ブランコ・ミラノヴィッチ「ウクライナにおける現在の戦争の起源についての通説と真因」(2022年12月25日)

現在の紛争の根源は、歴史的なものであり、共産主義連邦の初期設定や共産主義の発展モデルの経済的失敗に起因していることを見なければ、現在の紛争や未解決の紛争、そして今後起こりうる紛争を理解することはできないだろう。

第一の説:「民主主義と専制主義の対決」

この説が最も有力とされている。紛争を民主主義と専制主義の戦争とみなすものだ。この説は、ロシアは独裁者によって統治されている、ウクライナは選挙で民主的に選ばれた大統領によって統治されているとの事実をベースにしている。しかし、この見解は、2004年のウクライナの政権交代は不公平な選挙に対する社会的反乱の結果だった、2014年の政権交代は合法的に選出された政府に対するクーデターだった、といった多くの事実を無視している。さらに、ウクライナは、戦争前も、2014年以前も、旧ソ連邦の構成国で最も失敗した国家だった。汚職のレベルは極めて高かっただけでなく、議会はほとんど機能しておらず、ゼレンスキーを権力の座に就かせた人物を含む様々なオリガルヒが横行していた。こうした汚職だけでなく、ウクライナの経済実績は、おそらくだが旧ソ連を形成していた国家の中で最悪だった。1990年だと、ロシアとウクライナの一人当たりGDPはほぼ同額だったが、ロシア侵攻前夜には、ロシアはウクライナの2倍となっている。ウクライナは、ロシアの専制政治に対抗する望ましいオルタナティブを示している、あるいはロシアによって示さざるを得なくなっている、といった見解は、事実によって否定される。人口移動も、ロシア人のウクライナ移住よりも、ウクライナ人のロシア移住の方が多く、「間違えた」方向に向かっていた。これは、ロシアの賃金水準が、ウクライナの約3倍だったことが原因となっていた。ウクライナ人は、労働目的で、ロシアに移住していた。

このナイーブな説では、ポスト共産主義圏で生じた紛争の全てが、民族的根拠に基づいた国境線に沿って創設された共和主義国家の間で生じたのを説明できない。そして、そうした紛争の12件のうち11件は、領土支配を巡る旧態依然とした紛争だった。それらは、民主主義や専制主義とは何の関係もなかったのである。ベラルーシがロシアと同盟を結んだ事実、ウクライナが専制国家のアゼルバイジャンと同盟を結んだ事実はなんら変わらない。専制国家と民主主義国家はキレイに分離できない。

このナイーブな説が人気な第一の理由は、その単純さにある。ロシアやウクライナについての歴史の知識も必要なく、共産主義についての知識も必要なく、共産主義連邦解体の原因についての見解(あるいは知識)すらも必要とされていない。無知に基づく説であり、無知によって支持されている。次に、こうしたナイーブ説は、現在の〔ウクライナでの〕紛争をアメリカと中国との間に生じるとされているより大きな紛争の前兆とみなしている、欧米のリベラル派と右派内双方の好戦的なサークルに恩恵を与えるものである。アメリカと中国の間での潜在的な対立を、地政学的な優位性を巡ってのものとせずに、価値観の対立として捉えるのは、こうした人々に都合が良いからだ。

第二の説:「今回の紛争はロシアの帝国主義に基づくものである」

これは第一の説に次いで有力とされている。この説によれば、プーチン政権は、ルーマニア(モルドバ)からポーランド、バルト、フィランドに至るロシア周辺地域を支配しようとしていた帝政ロシアの継承者である。この説は、戦争直前のプーチンの〔軍事侵攻を〕正当化しようとした発言を根拠にして、かなりの支持を得ている。プーチンに言わせると、ロシアは「裏切りの世紀」を経験し、歴史的領土(プーチンが今や公然と話題にしているエカテリーナ二世が征服したノヴォロシアを含む)を共産主義者たちによって失ったとされる。プーチンは、ウクライナにドンバスを与えたレーニン、ポーランドに東部を与えたスターリン、クリミアを譲渡したフルシチョフを排撃する。大ロシア主義の民族主義者によってよく持ち出されているのは、共産主義政権は大ロシア主義的な排外主義への不協和音を解消するために、ロシアの伝統的な歴史領土を左右に分断させ、他の民族に分け与える、反ロシア的な「陰謀」を実施した、というものである。この説では、ロシア的帝国主義は、何らかの形でロシア人の精神に生来備わっているとされ、これをプーチンのプロパガンダに結びつける興味深い内容が唱えられている。この説は、リアリティがあるようだが、問題を孕んでいる、それは、今日のロシア・ナショナリズムと、過去の帝国主義のルーツとの関係性が検証されていないことだ。帝国主義によって、19世紀のロシア・ナショナリズムは説明できるかもしれない。しかし、今日のロシア・ナショナリズムは説明できない。そして、今日のロシア・ナショナリズムは、1917年以降に起こった出来事によって高い蓋然性でもって説明できる。

