2022年、欧米の二大中央銀行は、足並みを揃えないままに終わった。FRBは利上げのペースを鈍化させている。一方、ヨーロッパ全体のインフレ率は低下し始めているにもかかわらず、ECB(ヨーロッパ中央銀行)内のタカ派は厳しい引き締めへの段階的な措置を示唆している。
2022年11月28日、ヨーロッパで最も著名な経済学者の一人、オリヴィエ・ブランシャールは、世界中の中央銀行で採用されている2%のインフレ目標へのコミットメントの見直しについての問題提起を、ファイナンシャル・タイムズ紙に掲載した。これは、彼の2010年の問題提起を再度問うたものだ。ブランシャールは、2010年当時、ジョバンニ・デルアリッシア、パオロ・マオロとともに、インフレ目標の4%への変更を提唱した。ブランシャールは、最近の経験を考慮して、4%は高すぎるとしている。実証研究から、4%は、消費者がインフレに過剰反応し始める水準だからだ。しかし、ブランシャールは依然、2%よりも3%の方が良いと考えているようである。具体的には、彼は以下のように警鐘した。
2023年か2024年になって、インフレ率は3%にまで低下するかもしれない。その場合、経済活動の減速を代償にして、インフレ率を2%に引き下げる価値はあるかどうかについて、激しい議論が行われることは確実だ。各国中央銀行が公式にインフレ目標〔の引き上げ〕を変更すれば驚きを持って迎えられるだろう。もっとも、しばらくは目標を上回る水準を維持し、最終的には目標を〔上方〕修正するかもしれない。事態の推移を見守ろう。
ヨーロッパ中央銀行(ECB)はタカ派的姿勢を見せているが、それによって、インフレ率を3%から2%に押し下げるために苦痛をもたらすような残忍な取り組みが行われるとのシナリオが取り沙汰されている。ブランシャールの2022年末のツイッターでの発言と、それを受けてのSNS上での経済学クラスタの活発なやり取りは、これ〔残忍なシナリオの予見〕が理由の一端となっているのかもしれない。
ブランシャール:1/8. インフレと中央銀行の政策を巡る議論において、大抵の場合で忘れがちな点がある。インフレとは基本的に、企業、労働者、納税者の間での分配を巡る対立の結果だということだ。様々な関係者(プレイヤー)が、対立結果を受け入れざるを得なくなった時にのみ、インフレはストップする。
2/8. 対立は、加熱しすぎた経済を巡って起こっているかもしれないし、労働市場で労働者の方が物価を考慮しての賃金の引き上げ交渉で有利な立場から起こっているかもしれない。一方、財市場では、企業が〔労働者有利によって引き上げられた〕賃金を考慮して、価格の引き上げられる強い立場にあるかもしれない。こうした相乗効果によって、物価は上昇を続ける。
3/8. 対立は、エネルギーなどのコモディティ商品〔エネルギー・資源等〕価格が高すぎために生じているかもしれない。企業は、中間投入のコスト上昇を反映させるため、賃金に考慮した価格の引き上げを検討するだろう。労働者は、実質賃金の低下に抵抗し、〔名目〕賃金の引き上げを要求するだろう。これも相乗効果を生み、物価は上昇するだろう。
4/8. 国家は、様々な役割を担うことができる。財政政策によって景気を減速させ、経済の加熱を解消することができる。エネルギーコストに対して補助金を出すことで、実質賃金の低下と名目賃金の上昇を抑制できるだろう。
5/8. 補助金の財源は、現役世代の一部納税者への増税(例えば、並外れた利潤への課税)や、財政赤字による将来世代の納税者(将来世代はこのプロセスにおいてほとんど発言権を持っていないが…)への課税でまかなうことができる。
6/8. しかし、最終的に全関係者(プレイヤー)に結果を受け入れさせ、インフレを安定させる役割は、通常は中央銀行に委ねられている。中央銀行は経済を減速させ、企業に賃金に応じた価格低下の受け入れや、労働者に物価に応じた賃金低下を受け入れを強要させている。
7/8. これ〔中央銀行による経済原則処置〕は、分配をめぐる対立の対処法としては、あまりにも非効率な手段だ。労働者、企業、国家間の交渉によって、インフレの誘発や、痛みを伴う経済減速を必要としないやり方があると、人によっては夢想するだろうし、そう思うのは当然かもしれない。
8/8. しかし、残念なら、これを達成するには想像以上の信頼が必要であり、その実現は非常に難しい。それでも、インフレをこのように〔分配をめぐる対立だと〕考えれば、何が問題となっているのか、そして最も痛みの少ない解決策の検討案を思案できるだろう。
ブランシャールが、こうした初歩的な命題を問うのは意外だろうか? これに驚くとするなら、「インフレは常に、どこでも、(単に)純粋な貨幣的現象である」と戯画化して考えるようなマネタリズムの信奉者だけだろう。
