●Mark Thoma, “Arrow, Edgeworth, and Millicent Garrett Fawcett”(Economist’s View, February 26, 2017)
ラジブ・セティ(Rajiv Sethi)のブログより。
“Arrow, Edgeworth, and Millicent Garrett Fawcett” by Rajiv Sethi:
先日亡くなったケネス・アローについては既にあれこれと語り尽くされていて、これ以上何か言えそうなこともこれといって見つからないのだが、個人的な思い出であれば一つくらいは付け加えられそうだ。
過去に1度だけだが、アローに会ったことがある。2008年4月にスタンフォード大学で開催されたカンファレンスに参加した時のことだ。そのカンファレンスのオーガナイザー(まとめ役)を務めていたのが、アローとマシュー・ジャクソン(Matthew Jackson)だったのだ。巨大な円卓の外側にぞろぞろと座る面々。アローは内側のスペースに入り込んで、発表者に向かい合うかたちになっていた。当時のアローは86歳。
一番最初の発表者が私だった。「異なる集団間での格差」がテーマの研究(サミュエル・ボウルズ&グレン・ルーリーとの共同研究)の概要について発表したのだが、話し始めてから数分もしないうちにアローが口を挟んできた。モデルの情報構造について詳しく知りたいという質問だった。発表が終わって休憩時間に入ると、私のところにアローがやってきて次のように尋ねられた。「男女間の賃金格差について論じているミリセント・フォーセット(Millicent Garrett Fawcett)の論文を読んだことがありますか?」。1892年のエコノミック・ジャーナル誌に掲載された論文だという。タイプミスじゃない。アローは確かに1892年と言ったのだ。「読んだことありません」と正直に告白したものだ。
その時にアローが教えてくれたのだが、フランシス・エッジワース(Francis Edgeworth)が1922年の(エコノミック・ジャーナル誌に掲載された)会長講演で、フォーセットの一連の研究を詳しく取り上げているという。エッジワースのその講演は広く知られているものの、その中で言及されているフォーセットの論文を自分の目で読んだという人はほとんどいないようだという。
後になって確かめてみたところ、アローの言う通りだった。エッジワースのその講演では「フォーセット女史」について7回も言及されていて、フォーセットの3本の論文が引用されている。エッジワースの講演は、“Equal Pay to Men and Women for Equal Work”(「性別の枠を越えた『同一労働同一賃金』」)と題されているが、その中で引用されているフォーセットの論文の一つが1918年に発表された “Equal Pay for Equal Work”(「同一労働同一賃金」)である。その冒頭は以下のようになっている。
(「ジョン・ジョーンズ氏は、軍服を製作する勤め先の洋服店から高給を得ていた。ある時、ジョンは病気に罹ってしまったが、勤め先の許可を得て自宅で服作りを続けることになった。ジョンは自分の妻にも仕事のやり方を教えたが、ジョンの体調が悪化するにつれて彼の妻が助太刀する機会が増えていき、やがてはジョンの妻が仕事をすべて引き受ける格好になった。しかしながら、妻が一人で丸々製作した服もジョンが生きている間はジョンが製作したという体(てい)で勤め先に引き渡し、それまでと同額の給与が支払われ続けたのだった。
ジョンが亡くなって遺体が埋葬されたことが知れ渡るようになると、『この服はジョンが作りました』とは最早言えなくなってしまい、ジョンの妻は真実を白状せねばならなくなった。服を作っているのは(夫のジョンではなく)自分だという真実を。それ以降、ジョンの妻が自宅で作った服と引き替えに洋服店から支払われる給与は、それまでの3分の2に減額されることになったのだった。」)
少し調べてみてわかったのだが、フォーセット女史は相当の切れ者のようだ。エッジワースやアローにもまったく引けを取らないくらいに。フォーセット女史が経済学の分野で残した貢献は、彼女の全業績のほんの一部でしかないのだ。アローとしては、気の合う仲間を見つけたと感じていたに違いない。