
アギオン,ホーウィット,モキイアは最大の謎に挑んだ
さてさて,今年もノーベル経済学賞について書く時期がやってきた.よかったら,2024年,2023年,2022年,2021年の記事も読んでみてね.〔日本語版: 2024年,2023年,2022年〕
「ノーベル経済学賞は『ホンモノの』ノーベル賞なのかどうかって飽き飽きする古い問いをのぞくと [n.1],基本的にこういう記事で語るべきことは3つある:
- 受賞した研究について
- その受賞が経済学業界について物語っていることについて
- その受賞がもっと広く世界の政治と政策について物語っていることについて
というわけで,まずは受賞した研究について短く語ろう.今年は,文化と経済成長についての功績でジョエル・モキイアが,技術革新のモデル構築でフィリップ・アギオンとピーター・ホーウィットが,それぞれ受賞した.今回の賞の要点についてうまくまとめてある文章は,以下を読むといい:
- ノーベル賞委員会みずからの解説
- アレックス・タバロックの記事(もっぱらアギオンとホーウィットの話)
- 両方の受賞者についてケヴィン・ブライアンが書いた記事
- モキイアについてアントン・ハウズが書いた記事
ぼく個人は,アギオンとホーウィットの研究の方がずっとなじみ深い.なので,こっちから話そう.彼ら2人に賞が贈られた主なアイディアは,競争がいかにしてイノベーションを推進するかのモデルだ.1992年に発表されている.
このモデルは,ようするにこう考えてる――よりよい技術に置き換えられるにつれて,既存技術は廃れていく.学術業界なら,それでなにも困らないかもしれない.でも,どうにか利益を上げようとがんばってる企業にいる人間にとっては,これは困るはずだ.自分の企業が大金を投じて大勢の研究者を雇い,すてきな新製品を開発したとしよう.ところが,1年後にもっとすぐれた製品に自社製品が追い抜かれてしまう.自社のすてきな新型「ミニコンピュータ」があっというまにパーソナルコンピュータの登場で時代遅れになったときに Digital Equipment Corporation が覚えた気持ちは,きっとそういうやつだ.ジョセフ・シュンペーターの「創造的破壊」の実例が,ここにある.
アギオンとホーウィットのモデルでは,この創造的破壊によって,企業は投資を後回しにする [n.2].これによって,自然と,技術革新のペースにブレーキがかかり,経済の成長速度が制限される.
2005年に,アギオンとホーウィットはこの理論に重要な更新を加えて発表した(このときの共著者はニック・ブルーム,リチャード・ブランデル,レイチェル・グリフィス).その新理論は,競争がイノベーションの速度に及ぼす影響を扱っている.市場の競争がとても激しければ,アギオン & ホーウィットの1992年版理論が優勢になって,イノベーションは比較的に低調になる.市場の競争が弱くても,それはそれでイノベーションは低調になる.なぜって,市場を独占している側は,わざわざイノベーションをするほど脅威を感じないからだ.でも,市場の競争がほどほどに強ければ,企業はたくさんイノベーションを起こす.その競争に勝ったところが,一時的な独占によって莫大な利益を手にするからだ.
なので,企業どうしが「互角」なときにイノベーションは最大化される.ちょうどいま,めちゃめちゃにお金のかかる AI 競争が展開されている.あれを見れば,この種の「互角」効果が働いているのがかんたんに見てとれる.
これは,ごく標準的なマクロ理論だ――このモデルでは,とても単純な経済を想像する.著者たちが考察したいアイディアを説明するのにちょうど十分な複雑さを備えた経済だ.そして,その理論から出てくる数理的な含意を検討する.実は,これはいろんなマクロ理論よりも少しだけ検証しやすい.というのも,純粋なマクロ理論じゃないからだ――このモデルの主な含意は,個別企業の振る舞い方に関するもので,これについて,いくらか因果的な証拠が得られる [n.3].Aghion et al. (2005) の「逆U字」を支持する因果的な証拠はいくらかある一方で,そういう証拠が見出されなかった研究もある.
それよりも考察しにくいのは,こういうモデルの応用法だ.リナ・カーンをはじめとする原題の反トラスト提唱者たちが見出しているように,「経済の競争量」とラベルのついたでっかいダイアルを回せば競争の多寡を調節できる,なんてことはない.いつの日か,それができるようになるかもしれないけれど,いまのところ,アギオンとホーウィットの考えたもっとも有名な理論は,大部分が記述的なものに留まっていて,〔実地に「こうすべき」という〕規範的なものになっていない.