そうした戯画的なマネタリズムを除けば、インフレモデルにおいてプライステイカーを設定しないモデルは、ほとんど無意味だ。何者かが価格を引き上げれば、他者もそれに従わなければならない。そうでなければ、インフレは起こらないからだ。
ブランシャールが言及した、インフレ闘争の参加者リストについては、かなり限定されたものだと指摘する人もいるかもしれない。インフレ理論をおさらいしてみると、他の利害関係者、特に債権保有者を考慮しなければならないと謳うものもある。それでも、インフレスパイラルを止めるための、企業・労働者・納税者への「強制的な」政治圧力を考えてみた時、これ〔関係者(プレイヤー)による闘争〕は、プロセスの推進において大きな役割を果たしていることがわかるはずだ。
一方で、ブランシャールは、「インフレは“根本的”には分配をめぐる対立の結果、生じる」と述べているが、純粋な対立だけではインフレは理論化できないため、多くの人を困惑させているようだ。
ジョー・ミッチェル:ブランシャールが、「安定した低位インフレに金融緩和は必要ない」とまで主張しているとは思えない。
現在の金融システム下では、中央銀行と商業銀行は基本的に誘導された金利のもと、資金需要に応じて貸出を行っている。つまり、金融緩和のほとんどは〔アコモデーションによって〕自動的に行われている。
すると、こうした一連のやり取りの全てが単に常識に過ぎないとするなら、なぜ議論を呼んでいるのだろう?
最も驚きを呼んでいるのは、オリヴィエ・ブランシャールが、〔インフレにおける〕分配をめぐる対立に言及したことだ。ブランシャールは、主流派経済学において相当の高い地位にある人物である。クラウディア・サームは、自身のブログの最新エントリでこれを取り上げて、目を引く図表を用いて以下のように説明している。
ブランシャールは、インフレを決めるのはFRBではなく、我々だと言っているわけである。
遅ればせながら、マクロ経済学は刷新されつつある。著名なマクロ経済学者であるオリヴィエ・ブランシャールは、インフレの背後に潜む権力動態とその解決策について重要な会話を始めたのだ。
このエントリは、オリヴィエ・ブランシャールが先週ツイッターで始めた問題提起への、解説と、批判的評価である。これは、あくまでも私の見解であり、私のスタイルでの解説となっている。ブランシャールがかつて述べたように、「我々はそれぞれ異なるスタイルを持っている」のである。ということでむろん、私の解釈にもし間違いがあれば、彼の責任ではなく、私の責任だ。
マクロ経済学ファイトクラブ:第一のルール :マクロ経済学ファイトクラブについて話すべし
Olivier throws it down: the Fed does not decide what is inflation is, we do
ポスト・ケインジアンのラヴォアとロションは、今回の事態を、主流派による繰り返されているポスト・ケインジアンの見解の盗用なのか、実りある共同作業の入り口なのかという問題について、疑いつつも慎重な言葉遣いで即時反応した。
一方、シカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネスとMITで研究しているグイド・ロレンツォーニとイヴァン・ワーニングは、標準的なニュー・ケインジアンモデルでは、〔名目〕賃金のスパイラルが発生する可能性や、〔財政による〕総需要刺激策が実際に行われれば実質賃金の低下を引き起こす可能性が示唆されているが、それでも〔財政刺激によって〕経済を加熱した状態で運営するのが最適かもしれないとの丹念に実証された論文をちょうど書き終えたところだ、として快活にブランシャールに同意を示した。
サームが指摘しているように、インフレについては実に多くの考え方が存在している。確かに、分配をめぐる闘争について語ろうとするブランシャールの意欲は、そんなに珍しくないかもしれない。ブランシャールは、賢明で、異論に広く受け入れる余地を持ち、門番というより門を開くような人物だ。彼は、1968年のパリの大学生であり、イギリスのマルクス主義者で『黒い惑星』紙の編集者だったボブ・ローソンを読み、1980年代になって清滝信宏と一緒に独自の価格設定モデルを定式化している。
アルバート・ピント:ボブ・ローソンは、(異なるセクターが総生産を巡って争う)インフレの政治的対立理論を発表し、ブランシャールをこれをもとに理論を構築している。以下は、そのローソンの理論の要約である。
I. はじめに:NAIRUによるアプローチ
