僕は13歳で経済学を読み始め、同時に哲学も読み始めた。ニュージャージー州ヒルズデールに住んでいたんけど、すぐ北のリバー・ヴェールの公共図書館のほうが求める分野の本が充実していたので、定期的に自転車で赴いて、本を借りていた(セロニアス・モンクやマイルス・デイヴィスの傷だらけのLPレコードも借りてきて勉強のように聴いていた)。
とりわけ、「グレート・ブックス」シリーズ内の哲学書に特に惹かれた。全てを読むべきだと決心し、当然のように、プラトンの『対話篇』から取り掛かり、それは長い間、僕の関心の的だった。アリストテレスは退屈だったけど、当時(そして今でも)彼のほうがプラトンよりも正しいと感じていた。
あと、最初からソクラテスはプラトンの考えを代弁してるに過ぎないという議論には眉唾だった。僕の初期の(そして今の)見解だと、プラトンは真の天才であり、二流のソクラテスを賢明な人物に格上げしているけど、それは対話をもっと良くするためにやっていた、というものだ。プラトンが対話形式を採用したのは、彼が真の天才だったことを示している。
僕のお気に入りの対話篇は、『クリトン』、『ソクラテスの弁明』、『パイドン』、『饗宴』のような評価が定まったものだった。『パルメニデス』には夢中になったけど、読者を選ぶ本だ。でも、基本的には超重要な本に思えた。『ティマイオス』や『パイドロス』にも興味をそそられたけど、難解だった。『国家』の真価が分かったのはずいぶん後になってからで、アラン・ブルームが序文を書いていたシカゴ版を読んでからだ。一番好きじゃなかったのが『法律』だった。
当時、自分的にもう一つ大きな事件だったのが、ジョン・ホスパーズによる哲学の教科書を購入したことだ(そう、ゲイ・ポルノを偽名で書きまくったあのジョン・ホスパーズだ)。ホスパーズの本は、図書館で借りたんじゃなくて、ニューヨークで購入したはずだ。その本では、デカルト、ロック、バークリー、ヒューム、カントに至る「近世哲学」の基本的な歴史が説明されていて、僕はそれに魅了された。なので、列挙された哲学者の著作を全部読むべきだと決心して、実際に読んでみた。バークリーとヒュームが一番面白かった。経済学を一緒に読んでいたので、カントが「限界」について考えられないことはもう分かっていた。
高校時代に読み始めた哲学だと、他にはポパー、ニーチェ、ドストエフスキーがあった。当時は『カラマーゾフの兄弟』も一種の哲学者だと考えていた。サルトルも読んだし、図書館で見つけた哲学書は手当たりしだい読んだ。例えば、ライサンダー・スプーナーによる国家の社会契約論の批判や、リバタリアン哲学もたくさん読んだ。アントニー・フルーやジョージ・スミスの無神論についての本や、『偉大なる奇跡』みたいなC.S.ルイスの本もたくさん読んだ。アーサー・ケストラーの『機械の中の幽霊』、自由意志についてのウィリアムズ・ジェイムズの著作、1960年代から1970年代に書かれた哲学の周辺的な乱文的著作 [1]訳注:ティモシー・リアリーやハーバート・マルクーゼのようなカウンターカルチャー的な人文書をことと思われる なんかも読んだ。ロバート・パーシグには退屈させられたし、厳密さが足りなかったけど、そうした「時代の著作群」の洗礼を浴びた。とはいえ、SFを読むことで得たものと同様、これらの著作は僕の中でテーマを形作る礎となった。ポパーの『歴史主義の貧困』やミーゼスの『理論と歴史』を読む傍らで、アシモフの『ファウンデーション』三部作を考察していたものだった。
一時期、哲学者になることも考えたけど、経済学者の道のほうがはるかに実践的で、世の役に立つと判断した。
とはいっても、大学の学部時代にも哲学を読み続けた。最大の衝撃はクワインを読んだことだ。突如、社会科学の命題や経済モデルの意味することについての、まったく異なるアプローチを眼前に突きつけられた(僕は、経済学の方法論について、フリードマンやサミュエルソン、あるいはオーストリア学派に満足したことはなかった)。長い間、『ハイエクとクワイン』という100ページのエッセイを書こうと思っていたけど、結局書かなかった。それでも、クワインによって、僕はいくつかの根源的な新しい扉を見開くことになった。あと、オラフ・ステープルドンの小説『最後にして最初の人類』や『スターメイカー』を読んで目を見開かされ、僕の思索的傾向に大きな影響を与えた。
哲学の授業にはあまり出なかったけど、ハーバードの大学院では、ヒラリー・パトナムの言語哲学の授業に(友人のクロズナーと一緒に)参加した。それは、僕がこれまで受けた授業で最高のものの一つであり、おそらく最高だった。ハーバードではノージックとも少しだけ親しくなったけど、言うまでもなくものすごく感銘を受けた。当時は、ゲーテやドイツ・ロマン主義もよく勉強していて、大陸哲学的なアプローチにも特にアレルギーを感じることはなかった。
1984年のある日、ハーバードのブックストアに入ると、ちょうど出版されたばかりのパーフィットの『理由と人格』を見つけた。それまで、パーフィットのことは知らなかったけど、すぐにこの本を買って読まないといけないと思った。夢中になって、博士論文の一部でも取り上げ、何年もパーフィットの提起した問題と格闘したけど、就職市場的にはあまり良い選択ではなかった。クワインの著作との出会いと同様、パーフィットのこの本との出会いも、僕の人生と世界観を一変させた。『クワインとパーフィット』というテーマでエッセイを書いても面白いかもしれない。
