メディアの未来についてちょっと考えてみたこと
この記事はクリス・ベストの見解を反映するものではない.執筆者に名前を入れているのは,動画チャットの方に出てくれているからだ.
先日,Substack の CEO クリス・ベストとおしゃべりをした.動画は上に貼り付けてある.話題は,メディアの未来だ.もっぱら,みんながニュースや分析をどうやって共有しているのかってことが議論にのぼった.かつて,突発的なニュースや議論を見つけようと思ったら X(旧 Twitter)にいけばなんでも間に合った.いまや,X がかつての有用性を大きく失ってしまってる点については,ぼくら2人は同意見だ.そして,Substack がその役割を引き継げそうな方法についても,いくらかアイディアを話し合った.
このおしゃべりを収録したすぐ後に,X が部分的につながらなくなる障害が起きた.べつに,すごく珍しいことでもない――障害なんて次から次に起こるものだ.ただ,今回はひと味違うことがあった.X が復旧するまで,ぼくは障害にそもそも気づきもしなかったんだ.かつては起きてる時間のけっこうな割合を消費していた X,そして,かれこれ10年以上もぼくの論説ライターとしてのキャリアを可能にしてくれた X が,いまはもうぼくの情報摂取にとってすっかり重要でなくなって,使えなくなってることに気づきもしないほどになってしまった.
アメリカのメディア状況では,重大な転換が進行している.通例,メディアに関する議論といえば,地方紙の問題か,『ニューヨークタイムズ』みたいな企業の旧メディアの問題に関心が集中する [1] … Continue reading .ところが,2010年代に,アメリカ全土でソーシャルメディアが――とりわけ Twitter というただ一つのメディアが――他のどんなコンテンツクリエイターよりも重要な情報摂取源になった.
2011年にはじめて Twitter にやってきたときのことをいまも覚えてる(もっと早くからやるべきだったんだけど).あそこは「マイクロブログ」サイトだよ,という話に聞いて,てっきり自分が馴染んでいたブログの小さいバージョンみたいな感じなんだろうなと思いながらログインしてみたら,そこはもうまったくの混沌だった.フィードには,およそ考えうるかぎりの多種多様なコンテンツがごたまぜになって流れてきた――ジョーク,ニュース記事,ミーム,ふとした思いつき,筋道立てた論稿,ブログ記事へのリンク,罵倒,などなど.Facebook や YouTube など他のどこのソーシャルメディアよりも,Twitter は世界まるごとをもってきて喉奥に流し込んでくるように感じられた――これに比肩することなんて,ウェブそのものの誕生くらいしかなかった.
ドパドパと流し込まれてくるフィードにいくらか秩序らしきものをもたらすのに,何年もかかった.そのときまでに,Twitter は全米にとっての「街の広場」としての地位を固めていた――ネットのあちらこちらに散らばっていた掲示板やチャット欄やコメント欄で行われていた何百万ものおしゃべりが,Twitter というひとつの場所に集約された.Twitter では,誰にでも出会えるし誰からでも注目を集められるし,世界で起きている重大な出来事にも参加できるような気がした.情報源としての Twitter に匹敵するものは他になかった――街を歩いていて,向こうの方でもくもくと煙が上がっているのを見かけたら,パパッと Twitter で検索すれば,ものの数分でそれがテロ攻撃なのか火事なのかわかった [2]たいていは民家の火事だったけれど,一度だけ,パリでテロ攻撃だった場合もあった. .
他のどこの議論プラットフォームにも勝る Twitter の優位点は,その過激なまでの開放性だった.Twitter では,そのネットワークのどこにいる人だろうと許可なしにいきなり話しかけられた.リプライをすれば,相手の通知欄に自分が表示された.いちいち許可を求めなくても,他人がやっている議論にいきなり飛び込んでいけたし,それを蹴り出す権限は誰にもなかった.あっちの界隈とこっちの界隈,あっちのおしゃべりとこっちのおしゃべりとを隔てる壁も間仕切りもありはしなかった.モデレーションも,フィルターも,プライバシーも,組み込みずみの序列もなかった.まるで,世界が一体になった集合精神まであと一歩のような感じがしていた.