現在ヨーロッパにおけるこの失業の分析手法は、かつてはインフレの「紛争」理論を呼ばれていた理論だ。ブランシャールはこれを、1986年に「マークアップの戦い」と改名した。この理論は、少なくともローソン(1997)まで遡ることができるが、おそらくもっと以前からあったのだろう。実際、フリードマン(1968)や、ルーカス&ラッピング(1969)の研究でも、この理論の変型が暗黙に盛り込まれている。
この理論は、以下のように要約できる。
・予想外のインフレは、総生産に対する〔各セクターによる〕要求が不一致となることで生じる。
・予想外のインフレは、加速度的かつ、最終的には爆発的な物価上昇となるため、永続的な持続としては許容されない。
・こうした予測外のインフレを防ぐためには、総生産に対する〔各権力セクターによる〕相互に一致した事前での要求の存在と、〔その要求の〕事後的な総生産への加算が必要とされている。この相互一致は、経済活動水準における変動、特に失業とその賃金(およぶ価格)形成への影響によってもたらされる。
・「失業の非加速度的インフレ率」(NAIRU)とは、予想外のインフレを解消する失業率の水準のことだ。
総生産に対する〔各セクターの〕要求は様々なものからなっているが、ここでは基本的には、要素所得(賃金と利潤)に関心を絞ろう。〔労働市場での〕賃金と〔企業による〕利潤の要求の不一致は、賃金設定と価格設定が十分に調整されていない場合に発生する。労働市場での交渉者は、一般的に将来の物価水準期待を念頭に置いて、名目での貨幣賃金を交渉する。そして、交渉が成立すると、個々の企業は利潤を最大化するために自前の価格を設定することになる。
出典: IMF
さて、内容や人物は置いておくと、私にとってこの一連のやり取りで本当に着目に値するのは、会話内容があまりに現実と乖離しているように感じることだ。ブランシャールによる、インフレ目標の3%への引き上げ主張は、十全に納得がいく。ブランシャールが正しいのは、間違いない。そして、現行のインフレは、8~10%のインフレがいかに短期に終わろうとも(一過性とまでは言わない)、これが分配を巡っての大きな事象であることも間違いない。しかし、現行のインフレでは、どの程度まで〔各セクター間の〕対立・闘争の結果なのだろう? 統治の正当性への普遍的な危機と考えられるイギリスを除けば、今のインフレを巡る対立・闘争は過去のどれより穏やかなものなのだ。
マティアス・バーネゴー:ブランシャールによる、〔セクター間の〕対立インフレ論によって引き起こされた騒動で驚くべきは、問題提起がなされたにも関わらず、先進国では現在、目立った〔セクター間の〕対立や、賃金抵抗が生じていない事実である。
賃金スパイラル論は、ヨーロッパ中央銀行内の一角を占める保守派を除けば、ほとんど存在しない。ヨーロッパ中央銀行の「ドイツの代弁者」であるイザベル・シュナーベルですら、以下のように述べているのだ。
イザベル・シュナーベル:実質賃金は、企業のコストにおいて重要な要素を占めている(“コストプッシュ回路”)。生産者物価の上昇によって〔実質賃金は〕デフレート(下方圧力)し、企業の実質賃金コストは低下し、〔企業〕利益は増加する。現状、この労働コスト増によるインフレ圧力は生じていないと考えられる。 6/15
シュナーベルが言うように、アメリカでもヨーロッパでも実質賃金は下落を続けており、今や物価上昇率も冷え込みつつある。ヨーロッパで最も強力な産業別労働組合であるIGメタルは、エコノミスト誌ですら「節度ある態度」と認めざるをえないような賃金交渉を妥結させた。公共部門労働組合の強い代弁者であるVer.diは、〔賃金交渉において〕もっと戦闘的な態度を取るかもしれない。しかし、公共部門でのサービス価格は、直接の価格設定とならないため、公共部門の賃金から、物価への波及は、副次的なものに留まるだろう。
この事実は、現在のインフレには、比喩的であれ闘争と表現できるような社会的プロセスの要素が含まれていないことを意味している。しかし、問題となっている「闘争」とは、異なる生産者グループ間で行われるマークアップの規模や、生産者グループが顧客や最終消費者である家計にどれだけ還元できるかについてだ。これらにはブランシャールは言及していない。こうした供給サイド主導のインフレについては、Isabella M. Weber† Jesús Lara Jauregui‡ Lucas Teixeira§ Luiza Nassif Piresらが、興味深い形でモデル化している。
