「暗黒時代」という時代がヨーロッパにあったかどうかと聞かれたら,たいていの人は「あった」と答えるはずだ.「ローマ帝国と中世のあいだのいつ頃かでしょ.」 ところが,歴史家のなかには,その呼称は間違いだと主張している人たちもいる.たとえば,ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの客員教員をつとめているエレナ・ジャネガによると,暗黒時代なんて,「そのようなものはない」.当該の時代の史料が欠落していることを指して暗黒といっているだけなんだそうだ:
歴史家が「暗黒時代」という用語を使っている時代はありますかと聞かれたら,ええ,ありますとも.史料の残存率について語るときに「暗黒時代」と呼んでいるのはまちがいない.ただし,価値判断で「暗黒時代」と呼んだりはしない.たんに,取り沙汰するための証拠があまりないという意味でしかない.
ジャネガはこの説に自信たっぷりで,自分のショーツの背面にこれを大書して,その写真をみずからたびたびリツイートしているほどだ.
さて,これはかなり可笑しいなってぼくは思う.いや,写真のことじゃないよ.ある地域で突如として文書の産出が大きく減少したら,その根っこにはなんらかの経済的理由がありそうだと考えそうなものだ――たとえば,その地域が前よりも貧しくなってしまって,文書があまりつくられなかったとか.
でも,この点をぼくが Twitter でさらりと指摘してみたら,他の2人の歴史家の怒りを買って,嘲られてしまった.その2人とは,バージニア工科大学のマシュー・ガブリエルとデイヴィッド・M・ペリーだ(いまペリーは独立のジャーナリストをしている).ガブリエルとペリーは「課題読書をしないとダメだぞ」というタイトルの記事を書いて,ぼくにこう要求した――Twitter で面白おかしいミームを投稿する前に当該の時代について深く読み込みなさい.さらに,「あらゆる文明は識字の広範な普及によって定義されるべきだ」と決めてかかったという廉で,ぼくを人種差別者と呼んだ(ちなみに,ぼくはそんなこと言っていないし決めてかかってもいない).そして,2人はこう宣言した――中世には既存の史料が豊富にある(これは2つ別々の時代を一緒くたにしているように思えるし,ジャネガが言ったことと矛盾してもいる).
それから,ガブリエルとペリーは高名な経済史家のブラッド・デロングを標的にした(デロングはぼくといっしょにポッドキャストのホストをやっている).デロングを名指したり彼のブログにリンクを貼ったりすることは断固拒否しつつ,彼の記事から引用している.その引用箇所は,典型的に暗黒時代と呼ばれる時代に経済の進歩ペースが下がったとデロングが主張しているところだ.2人はデロングを「経済学ニキ」(“econobro”) と呼び,デロングが述べているどの論点も一切取り上げることなく,「技術的イノベーションの内在的な美徳」に対して漠然とした砲火を浴びせかけた.そこで2人の記事はおしまいで,どうやらそれで言うべきことは言ったと満足したらしい.
ところが,デロングはその課題読書をやり終わっていて,手厳しい口調のフォローアップ記事を執筆した.デロングからガブリエルとペリーに対する批判は次の点だ――西ヨーロッパ,そしておそらくは全ヨーロッパが,300年頃から900年頃にかけて,その前後の時代よりもずっと貧しかったことを示す膨大な証拠があるのを,2人は無視している.たとえば,ブラッドは Jongman (2007) からこんなグラフを引用している:
他の鋭い観察者たちも述べているように,西ヨーロッパの人口も,暗黒時代と呼ばれる時代に大幅に減少している.
長らく中断していたポッドキャスト “Hexapodia” の最新回では,デロングとぼくがこの話題について長く議論している.
全体として,物質的に貧しい時代を「暗黒時代」と呼ぶのはしごくもっともだとぼくは思う.
ぼくの見立てでは,「経済的な産出は文明をはかるのに向かない」という筋道とおった主張をガブリエルとペリーはできていない.「ある時代に生み出された本の文化的な品質について主観的に自分が下した判断に比べれば,そこに暮らす人たちに食べ物と住居と衣服を与える仕事を社会がどれだけうまくやっているかってことはそれほど重要でない」と主張したいなら,その論証を展開する必要がある.ただ,自分と違う見解の相手をくさすだけでは足りない.
[Noah Smith, “At least five interesting things to start your week (#4),” Noahpinion, December 27, 2023]