カリフォルニア大学アーバイン校で最初の仕事をしたときには、優秀だったアラン・ネルソンや、少しだけ一緒に共著も書いたグレゴリー・カフカといったそこにいた哲学者とも交流した。グレゴリーとはとても良い友人だっただけに、彼の早すぎる死は大きな悲劇だった。あとは、ロサンゼルス在住の非アカデミアの哲学者デビッド・ゴードンとの会話も楽しかった。彼は僕が出会った中でもっとも博覧強記な哲学者だ。
1980年代後半、僕はデレク・パーフィットと出会い、社会的割引率についての論文で彼の唯一の共著者になった。詳細は、デイヴィッド・エドモンズの優れたパーフィットの伝記『デレク・パーフィット 哲学者が愛した哲学者』に書かれているので、ここでは繰り返さないけど、少しだけ秘話を打ち明けると、デレクは僕がこれまで会った中で最も哲学的な人で、方法論や生き方としての哲学を完全に体現する人物だった。このことは僕にとって、彼の書いたどんな特別なものより、重要だ。著作と人格は密接に関連しているが、それはまた別のものでもある。今日の哲学者で、自分が何者であるかについて省察している人は少ない。
パーフィットとの共同研究の後、彼は僕に手紙をくれた。その内容は基本的に、オックスフォードの彼のグループに加わることの誘いだった(どんな条件かは明確ではなかったけど)。僕にとってそれは、行き詰まりのように感じられたし、生涯所得が大幅に減るので、この誘いには乗らなかった。
僕は哲学の分野で、経済学の「トップ5」のジャーナルに相当する論文誌に4本の論文を掲載した。あと、ピーター・シンガーに招待されて、プリンストンの彼の哲学グループで自分の論文『自然界の取り締まり(Policing Nature)』を発表できたのは喜ばしく光栄に思った。自著『フレーミング~「自分の経済学」で幸福を切りとる』や『不屈な執着——個人的自由・繁栄・責任のある社会のビジョン(Stubborn Attachments: A Vision for a Society of Free, Prosperous, and Responsible Individual)』〔未訳〕は、学際的な本だけど、何よりもまず哲学的な著作だと思っている。
僕は今でもずっと哲学を読み続けている。次に読むのはモーシェ・ベン=マイモーンの新訳で、一見した感じ、大きく改善されているようだ。でも、査読付きの哲学ジャーナルを読む量は以前よりずっと減ってしまった。率直にいって、そのほとんどはあまり哲学ではないし、面白くもない。現実の問題を扱っているというより、学術的な査読者が気づく最低限の「新しさ」と、査読者に擁護されるような断片の切り出しに終始している。これは哲学のやり方としては悪い方法だと思う。1960年代にはかなりうまくいっていたけど、今や「新しさ」があまりに狭くなりすぎているんだ。
プロの哲学者のほとんどは、僕からすると哲学者というより官僚のように見える。彼らは、その著作においても、その人格においても、哲学的な理念を体現していない。今の僕のトレンドとしては、哲学の古典を読み直したり、「大陸系」を読んだり、多くの人にとっては哲学とはまったくみなされていない哲学的な作品を読んでいる。AIに関する優れたツイートは、良い意味で極めて哲学的になり得るし、過去の偉大な哲学がそうだったように、査読ジャーナルの規範に縛られていない。格言は哲学において長く高貴な伝統だ。
僕の哲学者概念はこの数年で大きく拡張した。パトリック・コリソン、カミーユ・パーリア、ロス・ドゥーサットによる優れたコラム(他にも、マシュー・イグレシアスによる優れた文章や、ピーター・ティールの鋭い考察も挙げられる)、もちろん芸術・建築・音楽の評論も、現代における最高かつ最も重用な哲学の一部だと思う。〔シカゴ大哲学准教授の〕アグネス・カラードによるニューヨーク・タイムズ紙でのコラムは、最良の哲学だけれど、これも型通りの哲学にはまったく見えない。こうした精神的なシフトをするのは難しいことを知っているが、キルケゴールやショーペンハウエルがどんなふうに書いたのかをもう一度考えてみれば、シフトできるかもしれない。そしてもちろん、現代の最も偉大な哲学者は、高品質のLLM(大規模言語モデル)を構築し、その使い方を学んでいる人たちだ。
哲学者かどうかの簡単な経験則を挙げておこう。「あなたのおかげで人生が変わりました」という手紙をもらったことがないなら、その人はおそらく哲学者ではない。数理論理学や、哲学キャリアの初期にあるなら、こうした反響をもらえないかもしれないけど、それでも哲学者かどうかの初歩の判断材料としては悪くない。
振り返ってみると、僕は経済学じゃなくて哲学の道を選んだんだと今になって思う。僕は、経済学に詳しく、(他のなによりも)経済学について書いている哲学者だと自認している。そう自己を再定義することで、自身のキャリアや時間配分についていろいろ腑に落ちるようになった。
じゃあ、モーシェ・ベン=マイモーンの新訳に取り掛かってみよう…。
[Tyler Cowen, “My history with philosophy,” Marginal Revolution, April 20, 202]References
↑1 | 訳注:ティモシー・リアリーやハーバート・マルクーゼのようなカウンターカルチャー的な人文書をことと思われる |
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