ノア・スミス「インフレを鎮めるのにともなうアメリカの労働者の痛手はどれくらい?」(2022年9月26日)

[Noah Smith, “How much will beating inflation hurt American workers?Noahpinion, September 26, 2022]

多くの人たちの頭に浮かんでる疑問について語ろう

予想どおり,FRB がまた利上げをした.フェデラルファンド金利は,75ベーシスポイント (0.75%) 上がって,3%-3.25% の目標範囲に入った.そして,こっちの方がたぶんもっと大事なんだけど,FRB は将来さらに利上げすると約束している.今後どれくらい利上げするかを中央銀行がみずから予想した「ドットプロット」では,2023年に 4.6% でピークに達している.2ヶ月前は,この数字は 3.8% だった.市場予想もわずかに上がってる――7月時点での市場予想では 3.5% がピークだったけれど,それがいまでは 4.5% になってる.

なんでこうなってるかと言えば,もちろん,インフレが一向に収まろうとしないからだ.原油とガソリン価格が下がったおかげで総合インフレ率こそ下がったけれど,FRB がいちばん注目してる数字であるコアインフレ率〔食料品・エネルギーを除外したインフレ率〕は,いまだに 6% から 7% のあたりにとどまってる.前月比でも前年比でも同様だ:

見ようによっては,この最新の利上げから察するに,FRB はいまだにある程度まで「インフレは一時的だよ」派に該当するともとれる.現在のインフレ率にもとづいて金融政策を設定する古典的なテイラー・ルールを当てはめたなら,おそらく金利は 9% 以上になっているところだろう.これは,いまの FRB の 4.5% ピークよりもずっと高い.なんで FRB がそこまで利上げしていないかと言えば,インフレ圧力が勝手にいくらか減ってくれると予想してるからだ――圧力が減る理由は,政府支出〔の減少〕かもしれないし,パンデミック後の混乱〔の収束〕かもしれないし,ウクライナ戦争〔からの立ち直り〕かもしれない.

その可能性はいまもある.原油と天然ガスの価格は下がっていて,企業にとって主なコストは減ってる.この減少分は,いずれ消費者物価の低下へとつながるはずだ.それに,人々はパンデミックでため込んだ貯金を徐々にくずしつつある.また,政府の財政赤字も,〔大きく膨らんでいた〕2021年や2020年の水準からずいぶん遠い.こうした外部の変化によって,FRB は 9%以上じゃなくって 4.5% への利上げですませられるかもしれない.これは,インフレ予想の調査と整合する.調査で出てきたインフレ予想の数字では,インフレが3年後に通常の範囲にもどると予想されている(出典: ニューヨーク連銀):

でも,そうはならないことだってありうる――いまのところ起きていないのはまちがいない.そして,インフレが収まってこなかったら,FRB は利上げを続けると予想しないといけない.そうしないと,FRB はインフレを鎮める意思があるっていう信頼が失われてしまうからだ.ここにあるのは,楽観的な FRB ではあるけれど,ハト派の FRB じゃあない.

誰もが考えてるわけじゃない疑問がこちら: それって,経済にどれくらいの打撃を与えるんだろう? いずれ,金利が高くなれば経済活動は抑制される.すると,失業する人が出はじめる.FRB はその用意がある.キミも用意をしておいた方がいい.心配してる人は多い――「これからの3年ほどで,いったいどれほどの痛手を受け入れることになるんだろう?」 というわけで,この点をめぐる議論のいろんな側面のうち,一部をここでとりあげておこう.

インフレを鎮めるとなると,賃金を引き下げることになる?

いま大勢の人たちが考えてる大きな問いが,これだ――「いまの労働市場が売り手市場になってるから,インフレ率が上がってるんだろうか?」 ようするに,仕事を探してる人数を上回る労働者を企業が雇いたがってるときには,賃金がぐいぐい上がるってところが勘所だ.賃金が上がれば,企業の労働コストも上がる(企業は〔自社製品・サービスの〕価格を上げざるを得なくなる),すると,労働者の購買力も上がっていき(〔モノやサービスを買うときに〕より高い価格でも支払ってもかまわないと思うようになり),消費者物価が上がっていく.そのとびきり極端なバージョンが,仮説上の賃金-物価スパイラルだ.これにはまると,賃金と物価がお互いを押し上げ続けてしまう.