ある程度まで,2010年代の社会不安は,この Twitter というただひとつの議論プラットフォームから直にもたらされた結果だったのかもしれない.ただ,どの程度までそうだったのかは,まだわかっていない.それまで何十年もお互いの相違点にこだわり,似たり寄ったりの考えの持ち主どうしで固まってあちこちに分散していた国が,いきなり,ひとまとめに一つの小さな部屋に放り込まれた――サルトルの『出口なし』の登場人物たちと同じように,ぼくらにとってもその結果は地獄めいていた.
いろんな研究によれば,Twitter のリツイート方式によって力を増幅され得をしたのは,ぼくらの社会でもとりわけ嗜虐的で機会主義的なアジテーターたちだったようだ.社会に混乱をもたらしてやろうとのぞむこの手の人たちは,かつてなら地理的に他の人たちから隔てられていたり伝統的なメディアに出られなかったりして,思うとおりにはできなかった.それが Twitter のリツイートで力を得たわけだ.他方で,研究によれば,普通の人たちにも有害な行動をとるインセンティブが働いていたそうだ――まんまと誰かを炎上させたり,誰かを「主役に仕立て」たりできたら,Twitter というプラットフォームはその報酬としてフォロワー増加や「いいね」というかたちで社会的な地位をもたらす.キャンセルカルチャーは,ほぼまるごと,Twitter がつくりだした生命体だ―― Twitter で怒られが発生するのを恐れる気持ちによって,いろんな企業その他の組織は,従業員への処罰を要求する群衆の意志にしたがっていた.
けれど,こういう混沌をもたらす影響力にもかかわらず,Twitter は不可欠のツールだった.Twitter を開けば,他のほぼあらゆる掲示板やブログやチャットグループよりも豊かで眼識があって興味深い会話が世間のいろんな物事について交わされていた.Twitter は,有名人も含めていろんな人たちや人脈と出会う機会をたくさん提供していて,その点も他に比肩するものがなかった.ブロガーにとっては,Twitter こそが自分のコンテンツを広める最重要手段だった.ジャーナリストにとっては,万事の編集デスクになっていた――「Twitter で起きていないことなら,報道する値打ちなし」という感覚があった.
選挙や抗議運動や戦争や災害など,いろんな出来事のさなかに,Twitter はこれまでで断トツに迅速で最良の最新情報源だった.なぜって,とにかく身の回りで起きたことをみんなに伝えてこのプラットフォームで社会的な地位を得ようと誰も彼もが競い合っていたからだ.Twitter は,みんなの給湯室だった――そこに行けば,時代精神を測ったり,国民の気分を計ったり,議論されている最重要の話題を見つけ出したりできた.Twitter では,いろんな分野の教授たちが物事を講義してくれた.若者は,ジョークやミームを浴びせかけてくれた.Twitter はノートアプリでもあり,演説台でもあり,チャットアプリでもあり,ふとした思いつきの集積所でもあった.これまでにぼくが使ったどんなソフトウェアよりも中毒性があって,没頭しやすくて,とんでもない時間泥棒だった.
それが,いま死につつある.
イーロン・マスクがこのプラットフォームを我が物にして “X” に改名していらい Twitter 利用が減少していることを示すデータはたっぷりある.たとえば:
Edison Reearch の研究によれば,X こと旧 Twitter は,2023年から2024年にかけて利用が 30% 減少している.Edison Research が実施したさらに大きな研究に含まれているこのデータによれば,アメリカ総人口のうち2022年~2023年に X を利用していたと回答した人々は 27% だった.2024年になって,この数字は 19% に低下している.
あるいは:

さらに:
SimilarWeb のデータによれば,(…)[2024年の]選挙に向けた準備期間に,X は継続的に日次アクティブユーザーを失っていった.10月の31日間で,X は30万人から260万人の日次アクティブユーザーを失っている.10月初めいらい,日次アクティブユーザー数は 3,200万人から 2,960万人にまで減少した.実に 8.4% の減少だ.(…)アナリストたちによれば,2025年に入ってからもこのまま X のユーザー減少は続くと予想されている.
