。しかし、ジャックも預金の金利を受け取る。PMの図のように、金利の支払いは銀行への一方向だけには流れない。むしろ金利は銀行の中にも外にも流れる。これによって銀行は、上記2つの金利の「スプレッド」(差)で利益を得るわけだ。つまり、銀行はジルに対して、ジャックに支払う金利よりも高い金利を請求することになる。ここで言いたいのは、「銀行システムが(しばしば非生産的な活動や詐欺的な行為によって)多額の利益を得ることに深い問題がない」ということではない。むしろ指摘すべきなのは、銀行による貨幣(預金)創造は、ポジティブ・マネーが示唆するような問題を引き起こさないということである。
つまり、銀行は「実物経済」から際限なく収入を吸い上げているわけではない。とはいえ、支払いに必要なお金を得るために、誰かが金利を付けて借り、また別の誰かが貸さなければならないことに変わりはないのではないか?
なぜこれがミスリードなのかというと、貨幣がどのように創造される(created)かだけでなく、どのように破壊される(destroyed)かも考える必要があるからだ。銀行が貸付をすると、新しい貨幣が生まれることはすでに説明した。しかし、その逆もまた然りで、借入金が返済されると、貨幣は消滅する。例えば、上記の手順の後、ジャックが次にジルから何かを買うと、預金はジルの所有に戻り、彼女は借入金を返済することができる ーーその過程で貨幣は消滅する。
一つには、ジルはジャックに商品(例えば携帯電話や自転車)を売る代わりに、ジャックにIOUを「売る」ことが考えられる。つまり、二人の間の私的な融資契約だ。この場合、ジルは銀行に対し借入金を完済し、ジャックからの直接借入に置き換えることができる。これによって、バランスシートは次のとおりになるだろう。
注意すべきは、ジルが借入金を返済した後、銀行はもはや関与せず、ジャックとジルの間には直接的な貸借関係だけが存在することである。
このようなメカニズムの運用は、現代経済では常に起きていることである。個人は銀行預金を他の金融資産と交換したり、賃金の一定割合を年金制度に支払ったりしている。実際、ノンバンクの金融仲介の量は、銀行貸出の量を上回っている。つまり、個人の利付き金融商品に対する需要が、決済手段としての銀行預金に対する需要を上回っているのである。支払いに貨幣が必要だから銀行が貸付を強要できるのではなく、逆に人々は貨幣を除去して(getting rid of money)他の金融資産と交換することで、将来のために貯蓄をするのである。
システム内の貨幣の量は、PMの勘定が示すように銀行貸出によって決まるのではない。企業が借入、雇用、投資を行い、労働者が賃金を受け取り、消費、貯蓄を行い、金融システムが株式・債券市場、年金基金、その他のノンバンクの仕組みを通じて貯蓄者と借り手を直接マッチングした後の顧客口座に残っている預金残高ーーこの残差が貨幣量を決定する。
つまり、貨幣論が間違っているのである。では、「利付きの貸出は際限なき経済成長を必要とする」という主張はどうだろうか。
経済成長は、人口増加と一人当たりの生産高の増加という二つの要素に分解される。過去100年ほどの間、世界のGDPは年率3%程度で成長してきたが、この2つの要素で均等に分けられており、約1.5%は人口増加によるものであった。人が増えたから経済が成長しているのである。これは銀行貸出によるものではない。さらに、予測によると世界の人口は2050年頃にピークに達し、その後出生率の低下により減少に転じる。
一人当たりの生産高の増加はどうだろうか。これもまた、答えはノーである。利付きの貸出と経済成長の間には、単純に機械的な関連性はない。金利の流れは、あるグループから別のグループへ、つまり借り手から貸し手へ所得を分配する。政府の課税や社会保障費も同じような役割を担っている。他の機能の中でも、利付きの貸し借りは、人々が現役時代に金融債権を蓄積し、退職後にそれまでに得た富を消費して収入を得ることを可能にするメカニズムを提供する。 このメカニズムは、ゼロ成長あるいはマイナス成長と完全に両立する。
むしろ、過剰な貸出は長期的には経済成長を低下させる可能性が高い。大幅な信用拡大や破綻の後では、家計や企業が負債を返済するために支出を減らすので、経済成長は落ち込む。
仮に経済成長を低下させたいとしても、そのために金融手段を用いることは非常に悪い考えであることは歴史が教えている。1980年代初頭のマネタリストの実験において、サッチャー政権はまさにこれを試みた。表向きはインフレを抑えるために通貨供給量の増加を制限したのである。その結果、300万人が失業する不況となった。
奇妙なことに、PMには、環境に関する主張があるにもかかわらず、生産と雇用の増加を誘発するために金融メカニズムの使用を可能とする方法についての主張も見られる。「グリーンQE(量的緩和)」や「人民のQE」と呼ばれるこれらの提案は、政府が新たに貨幣を発行し、それをインフラ支出に充てるべきだというものである。
政府のインフラ支出を増やすことは間違いなく良いアイデアだ。しかし、それを実現するために金融システムを変える必要はない。公共部門はこれまで通り、国債を発行して支出を賄えばよいのである。(この文章は、現代貨幣理論〔Modern Money Theory〕派の怒りを買うことは必至だが [4] … Continue reading 、ここでその議論に脱線することは避けたい。)