しかし、こうしたコストのパス・スルーを「紛争インフレ」と呼ぶことは、古典的な政治経済学や社会学によって定義されている紛争に従えば、拡大解釈だ。少なくとも一般的には、生産者間の分断や、マークアップに関する議論は、極めて合理的な根拠でもって、雇用者と被雇用者間や、資本家と労働者間の対立に起因しているため、方策的・政治的重要性と同じとみなせない。物価の高騰が、貧しい人の家計の毀損や、生活費危機の言説として流布さている。それらが、物価統制と超過利潤税への要求への至るかもしれない。その場合に必要とされる政治は、福祉と分配であり、権力と統制の政治ではない。ここでの違いを認めるのに、生産過程の神聖視は必要とされていないのだ。
現在の状況を考慮すると、インフレの〔セクター間〕対立理論について過剰反応したり、過去のものとなったコーポラティスト(強調組合主義)を懐かしむ人に、シシンパシーを感じるのは私としては難しい。
アンドリュー・フィッシャー:一連の議論全体が、対立理論――例えば対立とはそもそも何なのか?、経済における権力源泉、労働者の交渉力の相対的な強さ(あるいは数十年にかけてその力が減じたこと等)を矮小化しているのではないかと思う。こうした議論は、現状のインフレが、賃金主導でないことを考えれば、明らかにタイミングが悪い。
ブランシャール:思うに、あなたのプロセスを矮小化しており、誤解を招く可能性がある。経済が加熱している場合、プライスセッター(価格設定者)は、相対価格を調整しようとする(これは「対立」だ)。しかし、こうしたプロセスでは、時間の経過とともに集合的なプロセスが生じ、名目物価水準は上昇する。
私の考えでは、ブランシャールの一連の呟きで最も注目すべき点は、彼が昔のコーポリティズム(強調組合主義)を素朴な「夢物語」だとしていることにある。
ブランシャール:7/8. これ〔中央銀行による経済原則処置〕は、分配をめぐる対立の対処法としては、あまりにも非効率な手段だ。労働者、企業、国家間の交渉によって、インフレの誘発や、痛みを伴う経済減速を必要としないやり方があると、人によっては夢想するだろうし、そう思うのは当然かもしれない。
8/8. しかし、残念なら、これを達成するには想像以上の信頼が必要であり、その実現は非常に難しい。それでも、インフレをこのように〔分配をめぐる対立だと〕考えれば、何が問題となっているのか、そして最も痛みの少ない解決策の検討案を思案できるだろう。
そして、ブランシャールに必要とされているのは、「価格の安定」のような高尚な名目での面倒な手間と手の込んだ対処ではなく、分配問題を直接議論するための開かれた「組織」「権力の均衡」「政治的プロセス」であり、さらにそこから込んだ「信頼」だと私は考察している。こうした路線では、権力、利益、政治経済への執着は消失し、信頼という形での社会的心理の問題として置き換えられることになるだろう。様々な学派の経済学者たちによる垣根を超えて学際的な和解が行われたとしても、それは極めて疑わしい和解でしかないだろう。
そして謎は、ブランシャールがこうしたことにまったく気づいていないことだ。例えば、彼の以下のコメントを参照してみてほしい。
ブランシャール:ショック、再分配を巡る対立、インフレについてのドイツ連邦銀行による1973年の見解 @WendyCarlinEcon に感謝
第2ラウンドへの反対を講じて、エネルギー価格の上昇による実質賃金の削減を、労働者に受け入れるように暗に求めている内容だ(p9 of pdf)。
このブランシャールの発言はどうみても、いわゆる〔インフレによる労働者の要求による名目賃金上昇からのインフレ上昇を求める〕第2ラウンドの反応と戦い、分配を現状の所与として受け入れることを含んだ内容だ。これは、アンドリュー・ベイリーの賃金抑圧の意見への、ブランシャールの反応でも、明らかになっている。
しかし、こうした指摘は重要かもしれないが、より重要なの問題となっているのは、なぜ2023年にもなって半世紀前の状況について話しているのかということだ。我々が最も喫緊に必要としているのは、1970年代と1980年代に適切だったインフレについての〔セクター間〕対立理論を復活させることではない。適切なインフレモデルだ。必要なのは、2023年の状況――交渉力の極端な非対称性、行き詰まった民主政治、その結果、実質賃金は損耗を被っているにもかかわらず、社会的論争が欠けている――こうした状況でのインフレと政策決定をめぐる適切なモデルなのである。労働者の組織化に関する政治について、どのような立場にあっても、少なくとも現状の新規性を認識することこそ、我々の責務なのである。
Chartbook #185 Inflation and distributional conflict – in 2023 not 1973! Also a response to the debate around that Blanchard thread.
Posted by Adam Tooze, Jan 4 2023