個人的には,そんなスパイラルがいままさに起きてるとはちょっと信じがたい.実質賃金は上がるどころか,下がってる.消費者物価の伸びに追いついていないからだ.

賃金よりも物価の方が急速に上がると,2つの事態がもたらされる,第一に,労働者たちはサイフからお金をしぼりとられてるように感じる.実質の購買力が低下するのを体験するからだ.毎月毎月,食料品や日用品を買ったり,家賃を払ったり,新車だかなんだかの購入を検討したりするたびに,給料に対してそういうあれこれの物価が上がっていく.労働者たちも賃上げを要求してるけれど,賃上げは物価に追いついていない.こういう状況でもしもみんながお買い物に熱を上げてたら,奇妙に感じられそうだ.第二に,実質の賃金が下がっているために,企業の労働コストは――少なくとも労働者1人あたりのコストは――自社製品につけてる価格に比べて下がってきてる.こういう状況では,コストをうめあわせるために製品価格を上げ続けなくちゃいけないと企業が切迫感をおぼえるかって言うと,どうもそういう感じじゃない.

さらに,全体の失業率は低いのに,経済はどんどん雇用を増やし続けてる.〔※原文では employment rate だけれど,文脈からタイポと判断した〕.また,これは統計集計の事情でうまれた実態のない数字ってわけでもなさそうだ.労働市場をみるときにぼくが好んで参照する数字は,生産年齢人口に占める就業者の割合だ.この割合は,7月と8月に連続して上がってる:

きっとみんなもこう思うだろう,「労働市場が実は売り手市場じゃないなら,就労率は最高潮に達して,実質賃金は上がるでしょ.だって,数の限られてる労働者をとりあって,雇う方は賃金をどんどんつり上げていくだろうから」って.でも,上がるどころか実質賃金はインフレのペースについていけずに低下してる.まだまだ企業が雇える労働者を見つけられているからだ.ぼくの目には,いま賃金がインフレの大きな要因なようには見えない.

でも,どうやらパウエルと FRB は事態をそう見てないらしい.最近の発言では,労働市場は売り手市場で賃金が下がる必要があると,パウエルは言ってる:

たしかに,賃金の低下よりも物価の低下の方がずっと大事だとパウエルは言ってる.でも,明らかに,高インフレをもたらしてる容疑者に労働市場がふくまれるとパウエルは見ている.

経済学者たちのなかには,いまのインフレ・パズルの中心を占めてるのは賃金だと主張する人たちもいる.たとえば,Project Syndicate のジェイソン・ファーマンは,8月上旬にこう言ってる:

いまの段階で,インフレはますます物価上昇に組み込まれてきている.これが,賃金上昇の燃料になり,それが今度は物価上昇の燃料になっている.この恐るべきプロセスは――「賃金-物価スパイラル」とも呼ばれるが,私としては「賃金-物価固着」と呼びたい――顕著に上昇している短期インフレ予想に裏付けられている.(・・・)

最新データを見ると,民間の賃金・給与は今年の前半に年率 5.7% で成長している.この数字は,パンデミック前の成長ペースよりも約 2.5パーセントポイント高い.合計して,コロナウイルス前のインフレ率にその 2.5パーセントポイントを足した場合,基調インフレ率は 4.5% になる.さらに,ハーバード大学ケネディ校の Alex Domash による推計によると,賃金の伸びをはかる他の数字もいろいろあるが,そちらもこれと同じインフレ率か,もっと高いインフレ率と整合する.(…)

遺憾ではあるが,賃金-物価固着への唯一の解決策は,需要の抑制だ.

さて,ジェイソン・ファーマンという経済学者のことをぼくは好ましくも思ってるし尊敬もしている.でも,ひとつもごまかさずに正直に言うと,この話をぼくはあまり買ってない.ジェイソンによると,名目の賃金(ドル)の上昇は,インフレ率に「2.5パーセントポイント」加えているんだという.それはつまり,賃金以外のインフレ圧力がすっかり消え去っても,この 2.5パーセントポイントはしっかり残るだろうと言ってるわけだ.ところが,別の箇所では,インフレ予想によって賃金上昇が引き起こされているとも彼は言っている.そっちの話が事実なら,他のインフレ圧力が消え去ったときには労働者たちの賃上げ要求は穏やかになるはずだ.

総じて,マクロ経済学者たちはインフレ要因として賃金に関心を集中させすぎるきらいがあるとぼくは思ってる.賃金への関心の集中は,多くの経済モデルに組み込まれている.だから,今回のインフレが賃金以外のあれこれの価格に生じたとき,モデルつくりのベテランであるオリヴィエ・ブランシャールは驚いてる日本語記事).

ただ,これにそこまでびっくりする理由は,いまいちわからない.70年代にも,物価がどんどん先に上がっていく一方で賃金はそれに遅れていた.

なので,労働者の賃上げ要求を穏やかにしてもらうことが今回のインフレを解決する上でほんとに重要だとは,ぼくは思わない.それどころか,利上げでインフレを鎮められるんだったら,2010年代後半みたいに実質賃金が伸びていく状況に復帰できる.これは,いいことだ.賃金が今回の犯人だって思ってる人たちには,もうちょっとがんばってもらわないと,ぼくは説得されない.

とはいえ,だからってインフレ抑制がすむまで労働者が無傷ですむとはかぎらない.実質賃金が打撃を受けなかったとしても,雇用はほぼ確実に打撃を受ける.

失業率はどこまで上がらなきゃいけなくなる?

「インフレ率を 2% にまで下げるために,どれだけのアメリカ人が仕事を失わないといけないか」って問いは,すごく重要だ.経済学では,この陰気な数字を指す呼び名がある:「犠牲率」という呼び名だ.ふつう,インフレ率を下げるためにあきらめなきゃいけない経済の産出量(GDP 成長)で,犠牲率を表す.ただ,通常,成長と雇用にはかなり密接な相関があるので,これは基本的に〔雇用をどれくらい失わないといけないかってことと〕同じことだ.

犠牲率は,名付けるだけならかんたんだけれど,実際に推計しようとするとむずかしい.なぜかと言えば,ただデータを眺めればすむわけじゃないからだ――相関は因果関係じゃないからね.そこで,インフレ率を下げるコストを知りたければ,マクロ経済のなんらかのモデルが必要だ.で,マクロ経済モデルはあやしげな仮定を立ててることで悪名高い.そのため,モデルに採用する仮定の選び方しだいで,犠牲率の推計はきわめて大きくちがってくる.,FRB の経済学者 J.Benson Durham は,この点を2001年の論文で指摘しているし,犠牲率を推計しようという他のいろんな試みも,うまくいっていない

それに,おそらく,犠牲率が確固と定まっていないというのも事実だ――インフレ抑制を FRB がどう実行するかによって,犠牲率はちがってくる.90年代には,Lawrence Ball が OECD 諸国のインフレ抑制を検討して,より迅速にインフレが下がるほど失業率が上がらないのを見出している.つまり,さっさとインフレをやっつけてしまった方が,痛みは少なくてすむのかもしれない.でも,Mazumder (2014) の主張によれば,総合インフレ率じゃなくってコアインフレ率に注目すると,この結論は消えてしまうらしい.

また,インフレの原因によっても犠牲率はちがってくる.インフレの原因が供給ショックにある場合には,痛みはより大きくなるかもしれない.ただ,今回のインフレがはじまって2年近く経とうとしてるいまでもなお,供給ショックがどれくらいものをいうのかについて共通見解はできあがっていない.なるほどウクライナ戦争がはじまってロシアによる経済制裁〔禁輸措置〕が行われたときに,インフレ率もインフレ予想も上昇したように見えるとはいえ,インフレはそれよりずっと前にはじまっていた.それに,原油価格や運輸価格が下がってきていて,供給チェーンの混乱も落ち着いているのに,コアインフレ率はまだ下がっていない.だから,供給ショックがここでどれくらいの役回りを果たしているのかという問いには,まだまだ決着がついていない.