さらに、QEを新たに印刷された貨幣(printed money)を政府支出に使うことを混同しているのも、ポジティブ・マネーによる手口の一例である。QEが行うのは、ある種の金融資産を別のものと交換することーーつまり、中央銀行が準備預金を国債と交換することである。これは政府の投資支出とは異なる種類のオペレーションである。しかしポジティブ・マネーは、銀行にタダで貨幣を渡すことと、医療や教育に貨幣を支出することのどちらかを選ぶかのようにこのケースを提示しているが、実際はそうではない。また強調すべきは、政府支出を支払うために貨幣を印刷する(printing money)ことは、完全準備銀行とは全く異なる政策提案であり、それ自体はインフラ支出を増加させることに何の影響もないことである。ところがこのことが分かりにくいのは、PMが両方の提案を「ソンブリン・マネー(主権貨幣)」と表記してしまっているためだ。
同じことが、PMが提起した他の問題(不平等、過剰債務、金融不安定性)についても言える。いずれも緊急に取り組むべき深刻な問題だが、PMの間違いは、これらの問題を簡単に解決できると約束することである。完全準備銀行によって解決されるものはなく、それどころか、いくつかの問題を悪化させる恐れがある。例えば、預金発行銀行に焦点を絞る(ナロー)ことで、投資銀行、ヘッジファンド、保険会社、マネー・マーケット・ファンド(MMF)、その他多くの金融システムを検討対象から外している。リテールバンクとこれら「シャドー」バンキング機関の関係は複雑であるが、「金融安定性」の焦点を前者のみに絞ることで、PMの提案は、規制の厳しいリテールバンキングから規制の緩いセクターへと、リスクテイク活動をシフトさせる恐れがある。
PMが完全準備銀行を正当化するもう一つの理由は、貨幣を発行すること自体が利益を生むということである。銀行から貨幣創造の権限を奪うことで、政府が代わりにこの利益(「シニョリッジ」と呼ばれる)を得ることができる。
財務省は、銀行券の発行益だけでなく、電子マネーの発行益も得ることができるため、政府財政は活性化する。銀行券の発行益は、過去10年間で167億ポンドも財務省の収入になった。しかし、銀行に電子マネーを作らせることで、財務省は何千億ポンドもの潜在的な収入を失い、結局は納税者がその差額を補填している。
これは誤りである。上で説明したように、銀行は預金金利と貸付金利の「スプレッド」(金利差)で利益を得ている。貨幣を発行する行為そのものが利益を生む理由はない。上記の引用文にある167億ポンドという数字がどこから出てきたのかは、出典が示されていないため不明である。(マーティン・ウルフはこの立場を支持しているように見えるが、〔彼の言う利益は〕むしろ金利スプレッドや手数料などによる一般的な銀行の利益を指しているようである)。
上記のことは、現在のシステムに問題がないことを意味するものではないし、実際には多くの問題がある。銀行はあまりにも大きく、システム上あまりに重要かつ強力である。銀行の力の一端は、国家による保証や支援によってもたらされる。すなわち、預金保険、中央銀行の「最後の貸し手」としての機能、そして最終的には、銀行が利益を求めてリスクを取りすぎた結果、損失が生じた場合の納税者による救済である。QEは、2008年の金融危機の継続的な影響に対処するためのマクロ経済的手段としては不十分であり、この対処には政府支出が必要である。また、QEには富の不平等を拡大させるなどの悪質な副作用がある。国家は、より実質的な行動の変化を確実にするレバレッジとして、銀行に証明された保証を使用するべきだ。
ミルトン・フリードマンは、原案となったシカゴプランの支持者であり、1980年代初頭のマネタリストの実験の背後にある知的な力であった。彼はまた、ルーズベルトのニューディール政策に深く反対していた。これは、大恐慌の間、経済を復興させることを目的とした政府の借入と支出のプログラムである。フリードマンは、ニューディールを「誤った診断による誤った治療法」と表現している。彼の考えでは、1930年代の問題は、銀行破綻によるマネーサプライの縮小が原因である。PMと同様、彼は単純な金融解決策を支持した。FRBは銀行破綻の影響を打ち消すために貨幣を刷る(print money)べきだというのだ。
フリードマンはニューディールについて間違っていた。しかしフリードマンの言葉は、彼に触発されたポジティブ・マネーの金融解決策にはぴったりだ。この方法によって、彼らはまともな仕事の欠如、不平等、金融不安定性、環境破壊といった複雑な問題の数々を解決しようとしているのである。これらの問題の原因は、誤った金融システムよりも深いところにある。単純な即効性のある解決策はないのだ。
PMは、金融システムに焦点を当てたとき、問題を誤って診断している。完全準備銀行は、誤った診断による誤った治療法なのだ。
Jo Michell, “FULL RESERVE BANKING: THE WRONG CURE FOR THE WRONG DISEASE”, CRITICAL MACRO FINANCE, Jan 18, 2017
References
↑1 | 一般的には「ナローバンク論」とも呼ばれ、また「公共貨幣論」、「信用創造廃止論」と呼ぶ論者もいる。 |
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↑2 | ここでいう「貨幣量の増加」という記述には注意が必要である。政府支出による貨幣創造は、システム内のIOU(貨幣)の「純増」、つまり民間の純金融資産の増加をもたらすが、銀行貸出の場合は、預金=貨幣が増えると言っても、それはあくまで預金と借入金というIOUの「交換」であって、システム内のIOU(貨幣)の「純増」をもたらすわけではない。銀行貸出によって預金が増えても、民間の負債(IOU)の交換では民間の「純」金融資産は不変である。 |
↑3 | 「信用創造」との訳語が当てられがちだが、ここでは文字通り「貨幣創造」と訳すこととする。 |
↑4 | MMTの理解では、政府支出自体が通貨を発行するオペレーションであり、国債の購入は政府支出が創造した準備預金を利子付きの証券に交換するオペレーションであって、国債が政府支出を賄うというのは順序が逆である。 |