アレックス・タバロック 「運にも味方された我が学者人生」(2006年5月26日)

●Alex Tabarrok, “Getting Lucky on My Way to the Top”(Marginal Revolution, May 26, 2006)


私が大学院(ジョージ・メイソン大学)を卒業した(博士号を取得した)当時、若手の経済学者を対象とする雇用市場は冷え込んでいて、就職先を見つけるのが難しかった。運良くもバージニア大学で客員のポスト(講師)をゲットし、その後しばらくしてインディアナ州マンシーにあるボールステイト大学でテニュアトラック(業績次第で終身在職権が得られる可能性のある任期付き)の助教授の地位に就くことができたが、他に選択肢(採用のオファー)はほとんどなかった。ボールステイト大学の同僚たちは好人物ばかりだったが、何年か過ごしているうちに不満が募ってきて、「ええい、ままよ!」という気持ちでカリフォルニア州オークランドにある(シンクタンクの)インディペンデント・インスティテュートに身を移す決断を下した。インディペンデント・インスティテュートでは研究部長のポストが用意されていたが、私の学者人生はここで終わるんだろうなと考えたものだ。

ところが、そうはならなかった。インディペンデント・インスティテュートの創設者であるデビッド・セロー(David Theroux)の励ましもあって――私の学術的な研究がインディペンデント・インスティテュートの活動方針の一つ(研究活動の推進)に合致していると判断してくれたようだ――、とにかく論文を書き続けた。そうこうしているうちにあれやこれやの出来事が重なって(中でも、コーエンの助けもあって)、何ともありがたいことに、母校であるジョージ・メイソン大学に今度は教授として再び戻ってくることができたのだった。

これまでの話は、オースタン・グールズビー(Austan Goolsbee)がニューヨーク・タイムズ紙に寄稿しているコラムを紹介するための前置きのようなものだ。このコラムでは、学校を卒業した時点での景気の良し悪しが新卒者のその後の所得に対して驚くほど尾を引くかたちで影響を及ぼし続ける可能性があることを見出している最新の研究結果 [1]訳注;Paul Oyer, “The Making of an Investment Banker: Stock Market Shocks, Career Choice and Lifetime Income” および Philip Oreopoulos&Till Von Wachter&Andrew Heisz, “The Short- and … Continue reading が紹介されている。

例えば、1988年度にスタンフォード大学経営大学院を卒業した学生たちは、1987年の株価大暴落(ブラックマンデー)の直後に就職戦線に入ることになった。民間の銀行は、新卒採用に消極的だった。そのためもあって(高給な銀行業の世界への就職が例年よりも狭き門だったこともあって)、1988年度卒業生全体の(卒業してから数年後の)平均賃金は、1987年度卒業生全体の(卒業してから数年後の)平均賃金を下回るだけではなく、株式市場が回復した後に卒業した学生全体の(卒業してから数年後の)平均賃金も下回ったのだった。卒業してから10年以上が経過した後でも、1988年度卒業生全体の平均賃金は、それ以外の年度に卒業した学生全体の(卒業後10年以上が経過した後の)平均賃金を大きく下回ったままなのだ。1988年度の卒業生たちは、スタートの時点で割りのいい仕事を取り逃がしてしまい、その後も失地を挽回できずにいるというわけだ。

・・・(略)・・・

これら一連のデータによると、同じ職場にとどまって出世の階段を上った(昇進した)としても、(景気がよかった年に就職戦線入りした学生との)賃金格差を埋められないことが確認されている。というのも、スタートの時点で割りのいい仕事にありつけた学生たちも同じく昇進するからだ。そのせいもあって、追いつけないのだ。景気が悪かった年に就職戦線入りしたにもかかわらず(景気がよかった年に就職戦線入りした学生との)賃金格差を埋めることができたケースも中にはあるが、同じ職場にとどまって昇進を目指すのではなく、別の職場(あるいは別の業界)への転職を選んだ人物がそういうケースに当てはまる傾向にあるようだ。

私自身の経験に加えて、グールズビーが紹介している研究結果も踏まえて、3点ほど教訓めいたことを引き出しておくとしよう。大学から一旦離れる(シンクタンクであるインディペンデント・インスティテュートに身を寄せる)という選択は、似たような境遇に置かれていたその他大勢とは違った道を行くためのうってつけの方法だった。そうするしかなかったというわけじゃないが、平均値が低い時には、平均から外れたことをやってみる必要がある。これが一つ目の教訓だ。ファイナンス(金融工学)の理論家であれば、オプション価格評価理論から得られる教訓そのものだと言うだろう。

私は、およそ10年をかけてアメリカ大陸を(時には妻を伴い、時には単身で)一往復した――東から西、西から東へと(フェアファックス [2] 訳注;ジョージ・メイソン大学の所在地⇒シャーロッツビル [3] 訳注;バージニア大学の所在地⇒マンシー⇒オークランド⇒フェアファックス)――。頻繁にあちこち移動する経験を積んでいるうちに、書店で本を買う時には値段よりも重さを重視するようになったものだ。それはともかく、一所(ひとところ)にとどまらずに、頻繁にあちこち動き回る(職場を変える)という選択は、スタート時点での劣勢を跳ね返す助けになったとは言えるだろう。これが二つ目の教訓だ。

最後に三つ目の教訓は、「運は大事」 [4] … Continue readingということだ。

References

References
1 訳注;Paul Oyer, “The Making of an Investment Banker: Stock Market Shocks, Career Choice and Lifetime Income” および Philip Oreopoulos&Till Von Wachter&Andrew Heisz, “The Short- and Long-Term Career Effects of Graduating in a Recession”(pdf)
2 訳注;ジョージ・メイソン大学の所在地
3 訳注;バージニア大学の所在地
4 訳注;現在の地位(ジョージ・メイソン大学の教授)に辿り着くまでの道のりは決して平坦ではなく、運に助けられた面もあるということに加えて、学校を卒業する時点での景気の良し悪し(という求職者一人ひとりの力ではいかんともしがたい運的な要素)如何によって、(生涯所得をはじめとする)その後のキャリアの行方が大きく左右されかねない、という意味も込められているものと思われる。
Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts