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シメオン・ジャンコフ, エレーナ・ニコローヴァ 「共産主義・宗教・不幸感」(2018年4月26日)

Simeon Djankov, Elena Nikolova, “Communism, religion, and unhappiness“, (VOX, 26 April 2018)


既存の学問研究は、多種多様なファクターを擁する諸国における長期的制度発展を解き明かしてきたが、そうした文献もこと宗教の役割については概して沈黙を守ってきた。本稿では、サーベイ調査データを活用しつつ、正教・カトリシズム・プロテスタンティズムのあいだに根深く存在する神学上の差異が、今日においてなお、多くのヨーロッパ地域における人生満足度およびその他の態度ならびに価値観に影響を与えていることを明らかにする。諸般の全体主義政権は宗教活動を弾圧したが、それら政権は正教の持つ側面のなかでも、共産主義ドクトリンの推進に役立つもの – 伝統や共同体主義など – については、これを温存したのである。

パイオニア的なWeber (1904) の論文以降、さまざまな学者が、宗教と幸福度のつながり、および宗教と市場経済・労働倫理ならびに倹約・信頼・女性ならびに他宗教の構成員にたいする態度 (attitudes) とのつながりに検討を加えてきた。長期的な歴史ファクターが文化的選好に与える影響の研究となれば、さらに広範な文献が存在する。くわえて最近の論文は、文化というものが経済と政治の発展の重要決定因子のひとつである旨を論じてきた。宗教が選好に作用し、その選好が経済と政治の制度に作用する (あるいはそれと共進化co-evolveさえする) のであれば、宗教がより広い意味での制度進化プロセスに関わってゆく厳密な仕組みは、周到な検討に値する問題である。

宗教と文化

我々の新たな論文は、正教・カトリシズム・プロテスタンティズムのあいだに根深く存在する神学上の差異が、今日の多くのヨーロッパ地域における人生満足度およびその他の態度ならびに価値観にたいし、いかなる形で作用しているのかを研究したものである (Djankov and Nikolova 2018)。複数の 「世界価値観調査 (WVS: World Values Survey)」 調査波、および2010年度ならびに2016年度の 「欧州復興開発銀行-世界銀行の提携による移行期の生活に関するサーベイ調査 (LiTS: EBRD-World Bank Life in Transition Survey)」 を利用し、キリスト教三宗派 – 正教・カトリシズム・プロテスタンティズム – と、個人の態度および行動との結び付きを調べた。その際とくにフォーカスを置いたのが、人生満足度である。これ加えて宗教と、社会資本・変化ならびに伝統についての意見・政府に関する見解とのつながりにも検討を加えた。前述のLiTSには、トルクメニスタンを除く 〔開放型市場経済への〕 移行国すべてに加え、トルコ・フランス・ドイツ・イタリア・スウェーデン・英国 (2010年)、トルコ・ギリシア・キプロス・イタリア・ドイツ (2016年) が含まれる。WVSは100に近い世界中の国や領域をカバーし、26のポスト共産主義国がふくまれる。

諸般の共産主義体制が宗教面で有していた差異の影響を研究することは、次のふたつの理由で重要である。一、宗教と文化とのつながりを明らかにしようと試みる文献はこれまでにもあったが、そこでの焦点は諸宗教間の差異であり、キリスト教そのものの内部における差異ではなかった。二、正教とカトリシズム (後者から16世紀になって出現したのがプロテスタンティズムである) は、1054年 〔東西キリスト教の分裂、大シスマ〕 以前の段階にしてすでに異なる伝統を受容していた。キリスト教の西方部門、すなわちカトリシズムは、教皇権および神聖ローマ帝国とつながっており、古代ローマに見られた、個人主義的・法律主義的・合理主義的な特徴を強調していた。カトリック教徒は、人と神 (God) の関係を一種の法律関係だと理解してきたのである。その関係のなかで信者は神が打ち立てた戒律に従うのであり、不品行があれば、それがいかなるものであれ、教会の監督する悔悛  (および司法) が要請されるのである。対照的に、東方正教は古代ギリシア的 (Hellenic) 伝統に影響されてきたのだが、この伝統は内省 (introspection) と共同体主義的精神を中心に据えてきた。人と神とのあいだの法律的な双務義務を前面に押し出すのではなく、愛と献身を基調とする交換を重視するのが正教の神学である。

本分析をとおして、ふたつの相互関連的な発見が浮上した。一、カトリック教徒とプロテスタント教徒は、無信仰者 (回帰における省略カテゴリを構成する) と比較してより幸福である。ところが興味深いことに、東方正教の信者の人生満足度は、無信仰者グループのそれと異ならない。これら結果と整合的だが、東方正教に帰属する回答者は、カトリックないしプロテスタント宗派帰属者さらには無信仰者と比較しても、子供の数・社会資本ともにより少なくなっており、またよりリスク回避的であることも判明した。正教の信者は政治面ではより左寄りの志向性を持っており、〈(人民と対置されるところの) 政府が、より多くの責任を担うべきである〉 との意見もより強くなっている。

またさらに、無信仰者と比べ、カトリック教徒とプロテスタント教徒は〈政府による所有は良いことだ〉 との考えに同意する傾向がより少なく、プロテスタント教徒は 〈他人を犠牲にせず金持ちなることはできない〉 という考えに同意する傾向がより少ない。これら両次元でも、正教の信者は特定の宗教を信奉していない人となんら違いがない。

共産主義・宗教・態度の執拗性

つづいて我々はこれらデータを用いて、正教と共産主義とのつながりをめぐり競合するみっつの理論の評価を試みた。マルクスによると、高度の発展段階に達した資本主義国 (西ヨーロッパ諸国など) は、社会主義革命に直面する可能性が最も高く、この革命が社会構造の再定義と共産主義の勝利に至るはずだった。他方、レーニンの考えでは、プロレタリアートと農民の同時革命がロシアに社会変革を招来するためには不可欠だった。またレーニンはこうも論じている。つまり、農民層と搾取されし労働階級のあいだに最も広く膾炙しているのは正教キリスト教であるが、これは階級闘争の成功のために絶対に完全に根絶やしにせねばならない、と。これと対照的なのがBerdyaev (1933, 1937) の議論で、共産主義が成功を見たのは、まさに強固な東方教会的伝統を持つこれら国々に外ならないという。かれの説くところ、「共産主義者の最善の類型、すなわちひとつの思想への奉仕に全く没入し、多大なる犠牲をも厭わず、しかも私心無き熱情を知る者、かような人物がおよそ実在し得るとすれば、それは [正教] キリスト教による人間精神の訓育、すなわち [正教] キリスト教精神による自然人の改造を以てのみ、成しうる業である」(Berdyaev 1937: 170)。

我々の議論は、〈正教とその他ふたつのキリスト教宗派のあいだに根深く存在する神学上の差異こそが、今日における態度の差異の原因である〉 という観念に依拠している。西方キリスト教 (ここからカトリシズムとプロテスタンティズムが興った) は、合理主義・論理的究明・個人主義・既成の権威への懐疑に重点を置いた。東方キリスト教 (東方正教はこれに端を発す) は、神秘主義や経験主義にまつわる現象と結び付いていたし、より情緒的また共同体主義的であったのであり、法・理性・権威懐疑には然程の重点を置かなかった。特記に値するのは、これら長期的な態度上の差異が、ほぼ50年も続いた共産主義ののちにもその命脈を保った点である。宗教活動は全体主義体制期には旧共産主義国の殆どで弾圧されていた。政治エリートは、宗教は共産主義の進歩と相容れぬものだと信じていたのだ。聖職者は迫害・殺害・収監され、教会は破壊ないし閉鎖された。教会通いは禁じられ、宗教教育は学校教育課程から削除された。

ところが他方で共産主義政府は、正教神学が有する側面のなかでも、幾つかのもの – 伝統と共同体主義の強調を含む –、すなわち共産主義思想の流布と堅牢化に好都合な側面は、これを温存したのである。この点で、正教は共産主義体制の成長にとって都合の良い条件を提供した。共産主義の政策と制度 – 農業の集団化・社会主義青年組織・強力なシークレットサービス・国内外移動の管理 – は、共同体主義・法律的取引への依存の相対的な弱さ・権威尊重の気風の相対的な強さといった、正教的な既存の規範と非常に相性がよかった。多くの点で、共産主義は正教の再臨と見做しうるが、こうした事情は我々の主張するところBerdyaevの (1933, 1937) 仮説と軌を一にするものだ。

結論

本発見は、東ヨーロッパにおける経済と政治の変容の決定因子解明にたいし重要な含意を持つ。全体主義の遺産が、文化・経済・政治の面でポスト共産主義地域のランドスケープに深く作用してきた旨を論ずる文献が増えている (Pop-Eleches and Tucker 2017)。この種の見解は、その影響力とは裏腹に、部分的にしか仕上がっていないおそれがある。本論文が指摘するところ、異なるキリスト教宗派のあいだに存在する神学上の差異は、共産主義到来に遥か先立って、諸国を異なる発展経路に付置していたかもしれず、また共産主義エリートが自分達の便益を図り文化的環境を利用した可能性もあるのだ。とはいえ我々は、文化と経済の変化に関し 「それさえあればなんでも説明できる (one-size-fits-all)」 理論を提示するなどと主張している訳ではないので、この点も明確にしておきたい。政治と経済の発展を形成する力は数多く存在し、宗教はそのうちのひとつに過ぎないのである。

執筆者注: 本稿で表現された見解は本稿執筆者の見解であり、必ずしも本稿執筆者の関与する機関の意見を表わすものではない。

参考文献

Berdyaev, N (1933), The end of our time, London: Sheed & Ward.

