ポール・クルーグマン(Paul Krugman)が『The Return of Depression Economics』(邦訳『世界大不況からの脱出』)で巧みな比喩を持ち出している。
講堂に備え付けてあるマイクとスピーカーは、フィードバック・ループの製造機だ。マイクに拾われる音は、スピーカーによって増幅される。そして、スピーカーから出る音もマイクに拾われて、スピーカーによって増幅される。講堂が音をあまり反響しない造りになっていて、スピーカーの(音量を調節する)つまみがそこまで右に回されていないようなら、音は増幅されずに徐々にしぼんでいくので、これといって問題は起きない。しかし、スピーカーのつまみがほんのちょっとでも右に回され過ぎてしまうと、音が爆発的なまでに増幅されてしまうことになる。ほんの些細な音でもマイクに拾われて増幅され、それがまたマイクに拾われて、瞬く間に耳をつんざくような爆音が轟(とどろ)き渡ることになってしまう。言い換えると、フィードバックそれ自体が問題なのではなく、フィードバックの量的な大きさが問題なのだ。
突然起こる危機の比喩――フィードバック・ループが発動した結果として、突如として耳をつんざくような爆音(=危機)が起きて、みんながびっくりさせられる―― として巧いというだけでなく、他にも示唆していることがあるように思える。
危機の「原因」を探すのは、あまり意味がないかもしれない。X, Y, Z(+α)が危機の源泉だと仮にしても、フィードバック・ループが発動してしまっているようなら、X, Y, Zを問題にしても意味がないかもしれないからだ。・・・なんてことも示唆してるんじゃなかろうか?
〔原文:“This one Goes to Eleven” [1]訳注;原タイトル――“This one Goes to … Continue reading(Marginal Revolution, December 17, 2008)〕