マーク・ソーマ 「ケネス・アロー(1921-2017)」(2017年3月2日)/ アレックス・タバロック「伯父としてのケネス・アロー ~サマーズが語るアローの思い出~」(2017年2月24日)

●Mark Thoma, “Kenneth Arrow, 1921-2017”(Economist’s View, March 02, 2017)


デブラージ・レイ(Debraj Ray)のブログより。

Kenneth Arrow, 1921-2017” by Debraj Ray:

ケネス・アロー(Kenneth Arrow)が2017年2月21日に亡くなった。享年95歳。アローは、20世紀を代表する三大経済学者(三傑)の一人――残りの二人は、ポール・サミュエルソン(Paul Samuelson)とジョン・ヒックス(John Hicks)――と目されていて、私のかねてからのお気に入りの経済学者でもある。

私の恩師であるディパク・バナジー(Dipak Banerjee)が私にアローを「紹介」してくれたのは、1974年のことだ。アローは、私の母親が崇め奉っているヒンドゥー教の女神サラスヴァティー)さながらに私の目の前に出現した。黄色い表紙の小さなペーパーバックの姿を借りて。『Social Choice and Individual Values』(邦訳『社会的選択と個人的評価』)を大学通りにあるダスグプタ書店で手に入れたのだ――今でも手元に持っている――。当時の私は大学1年生。小さな本だったが、深遠な論理的な思考がぎっしり詰まっている一冊だった。ページを繰っていくと、これまでに見たことがない風景が広がっていた。政治経済学の分野における「抽象的な問い」が切れ味鋭い理論的な道具立てに読み替えられていたのだ。

「抽象的な問い」とは何か? 簡単に言うと、こういうことだ。みんなの意見を集計して集団としての意思決定を下す方法として「多数決」があるが、多数決にはいわゆる「コンドルセのパラドックス」(投票のパラドックス)として知られている有名な問題が付き纏(まと)う。(複数の選択肢に対する)一人ひとりの選好(好み)は理に適ったものであったとしても、「多数決」を通じてみんなの意見を集計する結果として得られる(複数の選択肢に対する)社会的な選好――集団としての選好順序――に時として循環が生じる可能性があるのだ。このことから次のような問いが浮かび上がってくることになる。一人ひとりの選好を矛盾のないかたちで集計できるような方法というのは果たして存在するのだろうか? 少し考えてみればすぐに気付くが、一人ひとりの選好を集計する方法としては、周知の多数決以外にも無数の候補がある。先の問いに答えを出すのはおろか、先の問いを理論的に取り扱えるようなかたちに定式化するには一体全体どうすればいいんだろうか? アローが閃(ひらめ)いた定式化は、まさしく天才的なものだった。いくつかの公理(条件)を定めて、一人ひとりの選好を集計して集団としての選好(社会的な選好)を導き出すあれやこれやの方法がそれらの公理を満たすかどうかを問うたのだ。見た目が美しいというばかりではない。結論(答え)も得られるのだ。その結論とは、こうだ。ごく限られた数の公理(条件)をすべて満たしつつ、一人ひとりの選好を集計して申し分のない――例えば、集団としての選好順序に循環が生じないような――社会的な選好を導き出せるような方法は存在しない。

内容盛り沢山の続きも是非ともご覧あれ。

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●Alex Tabarrok, “Summers on Arrow”(Marginal Revolution, February 24, 2017)


ローレンス・サマーズ(Lawrence Summers)がケネス・アローとの思い出を回想しているが、「学者人生」の一面を見事に捉えたエピソードが紹介されている。私も似たような経験がある。父親が機械工学を専門とする学者だったのだが、我が家に招いた教え子たちと父親が似たようなやり取りをしているのを目撃したことがあるのだ。

今週のことだが、ケネス・アローが95歳で亡くなった。ノーベル経済学賞の受賞者であり、私の母方の伯父でもある。アローは優れた人柄の持ち主で、私(だけではなく、その他大勢)にとってのヒーローだった。アローほど充実した学者人生を過ごした人物は、他には見当たらない。

アローが1972年にノーベル賞を受賞した時のことは、まるで昨日のことのように覚えている。ポール・サミュエルソン――同じくノーベル経済学賞の受賞者であり、同じく私の伯父でもある――がアローのノーベル賞受賞を祝うパーティーを催したのだが、その当時(MITの)大学2年生だった私もその場に招待されたのだ。若干オタクめいた雰囲気に包まれてはいたが、お祭り気分に満たされた一夜だった。

夜も更けていく中、部屋の隅でサミュエルソンとアローが一対一で立ち話を延々と続けている。テーマは、数理経済学のあれこれの定理について。招待客たちは、一人また一人と帰っていく。サミュエルソンの細君は、(二人がいつまで話しているのかと)じれったそうにしているように見えた。アローの細君(であり、私の叔母でもあるセルマ)はというと、コートを羽織ってボタンも留め終わり、出口に向けて歩き出していた。そんなことはお構いなしに、最大値原理だとかポントリャーギン(ロシアの数学者)だとかについて切り出すアロー。それに対して、イギリスの数理経済学者であり哲学者でもあるフランク・ラムゼイの話題で迎え撃つサミュエルソン。二人の会話が終わらないと車も出せず、それゆえ私も帰れなかったので、私は二人の会話をじっくり観察していた。内容は一切理解できなかったけれど。

二人が話しているのを眺めていて、吸収できたこともある。目の前にいるのは、ノーベル賞を受賞した二人の人物。疲れ果てた他の招待客たちが次々と家路を急ぐ中、好物の話題をネタに延々と語り続ける二人。その夜、私は二人の伯父から学んだのだ。アイデアに対する情熱を。学者という職業の重要性と刺激(スリル)を。

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