Berdyaev, N (1937), The origin of Russian communism, Glasgow: University Press Glasgow.

Djankov, S and E Nikolova (2018), “Communism as the unhappy coming”, World Bank Policy research working paper 8399.

Pop-Eleches, G and J Tucker (2017), Communism’s shadow: Historical legacies and contemporary political attitudes, Princeton: Princeton University Press.

Weber, M (1930), The Protestant ethic and the spirit of capitalism, London: G. Allen & Unwin.

 

 

 

貿易利益を定量化する

VoxEU、2018年4月29日

Giammario Impullitti、ノッティンガム大学准教授

Omar Licandro、ノッティンガム大学マクロ経済学教授

概要:グローバライゼーションに不満を持つ人達は、職を減らし賃金を下げていると貿易を非難し、一方そのサポーター達は貿易自由化が全ての人達に潜在的には恩恵をもたらせるだけの総利益を生み出すと反論する。しかし、貿易の利益を測るのは経済学者にとって長きに渡っての挑戦である。このコラムは企業のイノベーションの反応を考慮すると貿易の利益は静的な定量化モデルにおいて得られるから倍加する事を論じる。

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振り返り見た90年代貿易と賃金論争

VoxEu, 2018年4月15日

Adrian Wood、オックスフォード大学国際開発教授

概要: 20年前、経済学徒は、途上国との貿易は先進国の非技能労働者への深刻な害とはなっていないと結論づけた。このコラムは、このコンセンサスを生み出した論争が早すぎる終わりを迎えたのだと主張する。現在ですら、先進国の低教育層の経済的不運へのグローバリゼーションの影響の度合いについては、どんなはっきりした結論であれ出せる証拠はない。そして、もし経済学者の中でのコンセンサスがより弱かったならば、グローバリゼーションの社会的コストを下げる為により多くのことがより早く行われていたかもしれないのだ。

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オセア・ジュンテーラ, マティアス・リーガー, ロレンツォ・ロトゥンノ 「食の貿易による体重増化: メキシコの実証成果」(2018年2月2日)

Osea Giuntella, Matthias Rieger, Lorenzo Rotunno, “Weight gains from trade in foods: Evidence from Mexico“, (VOX,  02 February 2018)


いまや肥満成人の過半数が見られるのは発展途上国である。本稿では、貿易が肥満におよぼす影響に関するメキシコ発の新たな実証成果を紹介する。本研究結果の示すところ、メキシコ諸州をとおしてみたばあい、合衆国から輸入した食品に占める不健康的食品の割合が1標準偏差分増加すると、個人が肥満である確率が5%ポイント増加する。世界中の発展途上国はその食品市場を工業化国に開放することで、自国において目下進行中の栄養転換 (nutrition transition) を加速させ、医療制度にたいし大きな将来コストを課している可能性がある。

肥満は、南半球諸国 (global south) について考えたとき真っ先に思い浮かぶ健康問題ではない。肥満と聞いて連想されるのはむしろ北半球諸国 (Global North)、とりわけ合衆国である (炭酸飲料・ファストフード・運動不足を想起されたい)。しかしこの社会通念はもはや時代遅れだ。いまや肥満成人 – 肥満度指数 (body mass index) が30以上の者 – の過半数は発展途上国に見られるのである (Ng et. al 2014)。南半球諸国はいま医療と栄養の転換期の真っただ中に置かれている (Popkin and Gordon-Larsen, 2004)。伝染病や栄養不足に (ゆっくりとした) 減少傾向が見られるなか、非伝染病や栄養過多が人口に蔓延しはじめている、それも極めて急速に。

肥満についてはさまざまな健康リスク (たとえば糖尿病や心血管疾患) や経済コストが知られている。このような知見を所与としたとき、南半球諸国の政策立案者は肥満比率が大流行というべき水準に達するのを防止するため何ができるだろうか? たとえば既にこうした転換期を通過した国の経験や、公共政策により馴致し得るような潜在的因子の調査をつうじて、なにか重要な教訓が得られるかもしれない。そうした取り組みにとって理想的なのがメキシコの事例である。同国のケースには既に数多くの議論の蓄積があるからだ。

肥満と貿易: メキシコの事例

1980-2012年にかけてメキシコの肥満率は10%から35%へと増加した (成人女性からなる本分析サンプルによる)。ただでさえ肥満傾向のあるOECD諸国のあいだでも、メキシコの順位は2015年の時点で第二位となっており、これを上回るのは合衆国ただ一国のみである (OECD 2017)。

人々の健康に関するこうした深刻な変化と時を同じくして、メキシコはもっぱら合衆国とのあいだで食品貿易に門戸を開放している。現在のところ、メキシコによる食品輸入の80%超はアメリカ産である。図1に示すのは、メキシコによる合衆国からの食品・飲料 輸入の継時的な推移である。全体的な食品輸入にも劇的な増加が見られるが、通例不健康なものと見做される食品の急増にはじつに目を見張るものがある。特に、2012年における 「調製品 (food preparations)」 の輸出が1989年の23倍になっている点は注目に値する。

図 1 継時的に見たメキシコによる合衆国からの食品・飲料 輸入

図2では、メキシコによる合衆国からの輸入について、それが健康的なものかそれとも不健康的なものかで分類している。なおその際利用したのは、合衆国農務省 (USDA: United States Department of Agriculture) の 「〔アメリカ人のための〕食生活指針 (Dietary Guidelines)」 である (たとえば、「濃緑色野菜 (dark green vegetables)」 は消費の増加が推奨されているが、「精製された穀粉および混合粉 (refined flour and mixes)」 は消費の抑制が推奨されている)。合衆国からメキシコへの輸出は1980年代以降両食品クループともに増加しているが、その増加は不健康食品のグループのほうが遥かに急速に進んでいる。

図 2 メキシコによる合衆国からの不健康的/健康的食品・飲料の輸入

このような傾向から自然と浮上してくるのは、合衆国産食品の消費が増えると肥満有病率が増加するという因果関係の疑いである (例: Jacobs and Richtel 2017, Rogoff 2017)。しかしながら、肥満と貿易の直接的因果関係を推定しようと試みる論文は、今日に至るまでまったく現れていない。

食品の貿易による体重増加を推定する

こでわれわれは新たなワーキングペーパーの中で、1988年から2012年までの期間のメキシコ諸州における個人の肥満確率にたいし、合衆国の食品輸出がおよぼした影響の定量化を試みた (Giuntella et al. 2017)。この目的を果たすため、数回にわたる身体測定サーベイ調査および家計支出サーベイ調査を、製品レベルの食品貿易データとマッチングさせている。なお本研究の主な成果は、長期にわたる本対象期間をとおしデータが利用可能であった、成人女性に基づくものである。

まず合衆国農務省による 「アメリカ人のための食生活指針」 を利用して食品項目を分別し、合衆国からの食品輸入に占める不健康的食品のシェアを計算した。つづいてこれら輸入食品の総計値 (健康的/不健康的) をメキシコ諸州に割り当てた。もっと具体的にいうと、食製品毎に見た過去の支出につき、貿易統合にさきだつ段階でメキシコ諸州のあいだに見られた違いを利用したのである。本識別戦略では、総合的貿易ショックは、時間-不変的変数ないし 「ベースライン」 変数からなる関数の形を取り、地方単位 (sub-national units) に不均一な影響を及ぼすものと仮定している (例: Dix-Carneiro and Kovak 2017, Autor et al. 2013)。メキシコ諸州のあいだには、肥満率および過去の食品支出パターンにつき相当な不均一性が存在することを、ここで指摘しておきたい。この点も本モデル化手法採用の動機となっている。

本実証モデルはさらに、州ならびに個人に関する一連の共変量 (州の共変量の例を挙げれば、食品価格・GDP・FDI・移住状況など)、ならんで州固定効果および州固有時間トレンドの分の調整も行っている。第二の実証戦略では、州レベルでの肥満率の長期的な差分を、ベースライン共変量の条件のもと、不健康的食品輸入の変化と関連付けた。メキシコにたいする合衆国の不健康的食品の輸出に、その他の国にたいする合衆国の輸出で対応するものを用いて操作変数的処理を加えた。また操作変数に代えて 「重力残差 (gravity residuals)」 を用いることで、不健康的食品の生産において合衆国がメキシコに有する比較優位の剔抉も試みた (Autor et al. 2013と同種の手法)。

食品貿易による体重増加を定量化する

さて結果だが、輸入シェアに占める不健康的食品の割合が1標準偏差分増加すると (14%ポイントの増加に相当)、肥満確率が約5%ポイント増加することが判明した。この効果はサンプル平均肥満率の18%に対応する。長期的差分モデルと操作変数推定値を用いた発見も、また重力残差を用いた発見も、定量的に類似しており – 何らかの信憑性のある因果的効果の存在を指し示している。

