●Tyler Cowen, “Is “futile busyness” good for us?”(Marginal Revolution, July 22, 2010)
残念ながら、大抵の人は自ら進んで「無益な忙しさ」に身を任せようとはしないだろう。そこで、政府なり何らかの組織なりが、パターナリスティックな(温情主義的な)立場から介入する余地が生まれることになる。何らかの「無益」な活動機会を作り出して、無理矢理忙しくさせる(暇を潰させる)わけだ。論文の一部を引用しよう。「手持ち無沙汰にさせておく代わりに、わざとネズミを家の中に招き入れてその始末をさせた方が、お手伝いさんも高い満足を覚えるかもしれない。(失業していたりして)何もすることがない市民に何の役にも立たない橋を(公共事業を通じて)作らせた方が、その市民の満足度も(何もしないでいるよりも)高まるかもしれない」。そのような介入の実例は現にあるという。お客が手荷物の到着を手持ち無沙汰で待つ時間を短くするために、手荷物受取所まで歩かなければならない距離をあえて長くしている(お客を無駄に長く歩かせようとしている)空港があるというのだ。
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