マイルズ・キンボール 「歴史にまつわる重要な問いのほとんどは、定量的な答えになじみにくい?」(2015年6月2日)

歴史にまつわる真に重大な問いの多くは、定量的な答えを要求する。
カウント伯爵(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BC%AF%E7%88%B5)

●Miles Kimball, “Rodney Stark: Historians Ought to Count—But Often Don’t”(Confessions of a Supply-Side Liberal, June 2, 2015)


ロドニー・スターク(Rodney Stark)の『Cities of God: The Real Story of How Christianity Became an Urban Movement and Conquered Rome』を読んでいたら、歴史学にまつわる興味深いエピソードが紹介されていて(pp. 209-211)、本ブログの読者にも是非とも知らせておきたいと思った。以下に引用するのがそれだ。

アーサー・シュレジンジャー(Arthur Schlesinger Jr.)は、1962年に、ジョン・F・ケネディ大統領の補佐官を務めるためにハーバード大学の歴史学教授の職を辞するにあたって、同僚の歴史家である聴衆を前にして次のように語った。「[歴史にまつわる]重要な問いのほとんどは、定量的な答えになじみにくい(定量的なかたちで答えを寄せるのが難しい)からこそ重要なのです」。かような傲岸な発言を耳にした聴衆の多くは、気の利いたナンセンスを耳にした時にしばしば経験するように、興奮を覚えてゾクゾクした。その一方で、こんな発言をしてしまうような人物――学者として研鑽が足りない人物――が歴史学の世界でかくも高い地位にまで上り詰めることができたのはどうしてなのかと心のうちで問わざるを得ない聴衆もいた。というのも、歴史にまつわる真に重大な問いの多くは、定量的な答えを要求するというのが偽らざるところだからである。歴史にまつわる真に重大な問いの多くに対する答えには、「一つもない」/「ほとんどない」/「いくらか」/「たくさん」/「ほとんど」/「すべて」というような量の多寡(たか)を表す言い回しなり、「決して」/「まれにしか」/「滅多に」/「しばしば」/「大抵は」/「常に」というような頻度を表す言い回しなりが伴うものなのだ。

・・・(中略)・・・さて、このあたりでシュレジンジャーの件に話を戻して、彼の名を高めた一冊である『The Age of Jackson』にまつわるエピソードに目を向けるとしよう。シュレジンジャーがこの本を著す何十年も前から、「オールド・ヒッコリー[ジャクソンの愛称]は、いかにして大統領選で前例のないほど多くの票――大統領選の一般投票で従来よりも何百万票も多くの票――を国民から獲得したのか?」というのが「ジャクソン流民主主義(ジャクソニアン・デモクラシー)」をめぐる中心的な問いとなっていた。チャールズ・ビアード&メアリー・ビアード(ビアード夫妻)、リチャード・ホフスタッター、ジョン・バック・マクマスターをはじめとする、アメリカ歴史学界の巨星たちもこぞってこの問いに取り組んだ。あれやこれやの注目すべき説明が加えられたが、ジャクソンが大勝したのは「轟(とどろ)く洪水のように押し寄せた新しい民主主義」のおかげというビアード夫妻の説明については誰も異を唱えなかった。 シュレジンジャーは、歴史家としてのキャリアを踏み出すための最初の一歩として、1828年の大統領選でジャクソンが「民主主義の強力な突き上げ」のおかげで「一般投票で計り知れないほど多くの票」を獲得した事情を説明しようと試みたが、ここで注意してもらいたいのは、ジャクソンが大統領選で勝利したと述べるだけで済まされているわけではないことだ。シュレジンジャーは、ジャクソンの勝利の規模を強調している。その勝利は、「計り知れないほど」で「強力」だったというのだ。『The Age of Jackson』は、1946年にピューリッツァー賞を受賞した。ジャクソンが「一般人」に対して絶大な訴求力を有していたというシュレジンジャーの説明に、(ピューリッツァー賞の)選考委員会が大いに説得されたわけである。

しばらくしてトラブルが起こった。シュレジンジャーが先の発言――定量化に対する侮蔑発言――をする2年前の1960年に、リチャード・P・マコーミックが1828年の大統領選の票数をわざわざ数える(カウントする)作業に乗り出したのがそのきっかけとなった。1828年の大統領選について特筆すべきは、一般投票における投票率の低さ。それがマコーミックが得た結論だった。すなわち、「強力」で「計り知れないほど」の民主主義の突き上げなんてなかったのだ。1828年の大統領選よりも一般投票で多くの票が投じられた例は過去にたくさんあったのだ。歴史家たちが長年にわたって誤解し続けてきた理由は、1828年の大統領選が選挙人団の投票結果ではなく一般投票の結果に注目が寄せられた初めての大統領選だったからだと思われる。一般投票の票数の多さにただただ圧倒されるだけで、(歴史家のうちの)誰一人として、1828年の大統領選における一般投票で投じられた票数が過去の一般投票と比べて多いか少ないかをわざわざ数えようとしなかったのだ。その結果として、起きもしなかった事実を説明するために労力を費やすという「まったくのでたらめ」に何世代もの歴史家が手を染める羽目になってしまったのだ。

・・・(中略)・・・マコーミックの論文は、歴史学の分野で最も権威のある学術誌であるアメリカン・ヒストリカル・レビューに掲載されたが、概ね無視されてしまった。マコーミックの論文が発表されて以降も何十年にもわたって、多くの教科書では一般人に対するジャクソンの計り知れないほど絶大な訴求力が論じられ続けた。私の知る限りでは、シュレジンジャーはこれまでに自説を撤回していない。

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