本主要発見は一連の頑健性チェックおよびプラシーボチェックを通過している:

  • 合衆国からの輸入品でも恐らく無関係なもの (たとえばアパレル製品) には肥満への影響がない。
  • 爾余の世界各国からの食品輸入と結び付いた効果は、小さくかつ有意でない。これは肥満に関して合衆国食品に固有の重要性があることを裏付ける。
  • 同様に、合衆国にたいするメキシコの不健康的食品の輸出は、肥満と相関していない。
  • 合衆国からの食品のうち最終需要として輸入されたものを利用したばあいも、類似のパターンが現われている。
  • 全体的な (健康的および不健康的を合計した) 食品輸入は、肥満と相関していない。これは 「不健康的」 と 「健康的」 の区別の重要性を引き立たせる。
  • 本主要成果はメキシコ諸州から各州を1つづつ除去したばあいにも頑健性を保った。
  • 結果変数として、肥満度指数を用いたばあいにも (分位点回帰による) 過剰体重を用いたばあいにも、類似のパターンが得られた。

健康格差と貿易

貿易ゆえの体重増加は社会経済集団により異なる。図3に示されるように、女性で教育水準の低い者は、より大きな貿易惹起型肥満リスクに直面している – 不健康的食品輸入への露出が平均的なメキシコの州では、この集団の肥満リスクは教育水準のより高い女性のそれを5%ポイント上回る。この差は該当州の貿易露出が14%ポイント (1標準偏差) 増加すると、8%ポイントにまで高まる。教育と貿易のあいだのこの交互作用効果は、州-時間 固定効果の組み入れ (つまり地方的な貿易露出効果のうち主だったものの消去) にたいしても頑健性を保った。この結果は、〈教育水準がより高い個人ほど、教育水準がより低い個人とくらべ効率的な健康投資を行う〉 というよく知られた仮説とも整合的である。この種の教育水準に由来する勾配 (gradient) は、個人の直面する不健康的食品の選択肢が多い食品環境ではさらに悪化する可能性がある (Mani et al. 2013, Mullanaithan 2011, Dupas 2011)。

図 3 教育水準が異なる集団のあいだの肥満リスク格差と、不健康的食品の輸入

所得・物価・嗜好 

合衆国の食品輸出がメキシコにおける肥満有病率に及ぼしている直接的影響が確認できたので、つづいて考え得るメカニズムの考察に進む。貿易は所得・物価・嗜好 (たとえば外国のライフスタイルや広告への露出をとおして) に影響する。これらのいずれも、観察された肥満への影響を駆動している可能性がある。第一に指摘したいのは、本研究における主だった効果が、州の一人あたりGDP・州ごとの食品総支出に占める不健康的食品の割合・健康的な財の不健康的な財にたいする相対価格、の分を調整しても頑健性を保っている点である。第二に、不健康的および不健康的な食品グループを対象とする需要方程式の推定をとおし、合衆国からの不健康的食品にたいする露出が全体的な支出の方向を不健康的食品に向け直していることが判明している。この観測されたシフトは実質所得および物価の分を調整しても頑健性を保っている (類似の実証戦略としてはAtkin 2013を参照)。換言すれば、合衆国との貿易はどうも、相対的に不健康的な食品に向かわせる方向で嗜好に作用しているようなのである。不健康的食品のバラエティの増加は需要を後押しする。こうしたパターンは、ベルリンの壁崩壊以降に東ドイツ人のあいだで見られた 「西側の (Western)」 食品に向かう消費シフトおよび体重増加とも軌を一にしている (Dragone and Ziebarth 2017)。

政策的含意

諸国民が貿易により得るところは大きい。しかし食品の貿易による体重増加や関連した健康面での損失は、概してそこでの等式から省略されてきた。世界中の発展途上国は、工業化国 – こうした国はえてしてより加工度が高く健康性の劣る食品に比較優位をもっているものだが – に向かって自らの食品市場を開放することで、自国で目下進行中の栄養転換を加速させている可能性がある。南半球諸国における将来の医療制度と経済にたいし、肥満が大きな負担を課すおそれがある。

そもそもの問題として、栄養転換の逆転はその緩和の試みより困難だと思われる。肥満と不健康的な食習慣はえてして執拗だ。そうした中でのメキシコの経験は南半球諸国にとって啓発的である。最優先事項とすべきは、栄養その他の健康問題を、食品貿易政策形成のうちに統合することだ [1]。そうした懸念こそ将来の貿易交渉アジェンダの上位を占めるべきなのである。

今回の発見は、健康的な輸入品と明らかに不健康的な輸入品との区別が、世界中で見られる肥満の長期的趨勢を遅らせる手掛かりとなる可能性を示唆する。

参考文献

Atkin, D (2013), “Trade, tastes, and nutrition in India”, American Economic Review 103(5): 1629-1663.

Autor, D H, D Dorn and G H Hanson (2013), “The China Syndrome: Local Labor Market Effects of Import Competition in the United States”, American Economic Review 103(6): 2121-68.

Colantone, I, R Crino and L Ogliari (2017), “Import competition and mental distress: The hidden cost of globalization”, mimeo.

Dix-Carneiro, R and B K Kovak (2017), “Trade Liberalization and Regional Dynamics”, American Economic Review 107(10): 2908-46.

Dragone, D and N R Ziebarth (2017), “Economic Development, Novelty Consumption, and Body Weight: Evidence from the East German Transition to Capitalism”, Journal of Health Economics (51): 41-65.

Dupas, P (2011), “Health behavior in developing countries”, Annual Review of Economics 3(1): 425-449.

Giuntella, O, L Rotunno and M Rieger (2017), “Weight Gains from Trade in Foods: Evidence from Mexico”, University of Pittsburgh Working Paper No. 17/010.

Jacobs, A and M Richtel (2017), “A Nasty, Nafta-Related Surprise: Mexico’s Soaring Obesity”, New York Times, 11 December.

Mani, A, S Mullainathan, E Shafir and J Zhao (2013), “Poverty impedes cognitive function”, Science 341(6149): 976-980.

McManus, T C and G Schaur (2016), “The effects of import competition on worker health”, Journal of International Economics 102: 160-172.

Mullainathan, S (2011), “The psychology of poverty”, Focus 28(1): 19-22.

Ng, M et al. (2014), “Global, regional, and national prevalence of overweight and obesity in children and adults during 1980-2013: a systematic analysis for the global burden of disease study 2013”, The Lancet 384(9945): 766-781.

Pierce, J R and P K Schott (2016), “Trade Liberalization and Mortality: Evidence from U.S. Counties”, NBER Technical Report No. 22849.

Popkin, B M and P Gordon-Larsen (2004), “The nutrition transition: worldwide obesity dynamics and their determinants”, International Journal of Obesity 28: S2-S9.

Rogoff, K (2017), “The US is Exporting Obesity”, Project Syndicate, 1 December.

原註

[1] 関連研究は製造業輸入品が労働者の健康に与える悪影響についての実証成果を提示している – たとえばColantone et al. (2017) およびこれと連関したVoxEU column、McManus and Schaur (2017)、またPierce and Schott (2016) を参照。

サミュエル・ボウルズ「マルクスと現代ミクロ経済学」

Samuel Bowles “Marx and modern microeconomicsVOX.EU, April 21, 2018

マルクスは経済学としては全くの失敗だったことに疑問をはさむ経済学者はほとんどおらず,これは大抵のところ彼の労働価値説に基づいた評価による。しかし本稿では,企業における資本と労働の権力関係に関するマルクスの描写が現代資本主義の理解と改善にとって不可欠な洞察であったことを論じる。実のところ,そうした洞察は労働市場や信用市場に関する標準的なプランシパル・エージェントモデルに組み込まれているのである。 [Read more…]

ラミーロ・ガルベス, バレリア・ティフェンベルク, エドガル・アルティーラ「映画に見られるジェンダーと知的能力のステレオタイプ的連想関係を定量化する」(2018年4月1日)

Ramiro Gálvez, Valeria Tiffenberg, Edgar Altszyler “Quantifying stereotyping associations between gender and intellectual ability in films“, (VOX, 01 April 2018)


男性は女性より優れた認知能力を保持するとの信念は、根強くかつよく実証されたステレオタイプである。6歳という幼さの男児・女児までもが、ともに 「利発さ (brilliance)」 をもっぱら男性的な特性と見做すばあいがあることを明らかにした研究さえ幾つかある。本稿では、西側世界における映画産業がこのステレオタイプの慢性化に果たした貢献を検討してゆく。1万点を超える映画のトランスクリプト分析をとおし、過去半世紀にわたる 「利発さ=男性的」 ステレオタイプの執拗なプレゼンスが炙り出された。こうした状況は、特に子供向けに作られた映画にも見られる。

殊更に根強く、そこかしこに蔓延し、しかもよく実証されたステレオタイプに、男性は女性よりも高度な認知能力を保持するという信念がある (Broverman et al. 1970, Williams and Best 1982, Kirkcaldy et al. 2007, Upson and Friedman 2012)1。この 「利発さ=男性」 ステレオタイプは、6歳という幼さの男児・女児そうほうから是認されていることが明らかにされているだけでなく (Cvencek 2011, Bian 2017)、殊にSTEM分野で顕著だが、科学における女性の過小代表を引き起こしている要因のひとつだとも信じられている (Nosek et al. 2009, Leslie 2015, Smyth and Nosek 2015, Storage et al. 2016, Reuben 2017)。このステレオタイプが強力な文化的根因を有することについてコンセンサスが存在する場面でさえ、その慢性化を扱った研究では文化的行動の分析が中心となるのが普通である。ここで着目される文化的行動とは例えば科学的思考を一緒に行う際に親が子供に与えた指導 (Crowley 2001) や、科学教師が生徒のジェンダーに合わせて与えた相異なる指導 (Shumow and Schmidt 2013) をさす。ここで指摘すべきは、メインストリームの文化的製作物に見られるこの種のステレオタイプのプレゼンスに焦点を合わせた大規模研究が、極めて不足している点だ。

そんななかわれわれの最近の論文では、西側世界の過去半世紀をカバーした1万点を超える映画のトランスクリプトに見られる、「利発さ=男性」 ステレオタイプのプレゼンスを研究している (Gálvez et al. 2018)。ステレオタイプなるものの一端は、ひとつの集団を一群の記述的特徴に関連付ける連想関係の集まりである (Gaertner and McLaughlin 1983) 。そこでわれわれは、自然言語処理の技術を用いることで、映画におけるジェンダー-関連語 (gender-related words) と高度認知能力-関連語 (high-level cognitive ability-related words) の連想関係を定量化した。そのさい、子供向け映画におけるこれら連想関係のプレゼンスに重点的なフォーカスを置いている。

資料と方法

われわれはまずデータ収集に着手し、IMDbから、合衆国における興行収入トップ1000タイトルを内容とするリストを、1967年にはじまり2016年いっぱいまで、各年度分ダウンロードした。つづいて、これらリスト中の各タイトルにつき、メタデータをダウンロードした。このデータを頼りに、タイトルのうち、映画でないもの (TVシリーズなど)、作中で話される言語に英語が含まれないもの、製作に合衆国・英国・カナダ・オーストラリアのいずれも関与していないもの、を全て除去した。最後に、こうして得られた集合に含まれる各映画につき、最も頻繁にダウンロードされていた英語字幕を、OpenSubtitlesから入手した2。結果、本研究の最終サンプルとして、半世紀のスパンをもつ映画字幕1万1550点が確保された。

図1Aは、連続する10年の期間 (1967-1976, 1977-1986, …, 2007-2016) 毎に分析対象となった映画の数を、フル-サンプルとサブ-サンプルにつき詳述している。このサブ-サンプルは、familyかanimation、またはその両者に跨るジャンルに属する映画のみからなるもの (family/animationサブ-サンプル)。図1Bは、男性代名詞 (he, his, him, himself) 登場回数の、女性代名詞 (she, hers, her, herself) 登場回数にたいする比率の推移を示す。書籍を対象とした先行研究 (Twenge et al. 2012) と軌を一にし、1960年代中頃以降は映画にもこの比率に一定の退潮が見られた – 女性の地位向上と結び付けられてきた現象である (Twenge et al. 2012)。とはいえフル-サンプルと比較すると、family/animationサブ-サンプルにおけるこの比率は、女性代名詞にたいし一貫して手厳しくなっている。

図 1 連続10年期間毎に見た、映画度数およびジェンダー代名詞比率

: (A) 連続する10年の期間 (1967-1976, 1977-1986, …, 2007-2016) 毎の、分析対象となった映画の数。フル-サンプルとfamily/animationサブ-サンプル。(B) 男性代名詞登場回数の、女性代名詞登場回数にたいする比率の推移。フル-サンプルとfamily/animationサブ-サンプル。両パネルとも、LOESS回帰で傾向を推定している。

ジェンダー関連語と高度認知能力-関連語の連想関係を推定するため、ジェンダー代名詞と高度認知能力-関連語 (例: 天才的な genius、知能的な intelligent、冷静な clever) のあいだにある、正の自己相互情報量 (PPMI: positive pointwise mutual information) スコアを計算した。PPMIは、ふたつの単語が単なる偶然をどのていど上回る頻度で共起しているかを把捉するようデザインされた尺度であり (値が大きければ連想関係も強い)、単語と概念の連想関係を測定するさい一般的に利用されている。PPMI推定値は共起行列に含まれる値に依存する。この行列はひとつの単語がほかのひとつの文脈で登場する回数を表示するもの (各行は 対象語 target word ひとつを、各列は 文脈語 context word ひとつを、それぞれ現わす)。図2に含まれる簡易図は、与えられた字幕データをもとに、これら行列を組み立てる手順を例示している4

図 2 共起行列の構築

: SubRipファイル中の対象語ひとつが与えられれば (図ではhim)、全ての 近傍/文脈 フレームが特定される。どのようなフレームが近傍を構成するかは時間窓 (Δt) の大きさに依存するが、これは30秒に等しく設定している。どの文脈フレームに含まれるテキストも、クリーニング・トークン化 〔単語への分割〕・レンマ化 〔語形変化の除去〕 を施される。そのうえで、全ての文脈トークンの登場回数が、組み立て中の共起行列における関連セルに追加される。この手順を、分析対象となった全ての字幕に含まれる全ての単語につき繰り返す。共起行列は、ひとつの単語がほかのひとつの単語の文脈において登場する回数を表示するもので (これは飽くまで説明のための例にすぎないが、この図によるとsmartはhimの文脈に11回登場している)、PPMIと統計的有意性の推定値にたいする入力の役割を果たす。

結果

Figure 3 quantifies associations between gender pronouns and words depicting high-level cognitive ability. Figure 3A presents estimates considering all movies from 2000 up to and including 2016, for the full sample and the family/animation sub-sample. Estimates indicate that associations of male pronouns with high-level cognitive ability-related words are higher than the associations female pronouns have with high-level cognitive ability-related words. This pattern is present in both the full sample and the family/animation sub-sample. Figure 3B explores the dynamics of these differences through time. Results from the full sample of movies reveal that differences in associations have been steady at least for half a century, with no evidence of convergence in the trends. Results from the family/animation sub-sample show that differences have also been prevalent in this set of films, although estimates are less stable (we attribute this to the fact that sample sizes for every ten-year period of the family/animation sub-sample are much smaller than their full sample counterparts, see Figure 1A).5 Overall, our estimates suggest that, at an aggregate level, the ‘brilliance = males’ stereotype is effectively present in films and that movies specifically aimed at children contain this stereotypical association (which we believe contributes to its early adoption). Moreover, this pattern seems to have been quite persistent for the last 50 years.6 図3は、ジェンダー代名詞と高度の認知能力を形容する単語とのあいだの連想関係を定量化したものだ。図3Aは2000年から2016年いっぱいまでの全ての映画を対象とし、フル-サンプルとfamily/animationサブ-サンプルについての推定値を表示している。推定値が示すところ、男性代名詞と高度認知能力-関連語の連想関係は、女性代名詞と高度認知能力-関連語の連想関係よりも強い。このパターンはフル-サンプルとfamily/animationサブ-サンプルの双方に現れている。図3Bではこうした違いが時の経過とともに辿ったダイナミクスを検討している。映画フル-サンプルからの結果は、連想関係の違いが、少なくとも半世紀にわたり安定してきたことを露わにしており、トレンドの収束を示すエビデンスは全く見当たらない。family/animationサブ-サンプルの結果が示すところでは、これら映画の集合においても違いは蔓延している。もっとも、推定値の安定度は相対的に低い (family/animationサブ-サンプルのサンプルサイズは、全ての10年期間について、フル-サンプルのそれよりかなり小さかった。安定度の低さはこの事実に起因するものとわれわれは考える。図1Aを参照)5。総じて本推定値は、総計レベルで見るかぎり、「利発さ=男性」 ステレオタイプが映画において事実上プレゼンスを有していること、また特に子供向けに作られた映画にもこのステレオタイプ的連想関係が含まれていること (これが早い段階での同ステレオタイプの受容に貢献しているとわれわれは考える) を示唆する。さらに付言すると、このパターンは過去50年ものあいだかなり執拗に残存してきたようである6

図 3 ジェンダー代名詞と高度認知能力-関連語のあいだの語連想

: (A) ジェンダー代名詞と高度認知能力-関連語のあいだに推定される連想関係。分析対象は2000年から2016年いっぱいまでの映画で、フル-サンプル (n = 2902) とfamily/animationサブ-サンプル (n = 242) について示した。アスタリスクは、背景にある分割表 (contingency tables) に関するフィッシャーの正確検定の結果を示す: *** 1%水準で有意。(B) 推定される連想関係の継時的推移。連続する10年期間 (1967-1976, 1977-1986, …, 2007-2016) 各々に属す映画の集合を入力とする。傾向性はLOESS回帰により推定されている。灰色の面積は、背景にある分割表にたいするフィッシャーの正確検定にしたがうかぎり、違いが5%水準で有意でないことを示す。

検討

西側世界の映画産業は、ジェンダー格差をめぐる近現代の論争の主題であった。論争は、(俳優は女優より相当大きな額を支払われているという) 強固なジェンダー賃金格差の実在性にはじまり、性的暴行および性的ハラスメント蔓延の訴えに至る幅をもつ。今回の結果が示唆するところ、ジェンダー格差は同産業による映画の内容においても相当強固である。知性に関するステレオタイプは知的アイデンティティや学業成績を形成するものであることが明らかにされているが (Steele 1997)、この点に鑑みれば、映画におけるこれらステレオタイプの存在と積極的に取り組んでゆく必要は自ずと明らかだ。

参考文献

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Williams, J E and D L Best (1982), Measuring sex stereotypes: A thirty nation study. Beverly Hills, CA: Sage.

