ノア・スミス「高齢化はどこまで国家を苦しめるのだろう?」(2023年1月20日)

災害にはならないが、持続的な足かせとなる

今週、人口統計学界隈でビッグニュースがあった。中国の人口が減少に転じたのだ。少し前までだと、中国の出生数が総死者数を下回るのは2023年とされてきたが、予定より一年先んじたことが判明した。

中国の出生者数と死亡者数

これは、ここ数年に行われた多くの公式データの修正の一貫であり、そうした修正済みデータによると、中国の人口ピークが予定より早くなっていることが示されている。実際のところ、2016年以降の出生率の急激な下落は、中国の統計学者が前年の誤差を修正しただけというのが真相であり、人口減少はそれより先んじていたのではないかと僕は考えている。

全くの偶然だが、2023年は、インドの人口が中国を上回ると予測されている年でもある。人口統計を取り始めて以来、中国は初めて地球上の二番手に回りそうだ。

https://twitter.com/scienceisstrat1/status/1611397003824750592
人口動態とは運命だ。 インドの人口は2100年までに中国の2倍になると国連は予測している。

多くの人が、今回の事態を中国における重要な変化だと考えており、そのほとんどが、台頭する超大国要素を著しく弱体化させるだろうと予測している。中国は、急速な高齢化と人口減少から、先進民主主義国家から世界の覇権を奪うチャンスが残っている2020年代~2030年代の間に短期で危険な賭に出るかもしれないと、考えているハル・ブランズのような人もいる。

しかし、人口動態における高齢化が国家を弱体化させる源泉となっているとするなら、先進民主主義国家も、中国と同じ運命にある。各国の年齢の中央値は収束してきており、すべての先進国は今後数十年で大幅に高齢化すると予測されている。

各国の年齢中央値

各国が賢明なら、移民によって若年齢人口を補充するだろう。しかし、〔移民によって〕国内の〔少子化対策への〕政治的な消極性を克服できたとしても、移民は一時的な応急処置にしかならない(出生率はアフリカ以外ではもうかなり低くなっていて、アフリカでも加速度的に低下している)。1990年代には、平均的なアフリカ人は生涯に6人の子供を持つを予測されていたが、今日では4人に減少し、その減少率は加速している。

つまり、問題は中国だけに限った話ではないのだ。地球上のすべての国は、人口の高齢化に直面しているか、まもなく直面することになる。

すると、高齢化は本当に重要か問わないといけない。高齢化は問題ではないとする考え方もある。そうした考えだと、人口減少によって〔国全体での〕GDPでは減少するかもしれないが、一人あたりのGDPは分母が小さくなるので変わらない、とされている。確かに、退職者は増えるかもしれないが、その労働力をロボットに置き換えればいいじゃないか、と。そして言うまでもないが、人間が減れば、自然界を破壊したり、希少な資源に負担をかけずに、生活水準を向上させられるはずだ、と。

高齢化によって、中国が無意味な存在になると予測している人たちは、落胆するに違いない。ベルト・ホフマンは、中国はどうやって、高齢化の影響を補うことができるかについて良い記事を書いている。人々をもっと長期間働かせ、教育を改善し、もっと自動化を推し進め、資本分配を改善できるはずだ、と。これに関しては、2008年以降、人口の減少を経験している日本は参考になる。

もっとも、終末論的な見方が行き過ぎているとするなら、超楽観主義も行き過ぎている。高齢化と人口減少は、文明の終焉を告げるものじゃない。少なくとも、しばらくの間はそうだろう。でも、高齢化と人口減少は、その国の経済的展望に持続的な足かせを嵌めてしまう可能性の根拠は十分にある。

高齢化と人口減少はどのようにして国の足を引っ張るんだろう

高齢化による国家への生活水準に悪影響をもたらすものとして最も自明なのは、老齢人口比率(15歳~64歳以下の人口と、65歳以上の人口の比率)で、後者が高まることだ。〔65歳以上の〕退職者は引退しているので、その国の経済的生産物にあまり貢献しない。つまり、国が高齢化すると、労働者の割合が減少する一方で、増加する退職者を支えないといけない。これは、単純な算数だ。以下は、世界の老齢人口比率をマッピングしたものだが、ヨーロッパと日本が本当に際立っていることがわかるはずだ。

老齢人口比率(2021年)

