ジェイソン・コリンズ「行動経済学の限界:コロナウイルス編」(2020年4月20日)

行動科学(もしくは「行動経済学」)による、「事象X」を説明できるとの論説は、ほとんどゴミである。

The limits of behavioural science: coronavirus edition
Posted by Jason Collins
7 April 2020

行動科学(もしくは「行動経済学」)による、「事象X」を説明できるとの論説のほとんどはゴミである。「行動経済学によるトランプ当選の理由」のような論説は、もしドナルド・トランプが落選していたら「行動経済学によるトランプ落選の理由」になっていただろう。こうした論説は、科学的根拠ゼロの、後付のストーリーテリングにすぎない。

この6週間、私でコロナウイルスのパンデミックを、行動科学で説明している記事を収集してきた。毎度のことながら戯言が満載である。

スチュアート・リッチーもこの問題に取り組んでおり、彼はUnHerd誌で「コロナウイルスで心理学者を信頼してはいけません」との記事を書いたので、自分の手間が省けた次第だ。私なら、こんなタイトルにしなかったが、ともかくリンク先のリッチーの記事を読んでほしい。以下に、重要部分を引用する。

まずは、リッチーによるキャス・サンスティーン案件からだ。

〔コロナウイルスに関する〕別の心理学的洞察は、ベストセラー本『ナッジ(実践 行動経済学)』の共著者キャス・サンスティーンによってもたらされた。ナッジとは、行動経済学(つまりは心理学の言い換え)の知見によって、人の行動を変える試みの提示である。サンスティーンは2月28日のブルームバーグ・オピニオンでの記事の中で、コロナウイルスのパンデミックへの不安は主に〔大規模に感染しないウイルスなのにパンデミックになると騒いでいる大衆の〕「確率の無視」と呼ばれるものから生じていると述べている(なお、この記事が発表された時点で、全世界で83,000人以上のコロナウイルスの感染者が確認されていた)。

この病気は新奇で致死性であることで、私たちは「過剰な恐怖」に苛まされ、罹患率の低さが目に入らなくなってしまう、とサンスティーンは結論を下した。「この先、病気の封じ込めに失敗すると、実際のリスクよりもはるかに大きな恐怖や、経済的・社会的混乱を招くでしょう」とサンスティーンは続けている。

サンスティーンの記事の冒頭からなんとも奇っ怪な主張を行っている。

現時点では、どんな人であれ、コロナウイルスがどれほどの脅威をもたらすのかを特定することはできないのです。しかし、一つだけはっきりしていることがあります。それは、多くの人が必要以上に怯えているという事実です。人は、自身への個人的リスクに関しては、誇大化されて感じてしまうのです。

樽の中の魚を撃つ〔訳注:あまりにも馬鹿らしい事実を敢えて批判する例え〕ようなものだが、誰も脅威の大きさを特定できないのなら、なぜ人々は自身への個人的リスクを誇大化されて感じてしまう、などと主張できるのだろう?

(余談だが、私は、キャス・サンスティーンにツイッターでブロックされている友の会の会員である。私のツイートのほとんどは、ブログ記事の報告であり、それらブログ記事ではサンスティーンにはマイルドな批判しか行っていない。このことから、作業仮説としては、彼はおそらくナシム・ニコラス・タレブがフォローしているアカウント全員をブロックしている。ここで、サンスティーンの著作『#リパブリック: インターネットは民主主義になにをもたらすのか』の冒頭の文章を皆で思い起こしてみよう。「うまく機能している民主主義では、人々はエコーチャンバーや情報繭に引きこもっていないのです」。まあこれ以上は言いますまい…。)

リッチーは、ゲルト・ギーゲレンツァーもサンスティーンと似たような間違いを犯していると指摘している。

イタリア政府が827人目の死亡者を発表した翌日の3月12日、有名な心理学者ゲルト・ギゲレンツァーは、Project Syndicate誌に「なぜ死者が出ないウイルスに我々はパニックになるのか」との題された記事を発表した。この記事はどれほど好意的に読んでも、〔冷静になれと呼びかけた〕ギゲレンツァーの混乱を示している。記事は、今回のパンデミックがどれだけ酷いものになるのか分からないとの認識の表明から始まるが、直後に我々が過剰反応する可能性があるとの主張を展開し、自説への過信に満ちた記事となっている

普段からギーゲレンツァーは、分野外からの批判に対して人間の直感を擁護する立派な仕事をしつつ、我々の「リスク・リテラシー」をいつも疑問視している。〔訳注:ギゲレンツァーは、「人間の無意識の直感は理性的」とする説を提唱しているため、その自己矛盾を皮肉っている〕

行動経済学による読み解きは、メディアに登場するだけに留まらない。政府へのアドバイスにまで入り込んでいる。

とあるコンサル会社は「ナッジ・ユニット」を名乗り、『行動洞察チーム(Behavioural Insights Team)』なるプロジェクトで、イギリス政府のコロナ対応を支援した。このプロジェクト、当初は、手洗いの奨励に焦点を当てていたようだが、どうも暗礁に乗り上げ、空転中のようである。

例えば、このプロジェクトのリーダーを務めているデヴィッド・ハルパーンは、「政府のコロナウイルス科学アドバイザー」として、高齢者の「コクーニング(繭のように隔離する)」なる曖昧な政策についていろいろ託宣を垂れている。他にも、今から見れば完全な間違いとしか思えない、「人々が疲弊してしまので、ソーシャルディスタンス政策は徐々に導入すべきだ」とのアイデアを提唱している。2週間前、ハルパーンは、「集団免疫」という不吉な言葉を国民的な議論に持ち込みんだことで、首相官邸から「お灸をすえられた」との伝聞が流れて以降、(私の知る限り)公の場から姿を消した。

ヴォーン・ベルが指摘しているように、ハルパーンに関する記事は詳細が不明であり、彼の論拠を擁護できる興味深い研究も多く存在する。しかし、「人々が疲れてしまうことを前提に、集団免疫を支持する」のはかなり論理飛躍しており、信仰告白に過ぎない。

行動科学者が醜態を晒しているのはなぜだろう? 一つは、机上の科学的事実の一般化可能性である。

サンスティーンは、「確率無視」〔訳注:客観的な確率より、偶然性等に法則を見出すバイアス〕を裏付けるため、2001年に『Psychological Science』誌に掲載された論文を引用している。彼は論文に収録されている3つ目の実験に着目している。この実験では、被験者が156人集められているが、全員大学生で、彼らに架空の電気ショックを避けるためにいくらまで払えるかを考察している。この実験が、世界的なパンデミックと密接な関係があるとする科学者がいるとすれば、正気を疑われるだろう。

実際、「再現性の危機」と並んで、「一般化の危機」も論じられており、実験室での実験結果が、必ずしも他の状況で一般化できると限らないことが再認識されつつある。未知のウイルスの世界的なパンデミックは、まさにその定義からして、これまでの経験がゼロな状況だ。仮に156人の大学生よりも大規模な被験者を用いた行動科学の実験結果があったとしても、それが現在の状況の関連していると、なんらかの確証は得られるだろうか?

答えは、「不可能である」だ。人間の偏見や非合理性を探求すれば、風変わりで示唆に富む論文や著作となり、読者はそれを読んで賢くなった気分になる(そして、心の働きについて科学的な理解を深めたような気分になる)。しかし、本当に危険な疫病の登場時に、小規模な実験室での実験結果や、行動経済の研究に頼ると、上で言及した記事のように破滅的な失敗をしでかすだろう。

バイアス、サンクコスト、コモンズの悲劇など、最近の報道に関連しているように思われる人間の行動現象は、たしかに大量に存在している。しかし、こうした行動を、今やるべき政策、つまり疫病の蔓延を減速させるために実際にどのように応用できるかについては、まったくもって定かでない。

以下のリッチーの結論に、私は賛同する。

心理学的研究の多くは興味深いが、そうした研究から得られた洞察の大部分を、現実に適当するには、まだ時期尚早である。特に何百万人もの命が危険にさらされている世界的な緊急事態ではそうだ。行動科学者による有益とされているアドバイスの多くは、実は「科学」に基づいておらず、直感的な当たり前の事実の提示に過ぎない。

「世界的なパンデミックに恐怖を感じるのは間違えている」といった主張は、単なる直感への逆張りだ。これは、恥をかくだけに終わるか、パンデミックへの対処が不十分となり人々を危険に晒してしまうだろう。私は、「心理学は狭い自領域に留まっていて、役に立たない」と言いたいわけではない。例えば、パンデミックによる精神衛生への影響に対して、できだけの多くの人が心理療法を受けられるようにするのは重要だろう。しかしこれは、ウイルスによる副次的な影響への対処に限られる。私が主張したいのは、心理学はパンデミックへの即時対応について信頼できる助言はほとんど行えない、ということだ。

心理学者は、自身の限界をわきまえるべきであり、小規模研究の結果を新規・異質な状況に拡大適応すべきではない。政策立案者は、心理学研究を政策の基礎として用いるなら、その前に、その多くがどれほど根拠薄弱で異論が寄せられているのかを知っておくべきだ。一般人は、ステイホームして、手を洗いーーそして、託宣を垂れる心理学者に警戒しなければならない。

すると、行動科学者は、今回のパンデミックの渦中で何か役に立てるのだろうか? 手洗いを増やすための仮説を立て、その検証は可能かもしれない。ステイホームの必要性についてのコミニュケーション手段にも役に立てるかもしれない。リモートワークの生産性に関する知見を保持しているかもしれない。しかし、リスク認知の正確さや、人々の長期的な行動予測については口を慎まなければならない。こうした主張のほとんどは、ストーリーテリングに過ぎない。

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