原註

[1] 「知能」 は一般的に、数学的知能や空間的知能と結び付けて考えられている (Furnham 2002)。

[2] このプロセスで支援して頂いたOpenSubtitlesに特に謝意を表したい。

[3] 高度認知能力-関連語の全容およびその構築方法はGálvez et al. (2018) で確認できる。

[4] 本データを使ったPPMI計算過程の詳細はGálvez et al. (2018)で確認できる。

[5] 1967-1976年期間にかぎるが、推定値は高度認知能力-関連語が女性代名詞とのあいだで男性代名詞よりも強い連想関係をもったことを示している。もっとも、背景にある分割表にたいするフィッシャーの正確検定は、この違いが統計的に有意であるとは明らかにしていない (p ≈ 0.4)。

[6] Gálvez et  al. (2018) では、ジェンダー代名詞とジェンダーステレオタイプ的な役割分担の関係につき、さらなる結果を掲載している。

テレサ・フィンリー,ラファエル・フランク, ノエル・ジョンソン, ステリオス・マイカロプーロス 「革命の経済的帰結: 1789年フランス革命からのエビデンス」(2017年12月2日)

Theresa Finley, Raphael Franck, Noel Johnson, Stelios Michalopoulos, “Economic consequences of revolutions: Evidence from the 1789 French Revolution“, (VOX, 02 December 2017)


政治革命は短期的な経済変化につながる速足の体制転換をもたらすことが多いが、その長期的帰結はさほど明らかではない。ある人はいう、革命は資本主義的市場の成長への地盤を固めるのだ、と。またある人はいう、革命はその性質上政治的なものであって経済的帰結は限定的だ、と。本稿は、フランス革命からの広範なエビデンスを活用しつつ、革命の影響というものが国や時代によって大きく異なる旨を示してゆく。制度変化・格差・長期的経済発展。本分析は発展途上国にとっての懸案であるこれら三者の関係を詳らかにする。

革命そして暴力的政権交代は、「アラブの春」 といったごく最近の事例であれ、「1789年フランス革命」 といった遠い過去の出来事であれ、アカデミック界隈から多くの関心を寄せられてきた。これらの大きな政治的断絶は、影響をこうむった社会の政治と経済の軌道における変曲点だと認識されているのだ。

しかしながら、こうした分水嶺的な事件は、該当人口の大多数の生活条件にも諸般の長期的帰結をもたらすものだったのか、またそうした帰結あったならばいかなる形でもたらされたのか、これらの点については諸説紛糾しているのが現状だ。さて、本稿でフォーカスを合わせるのは 「1789年フランス革命」 である。色々な意味で、フランス革命はこれら問題を検証するさい覗き見るべき理想的なレンズだといえる。記録資料が比較的豊富に存在するだけでなく、発生から十分な時が経過しているので、革命政策の中・長期的な影響の双方を評価することが可能だからだ。

フランス革命の経済的帰結

フランス革命の経済的遺産に関する大半の研究は、ふたつの対立する陣営に分かれる。一方にあるのは、フランス革命の担ったフランス経済を近代へと誘う役割を強調する一連の研究である。この役割は、封建制度の撤廃・法制度の単純化・商業と工業にたいする伝統的支配と財政的障壁の縮減 に顕現している。こうした視点は、Thiers (1823-1827)、Guizot (1829-1832) またMarx (1843 [1970]) といった思想家を嚆矢としながら、20世紀と21世紀においてもJaurès (1901-1903)、Soboul (1962)、Hobsbawm (1990) などの広い意味で左寄りの学者をとおしてその命脈を保ってきた。彼らはフランス革命を、工業や商業におけるブルジョアの利害の、土地所有貴族にたいする勝利と見る。ごく最近でも、土地再分配を扱ったRosenthal (1988) や、フランス革命のドイツにおける帰結を扱った Acemoglu et al. (2011) といった実証研究が、この見解に信憑性を与えている。

他方で、こちらはもっぱら古典自由主義的ないし保守的な知識人だが (例: Taine 1876, 1893、Cobban 1962、Furet 1978、またはSchama 1989)、イングランドやドイツといった先進工業国と比較して、フランスは1914年になるまでもっぱら農業的なままだった点を重視する人達がいる。彼らの主張では、フランス革命は貴族とブルジョワジーのあいだの経済的利害の違いによって動機付けられたものではなく、むしろ政治革命なのであって、これに社会経済的な反響が付随したのだという。フランス革命はじつのところ 「反資本主義的」 だった (Cobban 1962)、またそう考えればこそ19世紀をつうじてフランスに農業国的特徴がしぶとく残ったことも説明できる、とこのように彼らは訴える。

本稿執筆者の一部による近年の実証研究は、これら互いに背馳する見解の融和を図るもので、革命政策がフランスの各県 (departments: 合衆国の 郡 counties に相当する行政区分 – フランス革命期に創出) にたいし相異なる影響を及ぼした経緯にフォーカスを当てている。一方の研究はフランス革命初頭に起きた教会財産の没収・競売を利用したもので (Finley et al. 2017)、他方の研究は1792年の夏以降に加速した亡命者 (émigrés) の逃避行動にフォーカスを当てつつ、地方エリート構成の変化が経済パフォーマンスにもたらした帰結を評価している (Franck and Michalopoulos 2017)。われわれはいずれの研究においても、農業用土地保有の分布が19世紀と20世紀をとおしての経済発展の形成において担った、時間-変化的な役割を強調している。

フランス革命期における教会財産の再分配

1789年11月2日にフランスの憲法制定国民議会 (French Constituent Assembly) で決定された法律により、全ての教会財産が没収され競売をとおして再分配された。続く5年間で、70万件を超える教会領 (ecclesiastical properties) – フランス領土の約6.5%に相当 – が、歴史学者Georges Lecarpentier (1908) の言う 「フランス革命で最も重要な事件」 において売却されたのである。

Finley et al. (2017) では、場所により大幅に異なる教会財産没収状況を利用することで、制度改革の成功にたいする初期段階の財産権配分の重要性を調べた。つづいて本実証分析は、Bodinier and Teyssier (2000) が収集した革命による教会保有地没収の高度に細分化されたデータを、1841年から1929年にかけて継続的に執り行われた幾つかの農業サーベイ調査のデータと結合した。本データセットはフランスにおける (86県の中の) 62県の194区 (districts) をカバーする。図1が示す通り、これら区に占める教会領の割合は0%から40%と様々であった。

図 1 土地の没収

さて結果だが、競売に掛けられた教会保有地が多い地域圏 (regions) ほど19世紀における土地格差が大きいことが判明した。それだけでなく、この富の偏りが19世紀中期までには農業生産性および農業投資の水準の相対的な高さと結び付くに至っていたことも明らかになった。具体的には、再分配された教会保有地が10%多い区は、小麦生産における生産性が25%高く (図2を参照)、パイプ製造業者が約1.6倍になっており (干拓・灌漑のプロジェクトで使われた)、休閑地は約3.8%少なかった。なお本論文では、いくつかの実証戦略を施行することで識別力の向上をめざしている。そうした戦略には、12の地域圏-固有効果についての調整、ジャガイモ収穫量を用いたプラシーボ分析の実行、12世紀に確立された司教領 (bishoprics) にたいする各区の近接性に依拠した操作変数分析の実施 などが含まれる。

図 2 小麦収穫量

本研究はさらに、革命による土地の再分配が農業生産性に及ぼした有益な影響が19世紀の流れの中で徐々に落ち込んでいったことも明らかにしている。これは図3に図示した。この結果は、封建制につきものだった財産権の再配分にまつわる取引コストを、その他の区も徐々に克服していったことと整合的である。