通説では,マスク当人のせいでこのユーザー大量離脱が促進されたんだと語られている.マスクの右派政治,ゆるいモデレーション基準,プラットフォームの様々な変更,マスク本人がしょっちゅうやらかす愚行のせいで,ユーザーたちが X から出て行ってしまったと,よく語られている.ただ,それもたしかに事態の一面をとらえているけれど,Twitter の衰退はイーロンがここを乗っ取るよりもずっと前から始まっている.2022年までに,Twitter を利用するティーンエイジャーの割合は大きく低下していた.2010年代中盤にはティーンエイジャーの3分の1が利用していたのが,4分の1を下回るまでに減っていた:

若者がいなくなると,プラットフォームは寂れていく.Twitter 初期にぼくが謳歌していた文化的な活力は――ジョークやミームや日々のちょっとした出来事の話は――2014年ごろからしだいに消えていってしまった.どうしてそうなったのか,理由はぼくにはよくわからない.もしかすると,引用リツイート導入後にプラットフォームの基調が前より陰気で攻撃的に変わったせいかもしれない.あるいは,どこのプラットフォームよりも他人に開放されている Twitter でふとした思いつきを書き付けていると,招かれざるネットの厄介者連中の目に自分のツイートがとまってしまって,つきまとわれてしまうと,我が身にとんだ面倒ごとがふりかかってくることがあるのを,手痛い教訓から学んだのかもしれない.
あるいは,たんに Twitter というプラットフォームの形からすっかり新鮮味がなくなってしまって,若い人たちはもっと新しくて面白い場所に移っていったのかもしれない.若者ってのは,だいたいそういうものだ.ただ,どれが事実であろうと,もたらされた結果は同じだ――Twitter のことを全世界にとっての「街の広場」ではなくニッチなコミュニティだとみる世代が育ってきた.Twitter は,かつてのミレニアム世代にとっての MySpace みたいな場所になってきた.
ともあれ,Twitter ユーザーがガクンと減ったからといって,マスクの痛手になるかといえば,そうともかぎらない.最近,マスクは自らの xAI 社に X を買収させた.その金額は,元々マスクが Twitter を手に入れるときに支払ったのとだいたい同じくらいだった.そして,この買収にはそれだけの値打ちがあるかもしれない―― xAI は,X がすでに所有している訓練データのレポジトリから投資資金を回収できるかもしれない.ただ,そもそも Twitter のようなプラットフォームを重要にしていたネットワーク効果は,ユーザー減少とともに弱まる.「ネットワークの価値はユーザー数の2乗に比例する」というメトカーフの法則は,増減のどちら向きにもはたらく――ネットワーク規模が小さくなれば,その初期段階でいちばん大きな価値低下が起こる.
X の中核的な用語はたくさんあるけれど,そのどれをとっても,日を追って弱まってきている.X は,もはや知的な会話の場ではない――とびきり賢いユーザーたちの多くは,すでにこのプラットフォームを去ってしまっている.おかげで,リプライの大多数を占めているのは,活動家やネット荒らしや暇を持て余して通りすがりに決まり文句を投げつけていく人たちばかりだ.そう,それにボットどももいる――それはもう,うじゃうじゃと.
ユーザー大量離脱にともなって,X は国民の雰囲気を推し量る場としても前よりずっと役立てにくくなった――というか,いま国民がなにを話題にしているのかを把握するのにすら,前ほど役立たない.ユーザー離れは,特定のグループたちに集中していた――進歩派,若者,マイノリティなどのユーザー減少が大きかった.そのおかげで,このプラットフォームは国のありさまをかつてほど統計的に代表しなくなっている.そのために,ジャーナリストにとって X は「編集デスク」としての価値が下がってしまっている.なぜって,重要で意義のある物事の多くが,このプラットフォームで議論されなくなってきているからだ.
まだ X はメッセージ・アプリとして役に立ってはいる―― Twitter 全盛期にできたいろんな人たちとのつながりの多くはいまでも生きてるし,X のダイレクト・メッセージ (DM) でしか連絡のとりようがない人たちも多い.でも,そういう人たちが X のアカウントをチェックする頻度はどんどん減ってきているので,X のメッセージ機能もゆっくりと価値を下げつつある.
また,マスクが X に行った二つの大きな変更によって,かつての用途がそこなわれている.一つ目の変更によって,2023年のはじめ頃,ユーザーがアプリを開いて目にするデフォルトの欄を「おすすめ」(”For You”) に変えた.「おすすめ」には,TikTok 式にアルゴリズムによって生成されたフィードが流れてくる.自分がフォローしている人たちのツイートが時系列に流れてくるタイムラインとはちがう.従来通りの「フォロー中」フィードにも切り替えられるけれど,切り替えない人たちは多い.マスクによる二つ目の変更では,外部リンクが格下げされた――Twitter 外の記事や動画その他のいろんなウェブサイトにリンクを貼るツイートは,「おすすめ」欄では抑制される.
この2つの変更によって,X はインターネット中から興味深いニュースや情報を集約する場として,前よりずっと役立たなくなった.いまでもみんなはリンクを貼っているけれど,そのときには初手のツイートでいったんリンクなしで一部抜粋を引用したりしてから,自分でリプライをつけてそっちにリンクを貼る.これによって,文章を他人に届ける場として X はいっそう劣化してしまった.
けど,たぶんなによりも大事な点として,他の理由と並んでこうした変更も大きな理由となって,X は速報ニュースを手に入れる場ではなくなってしまった.実際,最近のインドとパキスタンの紛争のあいだ,信頼できる即時情報を見つけるのはすごく難しかった.かわりに,CNN その他の従来型コンテンツ・ウェブサイトのリアルタイム更新ページに戻るはめになった.そっちの方が,X よりも満足できた.
速報ニュースを手に入れるのに X がかつてほど役立たない理由を理解するのは,実のところとても興味深いし,細やかな問題でもあると思う.かつての Twitter だったら,このプラットフォームで A) なんであれ身の回りで起きてることをリアルタイムでみんなに伝えたり,B) 他人のリアルタイム報告を促進したりする社会的なインセンティブがあった.ソーシャルメディアとは,ようするに人々が地位を手に入れようとするゲームだ.Twitter だったら,急速に展開している出来事を知っておくために他人が読む情報源になることで,注目を集め,フォロワーを増やし,「いいね」をつけてもらうことができた.だから,みんながそうした.
そのインセンティブが,いまや崩れつつある.新しいアルゴリズムによるフィードには,必ずしも新しい出来事についてのニュースが流れてくるとはかぎらない.逆に,かつてユーザー本人が興味を示した話題についてのツイートを表示することも多い.外部リンクがおすすめフィードに流れなくなったことで,速報の情報源をみんなに伝えようとしても,そのツイートは抑制されてしまう.そのため,急速に展開してる事態に関するとびきり事実に即していて眼識のあるツイートと,どこの誰が言っていても大差ない暴言も,いっしょくたになってしまう.全体的に,X のユーザー層が縮小していて,ツイートを見たりなにか反応を返したりすることもだんだん減ってきているなかで,新規フォロワーはつきにくくなっている. [3] … Continue reading
身の回りで起きてるどんなことでも報告することに X ユーザーが興味を失うにつれて,このプラットフォームの中核機能は瓦解していく――もはや,ここは速報を得る最初の場所ではなくなっている. ぼく個人の話をすれば,他のどんな理由にもまさって,まさしくその点こそ,ぼくが近頃 X で過ごす時間を大きく減らしている理由だ.
ただ,X が速報を得る場所ではもはやないとしたら,その役割を取りに行くチャンスが他の各種プラットフォームにめぐってくる.これは大いにありうる――ソーシャルメディアと AI の時代でありながら,CNN の2000年代そのまんまなアップデート・ページこそが速報を手に入れるのにうってつけだなんて,とんでもなく非現実的な話じゃないか.
有力候補をひとつあげると,Substack がその役割を奪えるかもしれない.かつてのブログ界の息を吹き返させてものすごく強化した Substack は,すでにニュース分析では最良の場になっている.速報の場にもなってよさそうなものだよね?
というか,それこそ,ぼくとクリス・ベストがおしゃべり配信で取り上げた話題だった(記事の冒頭に埋め込んである).つまるところ,ぼくらの考えはこういうものだ――「おそらく 2010年代 Twitter の「市民ジャーナリスト」をSubstack で再現するのはムリだろうけれど,リアルタイムの速報を専門にやる一種のブログなら立ちあげられるんじゃないか?――CNN のリアルタイム更新ページのインディ版ならつくれないか?」 それに,Substack は優れものの配信ツールを使って――日次ダイジェスト版メールや,Twitter 風の Substack Notes ツール,それにもしかすると速報フィードを集約する新しいツールも使って――レガシーメディアよりもずっとうまくやれるはずだ.
