ピーター・ターチン「ズボン着用の文化進化:前編」(2012年7月7日)

北米や西欧だと、一般人のほとんどがズボンを履いているのを観察できるはずだ。しかし、なぜ一般人(特に西洋文明に属する男性)の標準的な衣服になっているのだろう? なぜ、キルト、ローブ、チュニック、サロン〔腰巻きスカート〕、トーガではないのだろう?

北米や西欧だと、一般人のほとんどがズボンを履いているのを観察できるはずだ。しかし、なぜ一般人(特に西洋文明に属する男性)の標準的な衣服になっているのだろう? なぜ、キルト、ローブ、チュニック、サロン〔腰巻きスカート〕、トーガではないのだろう?

2日前にこうした質問をしたところ、様々な回答が寄せられた。答え合わせをするにあたって、皆からのさまざまな解答を検証してみよう。回答の中で最も一般的だったものは、有用性や利便性を根拠にしたものだった。私は、こうした回答にほとんど同意できない。利便性は、根拠の(多く見積もっても)10%程度である。ネクタイの着用を考えてみてほしい。それは、選挙で当選を望んだり、CEOになりたければ着ないといけない衣装だ。そして、ネクタイはバカバカしい装飾品だと皆も考えているはずだ。つまり、ここで圧倒的に重要になっているのは、社会性である。ネクタイは、社会的規範への適合、社会的アイデンティティ、社会的地位を示すアイテムである。

〔人の服装において〕社会的要因が重要なっているのを納得したいなら、以下の非常に興味深いサイト「キルトを着る勇者になって、ズボン・ファシズムと戦おう」をチェックしてみてほしい。
http://www.kiltmen.com/

上記のサイトが興味深いのは、キルトを着ている勇者達の愚かさにあるのではない。逆だ。彼らへのキルトへの熱心な擁護を読めば、(少なくとも男性なら)、ズボンを着ている我々こそが愚かだと思うはずだ。温暖だったり蒸し暑い地域の夏だと、ジーンズよりキルトのほうがはるかに快適だと分かるだろう。

男性の睾丸が股下にぶら下がっているのには理由がある。精子を作るのに最適な気温は体温より数度低いからだ。なので、ズボンの着用は、精子製造において非合理的な行動である。

夏はズボンよりスカートのほうが快適(写真はkiltmen.comより)

もっとも、私はキルトに切り替えるつもりはない。はっきりいって、スカートを履いた男性は滑稽だ。社会的要因は、利便性を上回る。ウェブページにアクセスして、勇者たちの直面している困難な戦い((妻や両親による)ズボン・ファシズムに立ち向かう)を見てほしい。
https://kiltmen.com/wives.htm

彼らに幸運あれ

極寒地域や、温帯地域の冬期で、ズボンが非常に便利であることは、間違いのない事実だ。ロシアやスウェーデンのような地域では、冬は相当に寒いことを思い出してほしい。それでも最近まで、人類の半分は冬でもスカートを履いていたのだが…)しかし、温暖な気候の国に住む人で、ズボンを履いている人はかなりの数になる。この社会的慣習はどのように広まったのだろうか?

2000年前の「西欧文明発祥の地」である地中海地域では、そこに住んでいた文明人(ギリシア人、ローマ人だけでなく、フェニキア人やエジプト人)は、誰もズボンを履いていなかったことが分かっている。

古代ローマ人が着用していた服は、様々な階級ごとに異なっていた。例えば、トーガだ。トーガは、着るのに手間がかかる服だった。トーガを着るには、誰かの助けがなければ、布を体に巻き付けることはできなかった。なので、トーガは地位(「私はお金持ちで、奴隷を保持しています」)を示すために始まったと考えられる。古代ローマだと、市民権を持つものだけが、トーガの着用を許されていた。ローマ市民は、選挙で当選するためには、トーガを着なければならなかった(古代ローマにおけるスーツとネクタイである)
(画像は http://www.vroma.org/~bmcmanus/clothing_sources.html より)

当時、ズボンを履いていたのは、スキタイ人(画像参照)や、メデイア人や、ペルシア人のような「蛮族」の訪問者だけだった(むろん、ペルシア人は、高度な文明を持っていたが、ギリシャ人は、彼らを「蛮族」とみなしていた)。

ヨーロッパでは、鉄器時代になっても、画像にある2人のスキタイの戦士のような「蛮族」だけがズボンを履いている。
(画像は http://www.german-hosiery-museum.de から)。

現在の典型的な欧米人(スコットランド人を除く)が、スカートを履いた男性を見て大笑いするように、当時の文献を参考にすると、ズボンの着用は、ギリシャ人にとっては奇妙で、滑稽だった。古代ギリシア語には、「ズボン」という言葉すらない。「ズボン」について言及された、有名な文章が2つある。1つ目は、アリストパネス『』だ。そこではペルシア人を打ち破った戦争が、以下のように描写されている。
「我らは、ペルシア人達を追撃し、彼らを“ダブダブのスボン(baggy trouser)”の上から串刺しにした」
もう一つは、エウリピデスの『キュクロプス』での、〔トロイ戦争のきっかけになる〕パリスによるヘレンの誘惑についての箇所だ。
「足に刺繍入りの“ズボン(breeches)”を履き、首に金の鎖を巻いた男の姿を見て、ヘレンは怯んでしまい、器量が良い小柄な夫メネラウスの元を去った」。

上記で引用した文章内で使われている「ズボン」は、原書では「ずだ袋(sack)」であり、英語に翻訳される際に、“ダブダブのスボン(baggy trouser)”と“ズボン(breeches)”と翻訳されているようだ。つまり、ギリシャ人視点では、ペルシア人は、足のずだ袋をはためかせて逃走したとされているわけである…。

ギリシア人は基本的にキトン(基本的にはローマ人のチュニックと同じ)と呼ばれる服を着ており、足に「ずだ袋」を巻くのは野蛮人の行為とされていた。古代ローマ人も同じように考えていた。ローマ市民は、公務の際にはトーガを着用しなければならず、それ以外の状況(例えば戦争時)には、チュニックを着用している。

キトンを着用したギリシャ人戦車兵(ウィキペディアより)

古代イタリアでは(野蛮人を除いて)誰もズボンを履いていなかったのだ。1000年前の中世になると、イタリアでは、男性はズボン(ホース)のようなものを履くようになった。
〔訳注:「ホース」とはタイツのような服〕

中世イタリアの男性は、ピッチリとしたズボンであるホースを着用していた(画像はグーグルより)

イタリア人はなぜチュニックからズボンに切り替えたのだろう? 答えは「馬」である。馬は、我々が複雑で大規模な社会に生きている理由(少なくとも、そうした大規模な社会が最初にどのように進化したのか)を解き明かすだけではなく、夏に男性が涼しいキルトではなくズボンを履いて蒸れなければならない理由も解き明かしてくれる。後編で言及するが、騎兵の採用と、ズボン着用への切り替えには、歴史的に見ても非常に密接な相関関係がある。

後編に続く。

[Peter Turchin, “Cultural Evolution of Pants” cliodynamica, 7 July, 2012]
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