余談だけど,アギオンはぼくのお気に入り経済学者の一人で,彼の研究ならけっこうよく知ってる(残念ながらホーウィットの方はそこまで知らない).で,実を言うと,上で紹介した研究は,ぼくが気に入ってるアギオン論文じゃなかったりする.そこで,ぼくが重要だと考えてる他の論文にもちょっと触れておこう.
アギオンは,ベンジャミン・ジョーンズとチャールズ・ジョーンズとの共著で出した2017年の論文で,AI が経済成長にどう影響するかについて考えるすぐれた方法を提供している――ChatGPT が登場する5年も前に書かれているのを思えば,実に先見の明がある論文だった.そのアイディアは,ようするにこういうものだ.いろんなボトルネックがあるせいで,AI にはまだまだ制約がかかっている.AI の手がけるものが増えれば増えるほど,そういうボトルネックがますます重大になる.楽観論者が予想しているほど AI は経済成長を爆上げしないとタイラー・コーエンが予測している理由が,ここにある.
また,ベルジョー,ルキアン,メリッツとの共著でアギオンが2018年に出した論文では,輸出がイノベーションに及ぼす影響を検討している.生産性向上の一手として輸出助成金を出すべきだとずっと主張している人間として,ぼくはたびたびこの論文に立ち返っている.その要点はこういうものだ――世界市場と競争する(そして勝利する)とき,トップ企業はいっそうイノベーションを起こしやすくなる一方で,そこまで力のない企業は創造的破壊効果によってイノベーションを起こしにくくなる.
アギオンは,ただ理論を考えるだけの人じゃない.重要な実証研究もやっている.Aghion et al. (2015) では,中国の産業政策が競争を強化することで生産性をたびたび向上させているのを見出している [n.4]――もちろん,ぼくがすごく興味を抱いている主題だ.また,ブランデルとヴァン・リーネンと共著で出した 2023年の論文では,規制がフランス企業に現にマイナスの影響を及ぼしていたのを見出している(ただ,そう聞いてみんなが予想するほど大きな影響じゃないかもしれない).
そして,たぶんいまの話題にいちばん関連しているのが,アギオン,アントナン,ビュネル,ジャラヴェルによる自動化と雇用の関係に関する文献レビューだ.この研究によれば,企業レベルでも産業分野レベルでも,自動化は現に雇用を増やしている.おそらく市場全体の規模を拡大するからだ.
本稿では,近年の文献を調査し,自動化が労働需要に及ぼす各種の影響に関する2つの対照的な見解を論じる.第一の見解によれば,自動化を進める企業は雇用を減らすと予測される.ただし,雇用破壊が誘発する均衡賃金の低下を利用した雇用創出が最終的にもたらされる場合もありうる.第二のアプローチでは,市場規模効果とビジネス奪取効果を重視する.自動化を進める企業は生産性を高める.これにより,〔他社と比べた〕同等な品質の製品の価格を下げられるようになり,自社製品への需要を高められる.その結果として規模が拡大し,それにともなって,自動化を進める企業による雇用は増加する.ただし,その際にビジネス奪取によって競合他社が犠牲になるかもしれない.フランスでの企業レベルのデータと,蓄積が進む複数の国々を対象にした研究文献の双方にもとづき,本研究ではこの第二の見解を支持する実証的な証拠を提示する:すなわち,自動化は企業レベルで労働需要を増やす影響を及ぼす.これはビジネス奪取効果で完全に相殺されないため,産業レベルでも労働需要への影響はプラスに留まる.
これは,自動化は雇用をつぶすと考えているダロン・アセモグルみたいな研究者たちの厳しい予測に真っ向から反している.この論文が書かれたのは生成 AI が登場する前のことで,この結果はこれから変わりうるけれど,とても心強い結果だ.
ともあれ,ぼくが気に入ってるアギオンの論文はこういうやつだ.今回のノーベル賞でこういう研究がもっと参照されてたらよかったのに,という気持ちもある.ただ,全体的に,ぼくは今回の賞を喜んでる.アギオンは,イノベーションの主題に関して活躍している指折りに優れた研究者だ――いまぼくらが暮らしてるこの奇妙で新しい急速な技術変化の時代を歩んでいく上で,重要な導きの声になってくれる.
さて,次はモキイアの話.モキイアの主要な研究,とくに著書『成長の文化』は,アギオンやホーウィットのものとは大きく異なっている.ようするに,産業革命にいたる科学進歩の歴史物語,らしい.ぼくは読んだことがない.経済成長を文化で説明する説にそもそも懐疑的だからというのが理由の大半なんだけど,そろそろ読むべきなのかもね.
