今ではその意味するところが伝わりにくくなっているとしても、1939年~1940年の戦況を「まやかし戦争」――黄昏戦争、座り込み戦争、退屈戦争――と見なすのは誤解を招いてしまう。イギリス政府とフランス政府が勝つためにあえて試みた戦法だったのだ。「勝利を確実にする」というのが(第二次世界大戦が)開戦して間もない頃にイギリス政府が流したプロパガンダで頻繁に登場する言い回しであり、経済面では攻めに徹して軍事面では守りに徹するという作戦がそのために選ばれたのだ。イギリス政府が流したプロパガンダでも宣言されているように、イギリス政府としては「国王のための/帝国(大英帝国)のための/自由のための」戦争を戦っているつもりでいた。開戦当初の戦局が「まやかし」と今でも考えられているのはなぜかというと、空軍も陸軍もドイツ軍に攻撃を仕掛けなかったからである。しかしながら、海軍は攻勢に出ていた。ドイツの船舶を海上から締め出して、貿易を行えなくしたのである。ドイツへの輸出を防ぐ(他の国からドイツに製品が輸出されるのを防ぐ)だけでなく、1939年11月以降になるとドイツからの輸出も防いだ(ドイツから他の国に製品が輸出されるのを防いだ)のだ。そのことは、国際経済体制にとって並々ならぬ変化を意味していた。当時の国際貿易において、ドイツはフランス以上に重要な位置を占めていたからである。
デビッド・エドガートン(David Edgerton)の出色の一冊である『Britain’s War Machine:Weapons, Resources, and Experts in the Second World War』より引用。
〔原文:“How phony was the “phony war”?”(Marginal Revolution, August 1, 2018)〕