扶養比率が高ければ、生産性が向上しても、生活水準の向上にはあまり結びつかない。日本が良い例だ。2000年から2014年にかけて、日本の生産年齢人口当たりのGDPは、アメリカよりも急速に増えたが、一人当たりのGDPの増加では両国は同じくらいだ。こうした差が生まれたのは、日本は急速に高齢化が進んだのに、アメリカでは移民の増加と出生率の上昇によって、高齢化が進まなかったからだ。

日米の「一人当たりGDP」と「生産年齢人口当たりのGDP」

定年退職した人は、現役労働者の背負う重荷だと考えてほしい。こうした負担は、高齢の親を世話するために費やされる時間やお金といった直接なコストになっているかもしれないし、年金や医療の財源となる税金を経由しての間接的なコストになっているかもしれない。いずれにしても、高齢者が増え、労働者が減るにつれ、個々の労働者の負担は大きくなっていく。最終的には壊滅的な重荷となり、少数となった労働者は、大勢の老人を養うためだけに一生を奴隷化することになり、自身の人生を楽しむ(あるいは子供を養う)時間やお金がほとんど残らなくなってしまう。

しかし、高齢化による生産性の低下は、これだけに留まらない。高齢の経営者や重役が支配する企業は、新規市場のトレンドやテクノロジーに対応する能力を低下させるかもしれない。あるいは、彼らは昔のやり方に執着し、居心地の良い小さな帝国を支配し、新しい機会を逃がすかもしれない。これは、年功序列型の昇進制度を採用している国(日本等)では、特に有害となっている可能性がある。高齢者はリスクを回避する傾向にあるため(リスクを取るだけの時間もほとんど保持していない)、高齢化は起業率を低下させるかもしれない。また、一般の労働者も、一定の年齢を超えると生産性が低下する可能性がある。

人口の高齢化は、マクロ経済にも複雑な影響を様々に与える可能性がある。例えば、人口減少は、集積効果を低下させる(年々顧客が減っていくような国に投資したがる企業はあるのだろうか?)。1990年以降、日本のGDPに占める投資の割合が低下しているのは、企業が他の国ほど将来市場を見込んでいないことを一因としているかもしれない。また、高齢者は、若者に比べて、モノよりもサービスを多く消費する傾向にあるため、高齢化は生産性が最も早く上昇する傾向にある製造業を経済から離反させていく可能性がある。(また、高齢化は、不況や好況にも微妙な影響を与えるかもしれないが、本稿ではそれらについては触れない。)

ここまで述べてきたように、高齢化や人口減少が生活水準を低下させる可能性はたくさん存在している。しかし、これらはどこまで本当に起こるのだろう?

研究が語るもの

高齢化による経済全体への影響を研究するのは、実はとても簡単である。高齢化による人口動態の推移の大部分は、ある初期水準の人口から予測することができる。1980年に40歳だった人は、2010年には70歳になる。つまり、高齢化は人口動態的なケーキとして焼き上がっていて、この予測可能な要素を使えば、逆の因果関係を気にすることなく、高齢化による経済への影響を研究することができる〔訳注:高齢化は人口動態的に決定しているので、「経済変化→高齢化」の因果関係をほとんど気にせずに、「高齢化→経済変化」の因果関係を調べることができる、という意味〕。Maestas, Mullen, & Powellは2022年の論文で、アメリカの各州についてこうした研究を行っている。そこでは、経済変数に多くおいて、高齢化は成長に強い負の影響を与える事実が判明している。

人口高齢化と経済成長

これはかなり大きな影響だ!

Ozimek, DeAntonio, & Zandi(2018)では、特定の州内の特定の産業を調べることで、よく似た発見を行っているが、この研究は年代の変化による予測可能な高齢化要素ではなく、労働力年齢のスナップショットだけを元に調べたものだ。彼らは、単に退職者の割合増加だけでは説明できない強い負の影響を発見した。これは、非常に興味深い発見で、それは〔高齢化による〕個々の企業での労働者の生産性である。給与計算会社のデータを使うと、高齢者の同僚がいる労働者ほど、収入の少ない傾向にあり、さらにそうした労働者ほど生産性が低くなる事実を示している(ただし、その関係性は厳密なものではない)。それでも、熟練労働者になるほど、この〔高齢者同僚による生産性の引き下げ〕効果は大きくなっている。