第三の説:「紛争は今日のロシア・ナショナリズムの始まりに原因がある」

この説では、共産主義が崩壊した1989年から1992年にかけての歴史的事件から事態が始まり、共産主義の崩壊は、西側でよく言われるような民主化革命によって引き起こされたものでないとされる。つまり、崩壊の実態は、ソ連による間接支配からの民族解放革命なのだ。革命が一見、民主的な形態をとったのは、1989年に国民の大多数が民族自決に広範な合意を示したからとされる。こうして、ナショナリズムと民主主義は融合し、両者の区別が困難となった。特に、ポーランドやハンガリーのような単一民族国家ではそうだった。ナショナリズムと民主主義は混在一致となっていたが、国内の革命家や西側の観察者は後者を強調し、前者(ナショナリズム)を軽視した傾向があったのは理解できるはずだ。この2つを分けて考えるには、多民族国家で起こった出来事を観察すればよい。1989年の革命を民主主義革命とする説に立てば、共産主義下の、多民族で構成された連邦〔ソ連、チェコスロバキア、ユーゴスラビア等〕が全て崩壊した事実を説明できない。革命に携わる人の主たる関心が民主主義にあるなら、そうした連邦は民主化の後に分裂する理由はないからである。さらに、民主主義に加えて(あるいはその一部として)より広義のリベラル的な立場に立てば、多文化主義は望ましいものであり、そうした解体は意味不明なはずだ。民主主義と多文化主義が1989年の革命の原動力であったとするなら、共産主義下に存在したソ連連邦、チェコスロバキア連邦、ユーゴスラビア連邦は存続していたはずである。そうでなかった事実は、革命の原動力となっていたのが、ナショナリズムと〔民族としての〕自己決定権にあったことを明確に示している。

さらに、前述したように、1989年の革命を民主主義によって説明すれば、解体された共産主義連邦国家の全てで紛争や戦争が起こった理由や、現在のウクライナでの戦争を含む〔革命に関与した〕12カ国の内の11カ国で国境をめぐる民族紛争が起こった理由を説明できない。こうした紛争は、国家の構成形態や政府の種類(民主主義vs専制主義)とは無関係であり、領土征服や、民族主義や、たまたま「誤った」国家内に残存してしまった少数民族による独自国家の希求や、近隣の国家への参加願望といったものに大きく関係している。これら初歩的事実は、メインストリームの物語ではほとんど語られない。それには十分な自由がある。単純化された「民主的な物語」に反するからだ。

第四の説:「共産主義連邦国家を崩壊させたナショナリズムこそが真因である」

この説は、第三の説を立脚点として、さらに一歩踏み込み、他の3つの説では完全に無視されている重要な問題、連邦国家を崩壊させたナショナリズムの由来を問うものだ。この問いの答えとして、共産主義下の連邦国家の憲法上の設立と経済学的根拠が挙げられている。よく知られているように、〔東欧での〕共産主義は、資本主義に結びついた経済問題の解決だけを目的としていなかった。東ヨーロッパを悩ませてきた民族問題をも解決しようとしていたのである。この共産主義は、「個人の自主性」を根拠に民族自決の肯定へと発展させる、オーストリア・マルクス主義のアプローチを広義に踏襲したものだった。故に、ソビエト連邦は、民族を基盤とした国家連合として誕生したのである。ソ連は、各々の民族に自前の共和国家・祖国を提供した上で、民族問題を超克すべき国家連合体として創設された。ソビエト連邦は、加盟国への国家安全保障の提供と、資本主義の廃止による急速な経済発展という2つの機能を果たす、〔民族〕ナショナリズムを基盤とした個別国家によって構成される、来たるべき世界連邦国家の青写真を提供したのである。同じようなアプローチは、他の2つの民族連邦であるチェコスロバキアとユーゴスラビアでも採用された。

