タイラー・コーエン 「『ミツバチの会議』 ~ミツバチに学ぶ集団的な意思決定のノウハウ~」(2010年12月3日)

●Tyler Cowen, “Are bees more Bayesian?”(Marginal Revolution, December 3, 2010)


ミツバチ(の偵察蜂)たちが仲間内での議論を通じて総意に至るために採用している方法は、人間のとはだいぶ違っている。ミツバチにしても人間にしても、誰もが自分の案に拘泥(こうでい)して収拾がつかなくなるのを避けるためにも、仲間内(集団)で議論する必要がある。しかしながら、人間であれば、他に優れた案があることを悟(さと)るまでは、自分の案に見切りをつけようとしないのが大抵だが――そして、そうするのは賢明な判断でもあるが――、新しい巣の候補地を見つけてきた偵察蜂たちは、しばらくすると自分の案(自分が見つけてきた候補地)を売り込むのを自然とやめるのだ。図6.5と図6.9をご覧いただきたいが、新しい巣の候補地を見つけてきた偵察蜂たちは、しばらくすると口をつぐんで(自分が見つけてきた候補地の前で8の字ダンスをするのやめて)、後からやってきた仲間たちに議論の続きを委ねるのである。そのおかげで、速やかに総意に至ることができるのだ(図6.7を参照) [1]訳注;この後に、次のような文章が続く(第6章, 原書 pp. … Continue reading

言い換えると、ミツバチたちには「議論の場からの退出」――科学の進歩を促すプロセスの一つとして古くから知られているもの――を早めるようなアルゴリズムが埋め込まれているというわけだ。

冒頭の文章は、魅力溢れる一冊である『Honeybee Democracy』(邦訳『ミツバチの会議』)からの引用だ。著者は、トーマス・シーリー(Thomas D. Seeley)。本のホームページは、こちらこちらで書評されているが、優れた書評だ。その一部を引用しておこう。

最終章では、人間がミツバチから学べる「5つの教訓」がまとめられている。以下がそれだ。

共通の利害を有している者同士で集まる(集団を形作る)べし:この点に関しては、ミツバチたちの方が人間よりもかかっているものが大きくて切実だ。同じコロニーに属しているミツバチたちは一匹残らず血縁関係にあり、単独では生きていけないのだ。

上に立つリーダーが集団に及ぼす影響をできるだけ小さくすべし:この点から人間が学べることは多い。

問題に対する多様な解決策を模索すべし:多様性が集団に対して持つ意義に人間が気付き出したのは、ようやく最近になってからだ。

議論を通じて集団全体の知識の更新を図るべし:この点に関しても、ミツバチたちは人間よりも秀でている。偵察蜂たちは、自分が見つけてきた新しい巣の候補地がどんなに魅力的に思えても、「ダンス」する(自分が見つけてきた候補地を売り込む)のを徐々に抑える。その一方で、誰もが自分の案を押し通そうとして折れないせいで、結論にいつまで経ってもたどり着けない可能性があるのが人間なのだ。

できるだけ正確に、できるだけ早く、集団としての意見をまとめるために、「定数制度」――特定の案に対する支持者の数が定数を超えたら、その案を集団の総意とする――を利用せよ:ミツバチたちは、ギリシャ人よりもずっと前にこのことを実践していたようだ。感心するばかりだ。

コーネル大学で学部長を務めているシーリーは、これら「5つの教訓」を大学での会議に応用していて、かなりの成果を挙げているらしい。

激しくお薦めの一冊だ。

References

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1 訳注;この後に、次のような文章が続く(第6章, 原書 pp. 144~145;以下は拙訳)。「人間による集団的な意思決定の中にも、ミツバチたちが新しい巣を選ぶために交わす議論とそっくりなかたちをとる重要なケースが一つある。理論の取捨選択をめぐる科学者たちの集団的な意思決定がそれである。新しくて優れたアイデアが科学者たちの間で受け入れられていくのは、古い世代の引退ないしは死という『退出』を通じてである、とはよく指摘されるところだ。新世代の科学者たちは、旧世代の科学者たちが議論の場から『退出』する前に提示した説の一つひとつに慎重に耳を傾けて、一番真相を捉えているように思える説を選び出す。こうして新しい理論が勝ち名乗りを上げるわけである。世代交代に伴って、新しくて優れた理論(例. コペルニクス&ガリレオによる地動説)への支持が広まる一方で、古くて疑わしい理論(例. プトレマイオスによる天動説)が切り捨てられていくわけである。このプロセスを端的に述べているものとして頻繁に引用されるのが、マックス・プランクの次の言葉である。『科学の世界で新しい真理が勝ち名乗りを上げるのは、その真理に異を唱える者たちが説き伏せられて転向するからではない。異を唱える者たちが死に絶えるからである。新しい真理に慣れ親しんだ新しい世代が成長してくる(古い世代に取って代わる)からである』。年老いた科学者と偵察蜂とでは、違うところもある。年老いた科学者たちは、議論の場から去るにしても渋々とそうする傾向にあるが――死ぬまで去ろうとしないこともある――、偵察蜂たちは、議論の場からあっさりと去っていくのだ。このことで人間がほんの少しでもミツバチに倣(なら)うようになれば、科学の進歩ももっと早まるのではないかと思われてならない」。
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