つまり、一般的に高齢労働者の生産性は〔他の労働者に比べて〕ほんの少し低いだけだと研究は明らかにしているのだが、それでも、高齢労働者が企業にあふれると、その企業の生産性は一般的に〔高齢労働者の低い生産性以上に〕低下する証拠がいくつか得られている。これによって、かつてエレクトロニクス産業を支配し、常に革新的な製品を市場に送り出してきた日本企業が、今や一般的に「負け組」に追いやられてる理由の一端を説明できるかもしれない。また、この事実から、中国の高齢化の素早い進行は、トップブランドを構築する時間を日本ほど持てないことから、中国企業にとっては悪い兆候だ。

ここで着目すべき重要な点として、ほとんどの研究文献が、高齢化は生産性の足を引っ張っていると結論付けていることだ。ただ、反対の結論を示している論文もある。Acemoglu & Restrepo(2017)では、Maestasらとやや似た手法を用いて、高齢化と各国のGDP成長率の相関を調べ、高齢化が急速に進んでいる国は、他の国と同様か、それ以上に経済成長していることを明らかにしている。著者らは、これをオートメーションによるものだとしている。それによると、高齢化が進んだ豊かな国では、産業用ロボットを多く購入する傾向にあり、それによって労働人口の減少を代替しているとされている。アセモグルらは、Maestasらとの研究の結果の違いに対して、アメリカではすべての州でオートメーションへの投資が似たような額になっている傾向にあるからだと主張しているが、これが正しいかどうかはなんとも言えない。

いずれにせよ、研究の大部分において、高齢化は経済的には逆風であり、積極的に対策しなければならないことを示しているようだ。

国家はどんな対策を取れるのだろうか?

以上から、国家は具体的にどのように対策すればいいのか? という問題に行き着く。アセモグルらは、機械をもっと大量に導入するのを提唱している。機械は労働者の代わりにはならないが、それによって一人の労働者は以前より多くの仕事をできるようになるからだ。中国が既に経済のロボット化を急いでいることで、高齢化による経済の足かせを遅らせるかもしれない、という意味で良い兆候だ。

第2の戦略は、単に定年を延長することだ。Maestas & Zissimopoulos(2010)は、平均寿命が伸び、高齢者の健康状態が改善されたことで、65歳を生産的労働の限界とする必要がなくなったと指摘している。むろん、平均寿命が伸びることで、より長い引退生活を楽しめると期待している人にとっては悪いニュースだ。しかし、少なくとも、これによって、若年労働者の負担を軽減することができるだろう。実際、日本では既に60歳後半から70歳前半の労働者が増えている。

日本の年齢層別の就業率

中国も同様のことを試みており、定年の引き上げを計画している。

つまり、機械をもっと大量に導入し、高齢者にもっと働いてもらうわけだ。しかし、こうした対策によって、加齢による過酷な重荷に対抗しても、本質的には限界を抱えている。ロボットは完全に自動化されているわけではないので、(現時点では)人間の労働者が動かす必要があり、導入を増やしていけば、やがて収穫逓減に達する。高齢者にもっと働いてもらうのにも限界がある。高齢化による生産性の低下を補うための、資本配分や、教育の改善といった、他の解決策も同様に限界がある。

こうした、埋め合わせ戦略には限界があることは、75~90歳で構成された極めて極端な高齢化社会を想像するだけで分かるだろう。もちろん、そうした年齢構成は非現実的で、あくまでも仮定の話である。それでも、そうした世界では、産業ロボットの導入も、教育や金融の改善も、基本的にはほとんど効果を持たない。重荷があまりに強くなりすぎるからだ。

よって、超長期的観点では、深刻な高齢化に伴う停滞と高負担による依存状態を避けるため、若年層を増やさなければならない。移民は、あと数十年ほどは有効かもしれない。ただ、地球上のあらゆる場所で出生率は既に低い、もしくは急速に低下しているため、(気候災害や戦争による難民の波がない限り)移民が豊富に供給される期間はそれほど長くないだろう。よって、高齢化問題を解決するには、ある時点で(数十年後でないにしても、いつかは)、国民に多産を奨励するような方法を見つける必要がある。ただし、現時点で、それを安価で、効率的に実施する方法は判明していない

高齢化の問題は〔短期間では〕深刻なものではないが、〔長期では〕過酷なものであり、解決されていないままである。

[How much does aging really hurt a country?
It’s not a disaster, but it is a persistent drag.
Posted by Noah Smith
Jan 20, 2023]
〔一般社団法人経済学101は皆様の寄付によって運営されています。活動方針にご賛同頂ける方がいましたら、寄付金の振り込みページからのご支援をよろしくお願いします。皆様の温かい支援をお待ちしています。〕

Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts