デヴィッド・レオンハート(David Leonhardt)がニューヨーク・タイムズ紙で定期的に執筆しているコラムは大のお気に入りなのだが、彼が最新のコラムでナチス・ドイツの財政政策について下している解釈には諸手(もろて)を挙げて賛成するわけにはいかない。レオンハート曰く、
ドイツ――ナチス・ドイツ――は、景気刺激プログラムにどこよりも積極的だった。軍備が増強され、アウトバーン(高速道路)が拡張され、1936年開催のベルリン・オリンピックに備えてスタジアムが建設され、党関連の記念碑がミュンヘンからベルリンにかけてのあちこちに建てられた。
とは言え、これらの大規模な公共事業の経済的な恩恵にあずかることができた労働者というのは、ごく一部に限られていた。お上(ナチスの上層部)が団体交渉に寛容とは言えなかったからである。しかしながら、ドイツは大恐慌からいち早く抜け出した。企業は儲けに儲け、失業は減りに減った(強制労働のおかげで・・・というわけではない。強制労働が広まったのは、後日の話だ)。経済史家のハロルド・ジェイムズ(Harold James)が語るところによると、1930年代にケインズ(John Maynard Keynes)に弟子入りした若手のリベラルな経済学者たちの間では、ヒトラーが失業を克服してしまったのかどうかというのが討論の対象になったという。
読み違えていないようなら、「ナチスによる財政政策は功を奏したが、当時のドイツは富の分配の面で問題を抱えていて格差が拡大する方向に向かった」というのがレオンハートの言わんとしていることだと思う。それに対して、「ナチスによる財政政策は功を奏さなかったし、当時のドイツは富の分配の面で問題を抱えていて格差が拡大する方向に向かった」というのが私の言い分だ。
ナチスが政権を握った1933年の時点では、ドイツの軍事費(軍事支出)の対GDP比は2%にとどまっていた。その後、その値は着実に上昇を続け、1940年の時点で44%に達した。この間にGDPの計測値は高まったが、その分だけ福利が増進した(という意味で豊かになった)かというとそういうわけじゃない――ヴェルサイユ条約を破棄することによって、ドイツは国家として得るものがあったろうけれど――。企業にしても資本家にしてもそうだ。パイの公平な分け前にありつけなかったのは、労働者だけじゃないのだ。ナチスによる財政政策は、経済の真のパイ(民生品の量)を増やしはしなかったのだ。アルブレヒト・リッチュル(Albrecht Ritschl) のこちらの論文(pdf)では、この間のドイツの実質GNPの推移が跡付けられているだけでなく(24ページのグラフを参照されたい。当時のドイツの実質GNPをできるだけ正確に算出するための手法については、3ページ以降で詳しく論じられている)、ナチスによる財政政策の効果について悲観的な結論が導き出されている。アブストラクト(要旨)に内容がうまくまとめられているので、引用しておこう。
本稿では、ナチス・ドイツにおける財政赤字の拡大(歳入を上回るほどの歳出の拡大)および雇用創出プログラムが景気回復に及ぼした効果を検証する。ナチスが政権を握ってから4年の間に、財政赤字がかなりの額に膨れ上がった一方で、完全雇用が達成されもした。しかしながら、当時の国家予算の詳細が記されている公文書に照らして構造的財政収支(完全雇用が達成されたと想定した場合の財政収支)を推計してみたところ、その(前年比で測った)増減によっては景気回復のペース(GNPの変動)を説明し切れないようである。構造的財政収支の増減幅があまりに小さいのである。さらには、財政政策および金融政策がGNPに対してどんな効果を及ぼしたかをVAR(ベクトル自己回帰)モデルを用いて推計したが、積極的な財政・金融政策(財政出動、金融緩和)が景気回復局面で果たした役割は些細なものでしかなかった可能性が示唆されている。ナチスは、再軍備を急ぐのと引き換えに、民需(民間の需要) を意図的に抑えつけた。国家予算のうちで再軍備のために投じられた額(軍事費)は、雇用創出プログラム(民生部門での雇用を創出するために設けられたプログラム)に投じられた額を1934年の段階で既に凌駕していた。アウトバーン(高速道路)の建設にしても、景気回復局面においては些細な規模にとどまっており、本格化したのは完全雇用の達成が目前に迫っていた1936年になってからだった。1936年以降も積極的な財政・金融政策が継続されたおかげで、景気後退に逆戻りしないで済んだ可能性はあるかもしれない。1936年の後半になって打ち出された四カ年計画(第二次四カ年計画)によって、歳出(政府支出)が大幅に拡大されると同時に、国家による経済統制が強化されたが、VARモデルを用いた分析によると、第二次四カ年計画がGNPをいくらか高める効果を持った可能性が見出されている。
フランク・マクドノー(Frank Mcdonough)によると、1930年代のナチス・ドイツで成し遂げられた経済成長の主因は軍事支出の拡大に求められるとのこと。とは言え、繰り返しになるが、経済の真のパイ(民生品の量)が増えたわけじゃない――物質面での生活水準が高まったわけじゃない――ので、真の意味での経済成長とは呼べない。当時(1933年~1938年)のドイツの家計部門における消費(個人消費)の実態についてはこちらの論文で詳細が手際よくまとめられているが、やはり悲観的な結論が得られている。雇用が急拡大したというのは確かだが、民生品の消費だったり生産だったりも同じくそうだったかというと違うようなのだ。軍需部門で生み出された雇用の中には、一方のグループから別のグループへとお金を移転させるだけに等しくて、経済的に価値あるものを大して生まない閑職もあったようだ。
企業部門に目を転ずると、こんな話がある [1]訳注;リンク切れ。
興味深いことに、1929年から1938年までの間にドイツ経済の生産性はわずか1.3%しか高まっていない。同期間における英国経済の生産性の伸び率の半分くらいでしかないのだ。
生産性に関する統計というのは色んなことを意味し得るが、当時のドイツの企業部門は順風満帆だったとは言えそうにない。
「ナチスによる財政政策が功を奏さなかったのは、家計部門の消費(個人消費)が抑圧されたせいであり、それゆえに現代的な意味でのケインズ主義的な財政政策とは呼べない」という言い分も成り立つかもしれない。その言い分を飲んだとしても、ナチスによる財政政策が功を奏さなかったらしいことに変わりはない。今回のエントリーで「とどめの一撃」となるような証拠を突きつけることができたとは思っていないが、ナチスによる財政政策についてはレオンハートよりも評価がどうしても辛く(からく)なってしまうのだ。
ナチスによる財政政策については過去にこちらのエントリー〔拙訳はこちら〕でも話題にしているので、あわせて参照されたい。
〔原文:“The fiscal economics of Nazi Germany, part II”(Marginal Revolution, April 2, 2009)〕
References
↑1 | 訳注;リンク切れ |
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