図 3 革命による没収が農業生産性に及ぼした継時的な影響

フランス革命期の移住の影響

フランス革命期に見られた封建制終焉のもうひとつの側面が、亡命者の逃避行動である。10万人を超える個人が革命の暴力から逃れるためフランスを離れたのだが、これら個人は大方が 「旧体制 (Old Regime)」 の支持者だった。図4に図示したのはGreer (1951) が収集したデータだが、1789年から1799年にかけての各県における亡命者の空間的分布を示している。移住率の差異のうち外生的と考えてよさそうなものを確保する目的で、本稿執筆者のうちの2人 (Franck and Michalopoulos 2017) は、1792年夏のあいだの気温ショックに関する地方的差異を利用している。この年、第二革命として知られる革命的暴力の波が、ルイ16世の幽閉そして1792年9月21日における第一共和制の宣言において最高点を迎える。われわれが取った識別戦略のロジックは、経済状況の差異と暴力加担の機会費用をリンクさせた関連文献の、優れた発展に負っている。気温ショックが農業産出量を減少させた限りで、(18世紀フランス人の主食であった) 小麦の価格上昇は、フランス人口における相対的に貧しい階層のあいだでは騒擾を激化させ、それにより衰退する君主勢力を支持する富裕層のあいだでは移住を増幅させたはずである。図5が示すところ、大きな気温ショックを経験した県では人口中で移住した人の割合がじっさいに大きくなっていた。なお、ここでの気温ショックは、1972年夏の気温の、標準的な諸気温水準からの偏差を二乗した値で代用している。

図 4 フランスの県ごとに見た、人口に占める亡命者の割合および1972年夏の気温                             出典: Greer (1951)

図 5 第二革命期における各県の亡命者割合および気温ショック (1972年夏)

図6に図示したのが本研究の主たる成果だが、移住が後続する200年間の比較的発展に及ぼした、非-単調的な影響が露わになっている – 移住度の高い県は一人あたりGDPが19世紀のあいだ相対的にかなり低くなっていたが、このパターンは20世紀をとおして逆転する。より精確にいえば、ひとつの県の人口に占める亡命者の割合が0.5%増加すると、1860年には一人あたりGDPが12.7%減少していたのが、2010年には一人あたりGDPが8.8%増加するようになったのである。

図 6 亡命者の割合が 1860年・1930年・1995年・2000年・2010年 の一人あたりGDPに及ぼした影響 〔本稿には1860年と2000年の分しか掲載されていない〕

この逆転の原因は部分的には農業用土地保有の構成変化に帰しうる。本研究は19世紀中期以降に継続的に執り行われた農業に関するフランスの国勢調査を活用し、移住度の高い県では今日に至るまで大規模土地所有者が相対的に少なかったことを明らかにしている。大規模私有地の優勢のこうした退潮、そして小農民の伸長が、機械化の少なさを介して農業生産性にマイナスの影響を与えたのである。

本研究はさらに、19世紀をとおして移住度が高かった県では、人口に占める富裕な個人の割合が、亡命者の相対的に少なかった地域圏と比較してかなり小さかったことも明らかにしている。十全の財産の持った個人が、資本集約的な生産の時代における一定の臨界量に達していなかったこと。これも19世紀をとおして移住度が高かった県に見られた工業化水準の低さを説明するものかもしれない。とはいえ、1881-1882年にかけて国家としてのフランスが無償義務教育の制度化を成し遂げたあと人的資本の蓄積が起こったのは、これらの初期段階で立ち遅れていた県であり、これが20世紀後半における相対的に大きな所得に結実したのである。

フランス革命・格差・成長

全体的にいって、われわれが行った最近のふたつの実証研究 (Finley et al. 2017, Franck and Michalopoulos 2017) は、Galor and Zeira (1993) とGalor and Moav (2004) の理論研究との関連性を持つ。これら理論研究は、富の格差が発展の過程において非-単調的な役割を担うことを主張する。成長が物理的資本の蓄積に駆動されており、資本市場が不完全なばあい – それがまさに19世紀だったのだが -、より少ない個人の手の内により大きな富が集中することが成長には有益なのである。逆にいえば、資本市場の不完全性が存在するのなら、人的資本が成長の駆動力となったときにこそ、より小さな富の格差をとおし、教育を受けた労働者のより大きなプールが実現可能になる。

フランス各地の構造的変容と教会保有地再分配の水準、そして移住の激しさ。本研究はこれらをつなぐひとつのリンクを明らかにすることで、1789年革命の経済的遺産に新たな光を当てた。より一般的にいうなら、本分析は発展途上国にとって – 歴史的にもまた今日的にも – 問題であるところのもの、すなわち 制度変化・格差・長期的経済発展 の関係をめぐる懸案、これを詳らかにするものとなった。

参考文献

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原註

[1] 両研究の発見を織り合わせるなかで本稿執筆者の一部が明らかにしたところ、地方エリートが教会財産の没収からどれだけの利を得られたかは、フランス革命期にどれだけの移住が見られたかに決定的に依存していた (Franck and Michalopoulos 2017)。具体的にいうと同研究は、移住が土地集中度に及ぼしたマイナスの影響が、より多くの教会保有地が競売に掛けられたエリア、ほかならぬこのエリアにおいて増幅していたことを明らかにした。

マルセル・ファシャン, アナ・ヴァーシュ, ペドロ・ヴィセンテ「投票行為とピア効果」(2018年3月3日)

Marcel Fafchamps, Ana Vaz, Pedro Vicente, “Voting and peer effects“, (VOX, 03 March 2018)


投票率は、政治面でひとびとを代表した政府を選出するにあたり、大変重要である。しかし投票率は、数多くの社会規範や自らが選挙の要となる票 (pivotal vote) を投ずる可能性にも左右される。本稿では、モザンビークにおける2009年選挙での投票率増加をねらったあるキャンペーンの実証データを利用して、これらふたつの経路にピア効果が及ぼす影響の形態を検討してゆく。本研究結果は、情報把握度と政治関心に対する正のピア効果を明らかにしたが、他方では投票率に対する負の効果も浮き彫りとなった。後者はおそらく、全体的な投票率が増加するにつれ自分の票が問題となる見込みが薄くなることに投票権者が気付いてしまうため生ずる効果だと考えられる。

人はなぜ投票するのか? 投票権者が政治的選出過程に参加することの個人レベルの合理性はこれまでしばしば疑問視されてきた – 決定票を投ずる人物でないかぎり、投票行為は投票結果にまったく影響しないのだから (例: Feddersen 2004)。しかしながら、誰も投票していないのに選挙アウトカムだけは有権者の選好を反映している、などということもありそうにない。そこからの帰結として、投票行為が市民的義務の一種と見做されることもままある。とはいえ、一部の国 (例: ベルギー・ブラジル・ペルー) が投票行為を法的な義務としているのは確かだが、ほとんどの国はそうしていない。したがって選挙参加の水準は、投票行為に関してその時々に機能している社会規範、ならんで投票権者が自ら決定票を投ずる人物になる確率をどのていどと見込んでいるかに左右されると考えられる。そしてこれら双方に影響を及ぼす可能性があるのが、ピアからの感化作用なのだ。

1980年代中頃以降、政治選挙の数は世界中で増加してきたが、投票率のほうは急激な低落に見舞われている (World Bank 2017: 228)。こうした傾向がとりわけ著しいのがサブサハラアフリカだが、2010-15年のギャラップ世界世論調査によると、同地で選挙の公正性を信じている人は人口の45%に満たないという。モザンピークはこの悩ましい現象を如実に描き出してくれる。1994年に初めて選挙が開催されたが、そこでの投票率は88%だった。以後、モザンビーク解放戦線 (FRELIMO) とその後援を受けた大統領候補者が全ての国政選挙で勝利を収めており、その得票率のほうも時とともに増加している。そして投票率は、初めての選挙から10年後の2004年の時点で、36%にまで落ち込んでしまっていた。

モザンビークにおける投票率増加キャンペーン

こうした傾向を逆転させる試みとして、2009年の選挙期間中、投票権者教育キャンペーンの効果の研究をめざす無作為化対照試験が実施された。キャンペーンをつうじて選挙過程への信頼を再び確立し、これにより投票率を増加させることができれば、というのがねらいだった。数字を額面通りに受け取るならば、キャンペーンは功を奏した。平均的すると、キャンペーンをつうじて処置地域の投票率は5%増加したのである (Aker et al. 2017)。キャンペーンはみっつの異なる形態で実施された。ひとつ目は、該当選挙に関わる中立的な情報にフォーカスした無料新聞の配布である。ふたつ目は、テクストメッセージによるホットラインで、選挙関連問題があれば市民はここに通報することができた。みっつ目は、該当選挙に関わる情報を供給するリーフレットとテクストメッセージをつうじた、市民教育だった。

以上のフォローアップを行った論文 (Fafchamps et al. 2018) で我々は、この介入の成功が部分的には正のピア効果に由来するものなのかを検討した – というのも、もし市民が市民的義務を果たすために投票しているのなら、同教育キャンペーンはこの義務をより顕出的にすることで投票参加への社会的圧力を創出している可能性があるからだ。我々は各村落内部においてキャンペーンが惹起したピア効果、これにフォーカスを絞り、キャンペーンの効果が、同村落においてキャンペーンの対象となった個人と社会的ないし地理的に近しい人物について相対的に強くなっているかを調べた。結果変数としては、投票行動・情報把握度・政治関心 に関する個人レベルのサーベイ調査測定値、および政治参加に関する行動測定値を活用した。ピア効果の推定にあたり、我々は社会と地理の近接性に関するみっつの測定値を用いた。第一は 親族関係 (kinship) であり、これは該当村落でサンプルとなった人のうち回答者と親族関係にある者の比率に対応する。第二は 世間話 (chatting) であり、これは該当村落でサンプルとなった人のうち回答者が頻繁に会話する者の比率に対応する。第三に 地理的近接性 (geographical proximity) であり、これは回答者の住居と該当村落でサンプルとなった他の人の住居との平均距離 (を負にした値) で代用した。

