中華帝国はメリトクラシー(実力主義)だった。これは、長年語られてきた物語であり、何世代にもわたって中国という国家の理解を形作ってきた。中国では、千年以上にわたって、官吏を目指す者は、過酷な何段階もの試験(科挙)を受け、成績上位者は王朝役人の地位を手に入れた。生まれによって人の将来が決まっていた世界では、この中華帝国のシステムは、革命的で近代的に見えた。血統ではなく、才能によって統治が行われていたからだ。
これは深い示唆を持っていた。ヨーロッパの君主は貴族家系や議会と争うことが多かったが、中華帝国では、家柄ではなく教育によって選別された階級――専門的な官僚階級に権力が集中していた。このシステムによって、中国は世襲エリートや、代議機関を必要とせずに、強力で中央集権的な国家を築くことができたと学者らは論じてきた。
この思想は、中国を超えて広く共鳴された。ヴォルテールのような啓蒙思想家は、中国のメリトクラシー(実力主義)を称賛している。19世紀には、イギリスの改革派らが、インドで試験による高等文官の採用を導入し、後にイギリスでも導入した。今日でも、中国のテクノクラシーを擁護する人たちは、この長い伝統を引き合いに出して、民主主義ではなくてメリトクラシー(実力主義)こそが常に中国のやり方であったと主張している。
しかし、実態はかなり複雑だ
最近発表した論文で私は、清朝(1644~1911年)の全ての知府〔「省」の一つ下の行政単位「府」の長。日本での市町村長に当たる〕を網羅した新しいデータセットを用いて、この強力な通説を再検討した。そこで発見したのは、標準的な逸話を覆すものだった。科挙は実施され、重要だったが、全てではなかった。それどころか、科挙は主役ではなかった。
中華帝国において、権力へのルートは単一・画一的なものに依存していなかった。柔軟で、適応的なエリート選抜システムを採用しており、メリトクラシー(実力主義)は広範なツールキットの一部にすぎなかった。何よりも重用となっていたのは、科挙制度は国家のイデオロギー的権力を誇示するためのツールとして機能していたことだ。科挙とは、単に官吏を選ぶものではなく、官吏の思想様式を形成するものだった。
実態は、メリトクラシー(実力主義)だけではなかった
清朝が、実際にどのように官吏を配置していたのかをより明確に把握するために、見過ごされてきた歴史記録の宝庫となっている地方官報を用いて新しいデータセットを構築した。中華帝国全土で編纂されたこの百科全書的な書籍には、どのようにして公職に就いたかなどの、官吏の経歴情報が記載されている。
分析結果から、伝統的なメリトクラシー(実力主義)の逸話よりも、複雑な状況が明らかになった。清朝に使えた9,380人の知府のうち、科挙によって選抜された官吏は57%にすぎなかった。残りは、まったく異なる経歴を辿って官職に就いている。
約13%が、現金、家畜、穀物、軍用船舶やラクダのような軍需品などを国家に「献納」して、学術的な資格を得ることで官職を購入している。4%は、父親から官職を継承している。少数(2%)は、戦功や個人的な推薦といった、その場限りのルートで就任している。そして、23%が、満州族であるということから就任している。王朝を支配していた満州族は、通常の科挙制度を完全に免除することが許されていた。満州族は、科挙とは別の制度〔八旗制度、翻訳科挙、侍衛登用等〕や、独自の軍事評価によって官職に就いていた。
つまり、清朝においては知府の半数近くが、富、血統、特権、民族的地位などの、メリトクラシー(実力主義)でない方法で選別されていたのだ。
図1は、この登用経路の時系列的な変遷を示したものだ。中国の官僚制において科挙制度は我々の脳裏に大きく刻まれているが、歴史的記録は、それより断片的で政治的な物語を教えてくれる。

するとなぜ中国ではメリトクラシー(実力主義)が採用されたのだろう?
売官・世襲・縁故といった権力へのルートが他にも多く存在していたにもかかわらず、中国の皇帝たちはなぜ科挙に大きく依存したのだろうか? 答えは単純かつ強力だ。科挙は「統治者を選別」するだけでなく、「統治者の意向を形作った」からである。科挙によって、教育だけでなく、文化的・イデオロギー的に統一された官僚機構が形成された。
これこそが、科挙というシステムの真髄である。中国の支配者は、広大で多様な中華帝国の官吏を監視するという不可能な課題に直面し、より巧妙な統制手段――教育による洗脳を選択した。
科挙では、実用的な知識は問われなかった。合格の是非は、『論語』『孟子』『礼記』といった儒教の古典に精通しているかにかかっていた。受験者は、これら古典を暗記・解釈することを求められたが、分析能力は試されず、道徳的・イデオロギー的適合性を示す典型化された作文を書かねばならなかった。
儒教の様々な経典では、人間関係と倫理的行為が中核となっていた(図2)。強調されていたのは、上下関係、親孝行、儀礼的な礼儀作法、上位者への忠誠だった。経典は国家建設者を育成するためのものではなく、従順な臣民を設計するためものだったのだ。私は、科挙のテキスト分析を行い、「人」「天」「徳」といった文字が、統治や管理についての文字よりも非常に頻繁に登場することを明らかにした。メッセージは明白である。国家に仕えるには、まずはその道徳的世界観を内面化すべし。
そしてこれは、現代的な意味でのシグナリングや表面的なプロパガンダではなかった。カトリック教会が中世ヨーロッパのエリートを作り上げた役割とよく似ていた、深い文化的訓練だった。教会が、聖書、儀式、ラテン語教育を用いて、分断された王国内で共有される聖職者のアイデンティを作り上げたように、清朝は儒教教育を用いて、忠実でイデオロギー的に統一された官吏を作り上げたのである。
私はこれを、「観念的権力」と呼んでいる。国家は、武力や金銭に頼ることなく、都合のよい信念を内面化した支配階層を育成した。科挙制度は、ルールに従うだけでなく、ルールを内面化する官吏を生み出した。その結果、共有されたテキスト、価値観、思考習慣によって結ばれた、文化的に一元化された官僚制度が生まれた。
つまるところ、科挙制度は単なる人材登用メカニズムではなく、政治的再生産の道具だったのだ。科挙は、各世代のエリートに読み書きする能力をもたらしたが、エリートの忠誠を確保する道具でもあった。エリートは、皇帝の名の下においてだけでなく、皇帝の体現下において統治を行うことになった。

メリトクラシー(実力主義)を再考する
では、メリトクラシー(実力主義)について中華帝国だけにとどまらない何かが分かるのだろう?
我々は長い間、メリトクラシー(実力主義)の理想を称賛してきた世界に住んでいる。過去数十年にわたり、何百万もの家庭が、特権ではなく、努力と才能が成功を左右すると信じて、教育にお金と希望を注いできた。不平等の懸念から、いわゆる「メリトクラシー(実力主義)の罠」に至るまで、システムへの不満が高まる中でも、この理想は依然として強力な影響力を持っている。
しかし、中華帝国のシステムは、この信念を冷静に見つめるレンズを提供してくれる。中華帝国の科挙制度は、形式的にはメリトクラシー(実力主義)だったが、本質的には必ずしもそうではなかった。科挙は、中立的な選別手段と考えられていた試験制度であったが、その実態において、「メリット(実力)」としてカウントされるものは極めて特殊なものであり、忠誠と服従を促す儒教の道徳書の暗記だった。技術的なスキルや革新的な思考ではなく、特定の人物像を形成することにあったのだ。
これは実証的な分析を行う前に、現代のメリトクラシー(実力主義)をどのように概念化するかという重用な問題を提起している。第一に、どのような選抜プロセスなのか? 選抜は幅広い能力をテストするものなのか? それとも狭いビジョンを強化するものなのか? 第二に、権力への秘匿されたルートは存在しているのだろうか? 第三に、成功するために必要な訓練を受けられるのはどのような人なのか? メリトクラシー(実力主義)によって、教育資源、文化資本、社会的経済背景、イデオロギー的なゲートキーパー(門番的選別)による根深い不平等を容易に覆い隠すことができるのだ。
つまるところ、中国の事例は、メリトクラシーとは単に人を実力主義で選別する方法ではない、ということを教えてくれる。メリット(実力)は何によって定義されているのか。システムはどのような目的を持っているのか。制度はどのような人物像の人間を生み出すように設計されているのか。これらを問わねばならない。

著者:彭澎
ワシントン大学セントルイス政治学・国際関係学部助教授(2024年8月~2025年1月)。イェール大学マクミランセンターで博士研究員として勤務(2022年7月~2024年6月)。2022年12月のでデューク大学政治学部で博士号を取得。パリ政治学院国際関係学部で修士課程修了。北京大学国際関係学院で学士号取得。国家発展と国家アイデンティを形成する政治エリートの役割に焦点を当てた、国家建設とネーション建設について研究している。
〔原題直訳:「メリトクラシー(実力主義)の神話:試験はいかにして帝国を築いたか」〕
[Peng Peng, The Myth of Meritocracy: How Exams Helped Build an Empire, Broadstreet, Mar 31, 2025]
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