ダイアン・コイル 「怒れる男 ~エリク・ロナーガン&マーク・ブライス(著)『Angrynomics』(『憤怒ノミクス』)を読んで~」(2020年6月21日)

世の中を眺め回すと、二種類の異なる「怒り」が渦巻いているというのがロナーガン&ブライスの『Angrynomics』を貫く基本的なテーマだ。二種類の怒りというのは、社会悪に対する義憤(公憤)――良い怒り――と、身内びいきの排外的な私憤――悪い怒り――である。
画像の出典:https://angrynomics.com/

エリク・ロナーガン(Eric Lonergan)&マーク・ブライス(Mark Blyth)の共著である『Angrynomics』 (『憤怒ノミクス』)は、対話形式で書かれている「ワイワイした雰囲気」の一冊だ。パブにでも立ち寄って、世界の現状だとか現状を打破するための処方箋だとかについて、二人と一緒に語り合いたくなってくる。彼らの言い分に全面的に同意というわけではないが、意見が合わないというのも本書を読む楽しみの半分くらいを占めているのは疑いない。対話形式の本というのは、人形劇の「パンチとジュディ」をいくらか穏やかにした感じで書かれているのが通例で、落としどころを探るつもりもなしに相反する見解を提示するだけで終わりがちだ。そんなわけで、対話形式の本というのはどうも好きになれないのだが、本書は別だ。ロナーガン&ブライスの二人の対話を追っていると、まるで二人がヴィクトリア朝時代のミュージック・ホールで劇を演じているかのような感覚に襲われるが、核となるところでは二人とも意見が一致しているおかげで、(ジャズのリフオフみたいに)お互いに相手の意見を改良し合って対話を建設的な方向に発展させるのに成功している。

世の中を眺め回すと、二種類の異なる「怒り」が渦巻いているというのが本書を貫く基本的なテーマだ。二種類の怒りというのは、社会悪に対する義憤(公憤)――良い怒り――と、身内びいきの排外的な私憤――悪い怒り――である。どちらの怒りにしても、1989年以降の世界経済の歩みが日々の生活に与えた影響への反応という面を持っているというのが彼らの言い分だ。

二種類の怒りの背後には、二種類の事実がある。格差の拡大、ラストベルト(錆びた地帯)のように衰退している地域における経済的な苦境という事実が一方にあり、一部の政治家らが排外的な身内びいきやアイデンティティ至上主義(アイデンティタリアニズム)に付け込もうと画策しているという事実がもう一方にある。ロナーガン&ブライスの二人は、中道左派に肩入れしていることを微塵(みじん)も隠そうとせずに、「民主主義の衰退」をテーマとする一群の研究で盛んに論じられている政治的な潮流の変化の背後に潜む経済的な要因――ミクロ面の変化、マクロ面/金融面の変化、格差(世代間格差も含む)、技術変化――について論じ合い、処方箋を提示して対話を締め括(くく)っている。

ところで、本書には大きな見落としがある。怒りを露(あらわ)にしているのは、ほとんどが男性というのがそれだ。しかし、本書では、そのことに全く触れられていない。産業構造/職業構造の変化には、ジェンダーの観点からして重要な面が伴っているのは間違いないのだ。

本書では、渦巻く怒りの起源が1989年の共産主義の崩壊に求められている。共産主義が崩壊して、新自由主義に対抗する首尾一貫した(とは言え、欠陥含みの)イデオロギーが消滅したせいだというのだが、同意できない。要所となったのは、1970年代の石油危機、サッチャー&レーガン時代、1980年代初頭の不況というのが私の考えだ。言い換えると、産業の空洞化がはじまって、残りの人生や我が子の未来に対する経済面での不安が芽生え出した頃だ。こういう潮流の変化というのは時間がかかるものであり、一瞬で流れがガラリと変わるわけじゃない。本書でも指摘されているが、2008年~2009年の世界金融危機を経て改革のメスがどのくらい入れられたかというと、ほんのちょぴりに過ぎない。しかしながら、2030年になって振り返ってみたら、世界金融危機とその後のコロナ禍が(怒りの渦を巻き起こす契機となった)別の要所だったっていう判断が下されるかもしれない(ちなみに、本書が書かれたのはコロナ禍の前)。

ロナーガン&ブライスの二人が提示している処方箋に話を転じると、彼らは競争の役割をまるっきり誤解していると思う。ロナーガン&ブライスの二人によると、IT企業やテレコム(電気通信)企業が過当競争を繰り広げているせいで――はぁぁ?――「底辺への競争」に拍車がかかって、労働者にしわ寄せがいっているという。Amazonが計上している利潤が少ないのは、今の支配的な地位を維持するために積極的に投資を行っているからだ。競争相手に追い立てられてやむなく安売りに出ているせいじゃない。金融政策だとかそちら方面の処方箋については専門外なのであまりわからないが、死にぞこないのミクロ経済学者の一人として言わせてもらうと、政府機関が支配している市場で価格がマイナスの値に設定されたら――例えば、中央銀行がマイナス金利を導入したら――大きな効果が発揮されるらしいが、何でそうなるのか理解に苦しむ。金融業の規制を強化せよという処方箋については、大いに賛成だ。本書では、政府がオークション(競争入札)を実施して「データの集合」に対する権利を割り当てる――周波数を利用する権利をオークションで割り当てるように――という興味深いアイデアも提案されている。「個人情報に対する所有権を個々に設定して、個々のデータを自由に売れるようにせよ」という発想には強く反対している(pdf)のだが、ロナーガン&ブライスの二人の提案は、私の異議をうまく乗り越える案の一つになっている。データというのは、個々のデータが組み合わさってこそ価値を持つのだ。

私の手元にある『Angrynomics』 を開くと、マーカーであちこちに線が引いてあるだけでなく、あちこちの余白に「ナンセンス!」という文字が書き込まれている。この本のおかげで、とても充実した時間を過ごせたようだ。


Angrynomics


〔原文:“Angry Man”(The Enlightened Economist, June 21, 2020)〕

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