他にも大事な論点がある.それは,予想・期待の役割だ.予想がインフレのメカニズムでどういう働きをしているのかについて,先日,Ricardo Reis がいい連続ツイートをしていた.Ball, Leigh & Mishra (2022) が指摘するように,予想が適応的であればあるほど――つまり高インフレを経験して人々が高インフレに慣れればなれるほど――インフレ率をふたたび下げるための痛みは大きくなる.要点はこれだ――そういう世界では,FRB が人々にひどい経済を叩きつけて目を覚まさせ,「インフレはもはや高いままにとどまらない」と認識させる必要がある.

ただ,Reis の主張では,そこまで悲観的になるべきではないそうだ.なぜかって言うと,「明日も今日とそっっくり同じになる」とただ想定するのではなく,みんなは将来を見越すものだからだ.彼の論証には説得力がある.というのも,まだ景気後退が起きていないのに,インフレ予想は――調査による数字市場による数字も――下がってきてるからだ.これはいいニュースだよ.

ともあれ,ここでの要点はこれだ.「犠牲率はほんとに知りがたい.」 べつに意外な話でもない――マクロ経済論議に深く足を突っ込めば突っ込むほど,「ほんとのところはよくわからないけれど,とにかく政策意思決定は下さないといけない」がだいたいいつもお決まりの結論なんだってことがわかってくる.

じゃあ,いくつかの数字をもってこようか.FRB の予測では,計画通りに利上げした結果として,総合失業率は 4.4% に上がる(現在は 3.7%).「4.4%」って数字がどうやってはじき出されたのか,ぼくにはよくわからない――たぶん,あやしい仮定を大量に立てた内部のモデルを使ったんだろう.ともあれ,これはかなり大きな数字だ.これってつまり,約 150万人のアメリカ人が失業するってことだからね.もしも FRB が政策金利を2倍の 9% に上げなきゃいけなかったら,失業者はいっそう増えることになる――今日の数字に比べて,もしかして 300万人のアメリカ人が失業することになるかもしれない.

150万人は大きな数だし,300万人なんてすごく大きな数だ――「大不況」で失業したアメリカ人の 1/6 から 1/3 もの人たちが失業することになる.当然ながら,これを見て心配してる人たちは多い.そして,とりわけ心配してるのは進歩派の人たちだ:

ただ,ぼくの考えだと,進歩派の人たちは失業を心配しすぎてる一方でインフレについての心配は足りてない.政府がインフレの負担を和らげるのはすごくむずかしい――なんといっても,あれこれの価格が上がった分を埋め合わせられるようにみんなにお金を配ると,状況がいっそう悪化してしまう.だって,お金を配れば物価はいっそう上がるからね.少なくとも失業の負担を和らげるのは,それよりもかんたんだ.失業保険の給付期間延長をはじめとする各種のセーフティネット・プログラムを実施すればいい.だからって,失業は悪くないなんて言おうとしてるわけじゃないよ――雇用を失ってしまった分を政府が完全に埋め合わせられはしない.そうじゃなくて,インフレに比べて,失業という問題は少なくともマシにはできるって話だ.さらに,インフレ率が高いまま続いたりいっそう上昇したりすれば,民主党は脅かされるし,進歩的な政治プロジェクトも脅かされる(トランプの復帰によって).それに,ぼくらの国そのものの安定も脅かされる.

というわけで,たしかに150万人や300万人ものアメリカ人を失業させてしまうのはおぞましくって人の心がない所業のように聞こえるけれど,それを言うなら,自分たちの生活水準がどんどん下がっていく様を数億人のアメリカ人に見せつけるのだって同様だ.経済の仕組みのあれやこれやの事情で,政策担当者たちにはトレードオフが強いられる.そうしたトレードオフでは,なにかしらの人たちに打撃を与える結果が避けられない――これは,人生のかなしい事実ではある.でも,なくなってくれたらいいなと願ってもいられない.ぼくらにできる最善は,貧乏くじを引く人たちを助けるべく,そうした人たちを対象にした政策を用いることだ.

さて,FRB は悲観的になってる一方,彼らが思ってるほどの経済的打撃をともなわずにインフレを鎮められるかもしれない.いい方に転がればいいんだけど.

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