このアプローチは、机上の空論としては理にかなっており、共産主義による急速な経済発展という約束が果たされていれば、おそらく民族問題は解決されていただろう。

共産主義連邦国家によって、民族問題を解決できない理由は、1970年代になって、ハッキリと具現化した。主たる理由となっているのが、西側先進国に追いつけなかった経済的失敗である。失敗が明らかになるにつれ、一党独裁体制のもとでは、立場の異なる共産主義エリートが自身の正当性の根拠にできる唯一のものが、自身を〔連邦構成下の〕共和国の国益の担い手だと表明することにあった。一党独裁が、共和制国家の政治機構において正統な構造であるとされていた事実も、彼らエリートを助けた。このように、〔共産主義体制下の〕共和制国家のエリートたちは、統治の正当性と国民の支持を得るために、既存の政治体制の外に出る必要はなかったのである(もし出てしまえば、弾圧の対象となった)。皮肉なことに、もしこうした〔共産主義体制下の〕共和制国家〔連邦制度〕がなく、単なる多国籍民族による単一国家であったならば、地域の共産主義エリートは、他のエリートに対抗を示し、自身を国益の擁護者として見せかける手段も政治的基盤をも持ち得なかっただろう。しかし、これが可能となっていたため、共産主義は、最終的に諸国家を崩壊させる民族主義的イデオロギーを普及させる受容体としての基盤を作り上げたのである。

このように、現在の戦争をさらに理解するには、歴史を遡ることが重要である。今日、観察されている出来事は、二つの要因によって引き起こされている。一つ目は、旧共産主義圏における、経済発展の失敗。二つ目は、〔共産主義連邦下の〕共和制国家のエリートたちが自国構成員の民族主義的な利益を守れば、経済的失政をごまかせる政治体制が備わっていたことである。後者は、容易に実行でき、体制の整備形態によっても許容された。もしエリートたちが資本主義への回帰を主張すれば、職を追われるか、投獄される可能性が高くなっていたのだ。逆に、自国が不公平に扱われていると主張すれば、権力の階段を登れる可能性が高かった。

こうした当時行われた「国益の正当化」は、民主主義イデオロギーを正当化し、究極的には民族独立への願望へと至り、最終的には1989年の革命の動機となった民族主義のうねりとなった。これら革命の原動力は、単一民族国家においても、多民族国家においても同じく、ナショナリズムであった。単一民族国家では、ナショナリズムは民主主義と融合した。しかし、多民族国家では、ナショナリズムは未解決の領土問題を巡っての戦争を引き起こし続けた。この強いナショナリズム示威において、ロシアは遅く、その反応は後発だったと見ることができるだろう。しかし、その国土の広さ、人口の多さ、軍事力の強大さから、ロシアにおいてナショナリズムが支配的になれば、平和へのはるかな大きな脅威となる。民族主義的イデオロギーを持つ非常に小さな国家は、6000基の核ミサイルを持つ国家より、明らかに世界平和への脅威が小さいからだ。

現在の紛争の根源は、歴史的なものであり、共産主義連邦の初期設定や共産主義の発展モデルの経済的失敗に起因していることを見なければ、〔旧共産主義圏での〕現在の紛争や未解決の紛争、そして今後起こりうる紛争を理解することはできないだろう。

[Four historico-ideological theories about the origin of the current war in Ukraine (part I)
Four historico-ideological theories about the origin of the current war in Ukraine (Part II)
Sunday, December 25, 2022
Posted by Branko Milanovic]
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4 comments
    1. ミラノヴィッチ、社会主義連邦国家の制度的基盤(とその失敗)が民族主義を培養させ、今にいたる東欧での紛争の連鎖を招いてるとずっと主張してますね。で、今回の戦争も、この分析の枠組みで解釈してて、よく言われてるロシアの(帝国主義的)思惑とか、西側への反発とかは副次的なものと見てるんじゃないかな、と。
      それより、ツイッターのブロック解除してくださいよ~。

    1. ありがとうございます。反映させました。
      また何かあればご指摘いただけると幸いです。

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