ピア効果の影響

予想されていた通り、教育キャンペーンは平均的に見て投票率を増加させていた (Aker et al. 2016)。ところがこの効果は〔近接性の値が大きいという意味で〕中心的な個人ほど小さくなっていたのである。我々は、投票参加に対する負のピア効果を明らかにした。これと対照的に、情報把握度と政治関心に対するピア効果は正であり、キャンペーンの平均的効果と軌を一にしている。

我々の解釈では、これら発見は政治参加にコストがかかるモデルと整合的である。この枠組みにおける投票行為は、選挙過程に影響を与える確率だけでなく、市民意識といった非-手段的な動機からも誘発されうる。選挙の信用性に関する情報提供をつうじて、キャンペーンは投票権者に選挙過程の公正性を信じてもらおうとした。そうすることで、キャンペーンは市民意識の昂揚も引き起こしたかもしれない。両効果はともに投票行為を促進する性格のもので、キャンペーンの平均的な効果とも軌を一にしている。ところがピア効果は投票行為に対するこの正の影響を緩和してしまう可能性がある。それは中心的な投票権者が、キャンペーンのおかげで投票率が増加するので、政治的に容認可能な選挙結果を得るために自分の票が必要となるていどは少なくなると気づいてしまったばあいである。そうした状況では、これら投票権者は他の人の政治参加にフリーライディングする意思決定を行うかもしれない。

モザンビークでは、2009年選挙で誰が勝利するかについて疑問の余地はなかった。したがって投票権者は自らが選挙結果を決する要となるなどとは予想のしようがなかったはずだ。それでもなお、投票権者が、該当村落の投票率やどれほどの票差を付けての勝利かといった、その他の選挙アウトカムを気に掛けていた可能性はあるだろう。投票率の低さや票差の小ささが政府への不服を示すものと解釈される余地はある – むしろありそうだとさえいえる。こうした解釈は回り回って何らかの形の懲罰 (例: 地方公共財供給の削減) につながるかもしれない。このような政治環境にあっては、選挙の要であるというのは、もはや選挙の勝者を決す票を投ずることと同義ではない; ここで要であるというのは、それを下回ればコミュニティが報復に直面する閾値を上回るように、投票率ないし票差を動かすことを意味するのである。本データが示唆するところ、票差に基づくこの要の論理はモザンビークにおける政治参加決定因子のひとつであった。本実証データは、選挙参加に対する負のピア効果を要の論理をとおしたフリーライディングと見る我々の解釈を裏付けている。

以上の研究結果から投票権者教育キャンペーンの設計に関する幾つかの含意が得られる。社会的ネットワークが、選挙への関心といったソフト面でのアウトカムに対する処置効果を増幅する傾向を持つのは確かだが、それは投票意図に関する情報を周知させることで投票率を減衰させ、それによりフリーライディングを惹起しかねないのである。

参考文献

Aker, J C, P Collier, and P C Vicente (2017), “Is information power? Using mobile phones and free newspapers during an election in Mozambique”, Review of Economics and Statistics 99(2): 185-200.

Fafchamps, M, A Vaz, and P Vicente (2018), “Voting and peer effects: Experimental evidence from Mozambique”, Economic Development and Cultural Change, (forthcoming).

Feddersen, T (2004), “Rational Choice Theory and the Paradox of Not Voting”, Journal of Economic Perspectives 18(1)” 99-112.

World Bank (2017), World Development Report 2017: Governance and the Law, IBRD/The World Bank, Washington DC.

 

 

クラウディオ・ミケラッチ et al.「アメリカ人はヨーロッパ人より働くが、ヨーロッパ人が怠けているとは思わないでほしい」(2007年9月)

[Claudio Michelacci, Josep Pijoan-Mas, “Americans do work more than Europeans, but please don’t think that Europeans are lazy,” 17 September, 2007]

 

こんにちではアメリカ人は多くのヨーロッパ人より働くけれども、このことは1970年代には当てはまらなかった。ヨーロッパ人はアメリカ人より怠け者になってしまったのだろうか?もちろんそうではない。つまり、大西洋の両岸を越えた労働時間の違いは、単に仕事人生をめぐる労働者のインセンティブの違いを反映しているだけなのだ。

 

アメリカと大陸ヨーロッパにおける総労働時間は、過去35年間で非常に異なる変化をした。1970年代には、アメリカよりもフランスやイタリアやドイツのようなヨーロッパ諸国のほうが一人当たり平均労働時間はわずかに長かった。こんにちのアメリカ人はヨーロッパ人より30%多く働く。これらの違いは重要であり、またこれらが現在のアメリカとヨーロッパの1人あたりGDPの違いのほとんど全てを説明する。つまり、1人あたりGDPはこんにちではフランスやドイツよりアメリカのほうが30%高い一方で、労働時間あたりのGDPによって測定される生産性は大まかに見れば等しいのである。このことは、アメリカ人がこんにちヨーロッパ人より豊かなのは、アメリカ人の方がより生産的だからではなく、単にアメリカ人の方が長く働くからだということを意味する。

労働時間の顕在化しつつある差は、部分的には労働力化率(アメリカにおいてより多く増えてきている)の変化や失業率(ちょうどヨーロッパで増えてきている)による。しかし、他の相当な部分は、違いの3分の1から2分の1を説明するダイナミクスである、労働者一人当たりの労働時間と関係がある。

ひとたび雇われれば、何時間働くかの決定は多くの労働者にとって自発的なものである。もちろん、たとえば、国や仕事のなかには、現行の規制が最大限どの労働時間を制限しているもののように例外もあるが、規則は必ずしも拘束力を持っているわけでもなければ施行されているわけでもない。実際のおよび望ましい労働時間の差はヨーロッパ人にとっては実際に小さいものであり、また、それでもなお過去数十年で小さくした。だから、アメリカとヨーロッパにおける一人当たり労働時間の分岐しつつある変化について心配しすぎる必要はないといえる。こんにちのヨーロッパ人は、単に、より余暇を享受し始めたので労働時間の活動により短い時間を捧げているだけなのである。

しかし、アメリカ人とヨーロッパ人が本質的に違うものになってきたというわけだ、というのは本当だろうか?おそらくそうであろう。しかし、総労働市場の条件がアメリカとヨーロッパとで非常に違うふうに変化したというのもまた事実である。過去30年の間、賃金格差はアメリカでは相当拡大したのに対しヨーロッパではわずかにしか拡大しなかった一方で、失業率はヨーロッパでは上昇したがアメリカでは上昇しなかった。こんにち、ヨーロッパに比べてアメリカでは失業のリスクがより小さく、就職はより容易であり、キャリアのはしごを登ったり高い給料の職に雇われたりするより大きな可能性がある。このことはアメリカ人とヨーロッパ人の仕事人生の間の極めて異なるインセンティブを示唆している。

われわれの最近の研究(※追記:リンク切れ)は、インセンティブにおけるこれらの違いが、大西洋の両岸をまたいでの労働時間において観測された違いを説明できることを示している。現在の仕事における昇進やより良い職を得ることはハードワークを要し、また労働者も努力の価値がある場合にのみそうするのを厭わない。これが左遷の場合だと、労働時間は短くなる。このことは過去30年間のヨーロッパにも当てはまる。アメリカン・ドリームによってアメリカ人が一生懸命働くように、ヨーロッパの不振な経済パフォーマンスによってヨーロッパの労働者は長時間働く気を削がれているのである。だから、ヨーロッパ人を余暇活動に時間を捧げすぎであると責めるよりはむしろ、ヨーロッパの市場をより自由化するほうが価値はある。ヨーロッパの労働者に仕事人生に関するより強力なインセンティブを与えれば、アメリカとヨーロッパの間のアウトプットの差を縮める最も効果的な方法となろう。

ラヴィ・カンブール「グンナー・ミュルダールと『アジアのドラマ』の文脈」

Ravi Kanbur “Gunnar Myrdal and “Asian Drama” in context“, VoxEU, 09 March 2018

 

グンナー・ミュルダールの『アジアのドラマ』は50年前に出版された。一見すると、経済的に停滞したアジアの現実という観点から見れば、本書には近代の開発経済学者に提供しうるものはほとんどないように思われる。しかし、このコラムでは、ミュルダールが提起した問題は開発にとってだけでなく経済に関するわれわれの学問と政治経済学という広範な領域にとっても基礎をなすものであるということを主張したい。

 

グンナー・ミュルダールの『アジアのドラマーー諸国民の貧困の一研究』は50年前に出版された(Myrdal 1968)この本の序文は“HABENT SUA FATA LIBELLI(本にはそれら自身の運命がある)”というラテン語のフレーズで始まっており、これには例外がない。この本は非常に時間を経ており、そして経済的に停滞したアジアの現実という観点で見ているが、これはいまや明らかに時代遅れである。それゆえに一見すると、本書には近代の開発学者に提供しうるものが少ないように思われる。それでも、本書とミュルダールは、共鳴し続けており、われわれが無視している問題を、開発経済学および経済学全般の貧困に導入し、強調したと主張することができる。