これが,基本的な着想だ.かつての Twitter がいっときだけ実現したような,世界中のみんなが関わる報道みたいなことはできないだろう.それでも,現地・現場にいる人や人力でニュースを集約してる人たちを大量に集約して増幅する場にはなれるだろう.これが,次の大ネタになるかもしれない――かつての Twitter のはかない魔法とちがって,速報を扱うときの Substack 式アプローチは,長期にわたって持続可能かもしれない.
ともあれ,Twitter/X にとってかわって,Substack やなんらかの用途に特化したツールが後釜に座った方が,社会にとってよいだろうと思う.つねづね言ってるように,インターネットは断片化した方がいい.街にただひとつきりの広場があっても,物理的な世界ではうまくいかない.同じように,デジタル世界でもそれは理にかなってない.2010年代には,アメリカまるごとが一箇所に集まっていた.それが,Twitter だった.でも,あちこちの Discord チャンネルやグループチャットやサブレディット,そして Bluesky, Mastodon, Substack Notes みたいな Twitter 風サービスにみんなのおしゃべりが万華鏡みたいに散らばっているいま,みんなが再び個人になる機会がやってきている――蜂の巣めいた集合精神にとらわれるのから解放されて.
それに,Bluesky その他の Twitter っぽいサービスのどれひとつとして,2018年に存在していたものを再現できそうにないとぼくは予想してる.Bluesky が存在してくれてるのはうれしいけれど,あれが世界を席巻して,街にただひとつの広場になるとは思わない:

そうじゃなく,いま起きてるのはこういうことだと思う――過激なまでに誰も彼もに開かれたああいう議論アプリは,実はインターネットに参加する方法としてイマイチだ.たしかに,長所はびっくりするくらいたくさんあったし,その最盛期にはちょっとした魔法を実現した.でも,そういう場は,ロクでもない参加者の悪さにあまりに弱すぎる.まだまだそういうアプリで他人に引用リプなんかでちょっかいをかけて楽しんでる人たちもいるけれど,多くの人たちは,もっと内輪に閉じた穏やかな議論やあまり耳目を集めることを優先しない分析に移っていってる.そういう人たちの行き先が,たとえば Substack のようなプラットフォームだ.
Twitter の時代になって,旧いレガシーメディアの時代は打ち壊された.その速度はあまりに速くて,起きてる最中には世間が気づかなかったほどだった.さて,その Twitter 時代も終わりを迎えようとしている.それでいて,この時代がなにをもたらしたのか,まだぼくらは理解もおぼつかない.さいわい,次に来る時代はもっとマシだろうとぼくは楽観している.
マット・アルトのコメント
3/11東北大震災/津波のときは,Twitter はまぎれもなく神の恵みのような存在だったね.でも,マスクが買収してからは,ぼくは使うのをやめたし,振り返ることもなくなった.それに,どこの代替サービスも Twitter ほどの傑出した存在にまで上り詰めないだろうって点も同意見:ニューズレターに切り替えてからは,どこであれ短文形式のソーシャルメディアに投稿するのは,まるで他人のビジネスを維持するためにやる企業の福祉かボランティア活動みたいに感じる.自分のアカウントを完全に削除していない理由はひとつだけで,日本語ユーザーはこれまでどおり活発そうに見えること,それだけだ.とくに,ポップカルチャーの界隈は相変わらず活発に見える.その理由がどこにあって,その界隈でどう物事が変わってきた(変わってこなかった)のかを検討するのは興味深そうだね.
Tran Huan Dao のコメント
Substack Notes は,とりわけ知的水準の高いソーシャルメディアとしてはほぼ X にとってかわったと思う.
Substack では,書き手と読み手のインセンティブが合致してる.人々の注意を最大限に引き寄せるのを目的にする広告本位の収益モデルは,ここにはない.クリエイターたちはすぐれた洞察をみんなに伝えようとしているし,読者たちはそのつもりで知見を消費している.たいてい混沌に溺れているインターネットの海では本当に珍しく,ここは平和な場所になっている.
X もまだとびきり重要な議論が起こる場所ではある――その規模,文化的な重要性,そしてきわめて成功している影響力のある人たちがいる場所であることから,そういう場所でありつづけている.けれど,純粋にシグナル対ノイズの比で言えば,Substack Notes こそが最上だ.
[Noah Smith, “The Age of Twitter is finally ending. Can Substack take its place?” Noahpinion, May 27, 2025]