ystt氏のツイート経由で知ったのだが、「マクロ経済学の教科書ではGDPをYと表記するのが一般的だが、Yとは一体何を意味しているのだろうか?」という疑問についてはマンキューが2016年12月の段階で既に話題にしていたようだ(himaginary氏による日本語での詳細な内容紹介はこちら)。マンキューのブログエントリーでは(拙エントリーでも紹介した)ケインズがヒックスに宛てた手紙まで引用されている。周回遅れもはなはだしくてお恥ずかしい限りだ1。
・・・と己の愚鈍さを嘆くために筆を執ったわけではない。今回の件(「Yの起源」と「Yの意味」)との絡みでふと頭に浮かんだあれこれを、ふと心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付けてみようと思うのだ2。 [Read more…]
- ちなみに、小生が前回のエントリーを書こうと思い立ったのはこちらの論文(pdf)に触発されたためである。11ページ(の本文および注)でケインズがヒックスに宛てた(「所得にY、投資にIを用いるのがわかりやすい」のではないかと訴える)手紙に言及されていて、「そう言えばそんなこともあったなあ」と古い記憶が蘇ったという次第。 [↩]
- 小林秀雄が次のように述べている。「私の書くものは随筆で、文字通り筆に随うまでの事で、物を書く前に、計画的に考えてみるという事を、私は、殆どした事がない。筆を動かしてみないと、考えは浮ばぬし、進展もしない」(『考えるヒント 2』, pp. 34)。これといった計画もなしに(とは言え、最低限の下調べはしている)ただただ「筆に随う」(キーボードを叩いて文章を綴るわけなので正しくは「指に随う」と言うべきか?)までという意味で本エントリーは「随筆」の一種と言えるだろう。言うまでもないが、小生は小林秀雄ではない。それゆえ、駄文が延々と続くだけで読んでも何も得られずに時間の無駄に終わる可能性が大であることをあらかじめ断っておく。 [↩]