グンナー・ミュルダールは1974年にノーベル経済学賞を受賞した[1]。しかし彼はそれ以前にいくつかの生涯の業績を達成している。彼はスウェーデンの伝統の影響を受けた優れた経済学者であり[2]、因習打破主義者となり経済学の方法論的な基礎に疑問を呈し、のちにケインズの一般理論においてみられるマクロ経済学に関する洞察力(スウェーデン語で出版されている)を持つストックホルム学派の創設者であり、スウェーデンの福祉国家の知的および政治的な創設者の一人であり、アメリカにおける人種差別待遇廃止の基礎としての役割を果たした、記念碑的な『アメリカのジレンマ――黒人問題と現代の民主主義』(Myrdal 1944)の著者であった。第二次世界大戦後は、彼は国連欧州経済委員会の長として鉄のカーテンを超えて経済と政治の関係に取り組み、そしてもちろん1968年の3巻におよぶ『アジアのドラマ』の著者であった。しかし『アジアのドラマ』は決して彼の最後の仕事ではない。彼はその最高傑作の出版ののち20年生き、晩年に健康状態が悪化するまで、十分に経済発展についての議論に関わった。実際、彼のノーベル賞受賞スピーチ(Myrdal 1975)はほとんどが経済発展の話題についてであった。

 

ミュルダールの最高傑作

グンナー・ミュルダールは出版の10年以上前の1957年にアジアのドラマに関する仕事を始めた。その時の世界の見方は、彼が1957年に書いたものによく表れている。

  • “…非常に豊かな少数の国のグループと、はるかにより多くの非常に貧しい国のグループがある。前者のグループに含まれる国は全体的に、継続的な経済発展のパターンがしっかりと定着している。それに対して、後者のグループでは、平均所得水準が懸念される限り、多くの国々が停滞やさらには地位の低下から脱出できないという絶え間ない危険にさらされているおり、発展が遅い。そしてそれゆえに、全体として、ここ数十年、先進国と発展途上国の間の経済格差は増大してきている。”

中国やインドやベトナムやその他の多くの国の爆発的な成長に伴って、最近四半世紀のアジアの発展の現実に関して最も食い違っているのは、半世紀以上前のこのフレーミングである。アジアのドラマは主には南アジアに焦点を当てているものの、この本では中国やその他のアジアの国もしばしば同様に描かれている[3]。当時のほとんどの他の人と一緒で、ミュルダールもインドや中国の経済が半世紀と少しの間にアメリカ経済の規模のライバルになるだろうとは予測しなかったのである。

 

21世紀における開発の言説との関係

しかしながら、21世紀の開発に関する言説には、『アジアのドラマ』とアジアのドラマ前後のミュルダールの強い痕跡が見られる。なぜなら、ミュルダールが彼の生涯およびアジアのドラマを通して提起した問題は、発展にとってだけでなく経済に関するわれわれの学問と政治経済学という広範な領域にとっても基礎をなすものであるからである。ここに、そうした3つのテーマを挙げる。

これらの第一のものは分析における価値の役割である。ミュルダールは、経済学は価値判断を前提としている[4]と主張し、1930年代に最初に主張してからは決して意見を変える[5]ことはなかった。彼はこのことについては19世紀から活発な議論がなされているが、自然科学に匹敵する地位を達成しようと、彼の時代の経済学は経済学自体を、価値観を含まないものとして描写することを試みていたと主張した。しかし経済学の本質を考慮すると、このことは明らかに当てはまらず、また不可能でもある。価値観を含まないふりをするよりはむしろ、彼は価値観を明確にするべきだと提案し、彼の提案を『アジアのドラマ』の中で非常に徹底的に実行した。

『アジアのドラマ』に関する研究から現れる第二のテーマは、グンナー・ミュルダールの生涯の業績の相対的なコンテクストは、社会を理解するためはおろか、経済それ自体を理解するためにも狭い経済学の原則を超えることが必要だということであった。業績をとおして、ミュルダールは経済学の中心的な信条を健全に尊重し続けた。実際、『アジアのドラマ』に関するレビューの中にはこの点に非常に注意しているものもある。しかし、彼の主要な主張は、経済的な事実を説明しようと試みるときや経済政策の処方箋を作るときに、社会的、文化的、政治的なコンテクストを十分に理解することの必要性であった。このことは支配層のエリートの役割や、彼が「軟性国家」[6]とよぶところの政策形成と政策実施の間の違いに関する議論の中でやり通されている。

しかし支配エリートや腐敗、軟性国家は『アジアのドラマ』とミュルダールの生涯の業績において私が第三のテーマだと考えるものを前面に持ち出す。これは、国家と市場との間のバランスを発見するための絶え間ない努力である。その努力は、公の知恵によって導かれるべき国家と、可能な限り干渉を最小限に抑えて、個々の裁量に任せなければならないものとしてエドマンド・バーク(1795)によって立派に表現されている。

私は、これが実質的に政治経済学の永遠の問いであるとカンブール(2016)において主張した。ケインズ(1926)は、同様に有名な自由放任主義批判の中でこれに言及した。明白な市場破綻に直面した介入主義的スタンスと、政府の失敗の実現に対する撤退との間のシーソー、そしてそのバランスが崩れたところは、開発援助および開発不足の罠から脱出する方法としての計画の不足と、エリートと軟性国家に人質を与える罠としての計画それ自体の間で常に揺れ動いていることに関する、グンナー・ミュルダールの彼自身および彼の考え方のサイクルに伴う具体的な努力とにおいて見られる。

 

過去半世紀で、開発に関する視点は劇的に変化してきた。しかし、ここで議論された三つのテーマを含む基本的な緊張は未だにわれわれとともにある。いまとなっては過去50年間でコンテクストが変化したにもかかわらず、それらは過去10年間の全てではないにしてもほとんどの「全体像」や「概観」の本において、何らかの形で見つかるだろう。これらの緊張とのミュルダールの努力は、21世紀の開発の言説に対する彼の究極的な遺産である。

 

参照

Barber, W J (2008), Gunnar Myrdal, Palgrave Macmillan.

Burke, E (1795), “Thoughts and Details on Scarcity. Originally Presented to The Right Hon. William Pitt, in the Month of November”, published in F Canavan (ed.), Select Works of Edmund Burke, Liberty Fund (1990).

Kanbur, R (2016), “The End of Laissez Faire, The End of History and The Structure of Scientific Revolutions”, Challenge 59(1): 35-46.

Kanbur, R (2017), “Gunnar Myrdal and Asian Drama in Context”, CEPR Discussion Paper No. 12590.

Keynes, J M (1926), “The End of Laissez-Faire”, in The Collected Writings of John Maynard Keynes, Volume IX, Essays in Persuasion, Royal Economic Society, Palgrave MacMillan (1972).

Myrdal, G (1944), An American Dilemma: The Negro Problem and Modern Democracy:  Volumes I and II, Harper and Row

Myrdal, G (1954), The Political Element in the Development of Economic Theory, Harvard University Press.

Myrdal, G (1957), Economic Theory and Underdeveloped Regions, Harper and Row.

Myrdal, G (1968), Asian Drama: An Inquiry into the Poverty of Nations (Volumes, I, II and III), A Twentieth Century Fund Study, Pantheon.

Myrdal, G (1975), “The Equality Issue in World Development”, 1974 Nobel Lecture.

Rosen, G (1968), “Review of ‘Asian Drama’”, American Economic Review 58(5): 1397-1401.

 

脚注

[1] 彼は「貨幣理論および経済変動理論に関する先駆的業績と、経済現象・社会現象・組織現象の相互依存関係に関する鋭い分析を称えて」フリードリヒ・ハイエクとノーベル経済学賞を分け合った。多くの人は、自由市場の象徴であるハイエクが社会民主的な干渉主義の擁護者であるミュルダールとペアになるのは奇妙で皮肉だと考えた。

[2] 話の通り、彼は法律を専攻として卒業したが法律に幻滅した。彼の妻であるアルバ・ミュルダール(彼女自身が象徴的な人物でありのちのノーベル平和賞受賞者である)は、彼にグスタフ・カッセルの Theoretische Sozialokonomie(邦題; 『社会経済の理論』)を買ったところ、彼は経済学に没入し、発刊された1899年以降のEkonomisk tidskriftというスウェーデンの経済ジャーナルのすべての号を読みとおした。 (Barber 2008 および Kanbur 2017 を参照せよ)。

[3] 彼は例えば、現代史における最も壮大な貧困削減のためこんにちでは確実に信じられない、『貧困に苦しむ中国』(Myrdal 1968:11)の記述を参照している。

[4] Myrdal (1954).

[5] waverの原義は「揺れる」や「迷う」であるが、「(気持ちが)揺れなかった」という意味から「意見を変えることはなかった」と訳した。

[6] 「軟性国家(原文: Soft state)」とは、ミュルダールが独自に用いた用語であり、法律制度に欠陥があるなどの理由により、法が遵守されず、行政に不正や汚職が蔓延している国家のことを指す。