中国でも他のどこでもなく近代初期ヨーロッパで産業革命が起きた理由にモキイアが示した説明は,全面的に文化的なものではない.彼の仮説の一部は,技術的なものだ――モキイアの考えでは,印刷機のおかげで科学者・エンジニアたちはもっと容易にアイディアを交換し,お互いにイノベーションを積み上げやすくなった.実は,これはいくらか検証できる――たとえば,Dittmar (2011) では,印刷機の広まりが,その後の経済成長を予測するのを示している.
また,モキイアは政治的な要因も参照している――とくに,ヨーロッパの分裂を引いている.分裂によって,科学者・発明家たちは自分を支援してくれる国を選べるようになった.自然に生じた地理要因を利用して,のちのちにどこで経済成長が起こるかを予測すれば,これも検証できるかもしれない(地理要因によって地域が複数の国々に分裂しがちだ).
ただ,モキイアのいちばん有名なアイディア,彼が自著のタイトルにつけたアイディアは,これだ――「ヨーロッパのトップ科学者・思想家たちには特殊な文化があり,これによって経済成長に弾みがついた.」 ようするにモキイアはこう主張している.ヨーロッパの科学者・思想家たちは科学の進歩という思想を信じていた――科学とテクノロジーは基本的に人類にとってよいものであり,時間が経つにつれておのずと積み上がり改善が進むのだと,彼らは信じていた.この思想がヨーロッパの離陸のカギだったし,のちのちには人類が貧困を逃れられるようになったカギでもあった,とモキイアは考える.
この種の研究がノーベル賞を取るなんて,ぼくとしてはちょっとばかりゲンナリする.べつに,アイディアに異論があるからじゃない――というか,このアイディアはけっこう正しそうに思うし,モキイアをぜんぜん読んでないとはいえ,ぼくも現代世界に似たような思想が必要だと長年ずっと書き続けている.
- 「テクノ楽観主義に関する考察」(“Thoughts on techno-optimism“)
- 「もっと浅薄な未来に向かって」(“Toward a shallower future“)
- “The elemental foe“
モキイアのアイディアの概要は大いに気に入ってるし,読んでみればすごく理にかなってると思うんじゃないかと予想もしてる.ただ,ノーベル経済学賞がたんにもっともらしそうなアイディアを授与対象にするべきとは思わない――ぼく個人がそういうアイディアに基づいて政策をつくるとしてもだ.
かつて数年間は,ノーベル経済学賞は実証経済学や応用理論を重んじる方向に向かっていた――ようするに,経済学をもっと科学らしくした経済学者たちを称える方に傾いていた.歴史の物語と検証不可能な文化理論に授与するのは,それと真逆に向かうことになる.
というか,去年のノーベル経済学賞記事でも,文章の大半を割いてアセモグルとロビンソンが制度と開発の理論でそれと似たようなことをしているのに不満を書き連ねてたりする.
でも,少なくとも,アセモグルとロビンソンは自説を実証的に検証しようと試みてはいたわけだよ.たしかに,その検証はあんまり信頼できるものじゃない.でも,少なくとも,なんらかの実証的で検証可能な研究がなされていると考えられるところはあった.モキイアは,自説で語られている文化的な各種の要素の一部を計量化しようと試みたけれど,データに照らして自説を検証しようと試みてはいない.だからって悪いわけでも無価値なわけでもない.ただ,ちっとも科学的じゃない.
とはいえ,ノーベル経済学賞の委員たちの頭のなかでは,「経済学業界への影響」は筆頭項目じゃなかったのかもしれない.かわりに,彼らは西洋文化で起きている反成長への転回を考えていたのかもしれない.トランプのもとで,アメリカは反ワクチンの狂気を歓迎し電気技術の威力と有望さを無視しつつ,ふつうのアメリカ人は AI に怯えている.一方,ヨーロッパの多くの地域では,反成長イデオロギーを歓迎して空調機を忌避し,情報テクノロジーに過剰な規制をしいている.
つまり,西洋は自らの隆盛の原動力だった秘伝のソースを失いつつあるのかもしれない.ぼくらには,モキイアがいう成長の文化がぜひとも必要だ――ふつうの人たちを助けるイノベーションの威力への信頼と,進歩は累積していくという確信が欠かせない.ノーベル経済学賞の委員会は,西洋文明にこんなメッセージを送っているのかもしれない.「我々が陥ってしまった高水準均衡の罠から脱出しよう」
なるほど,それなら重要で時宜を得たメッセージだ.
原註
[n.1] 本物だよ.
[n.2] 〔投資を〕抑制する要因は実は2つあって,これはその片方に過ぎない.もう一つの抑制要因は,研究のペースがほんとに速くて,ただ競争についていくためだけにいずれ研究者たちに法外な報酬を払わなくてはいけなくなり,そのせいで将来の利益が減少すると企業が知っている場合だ.そんなアホなと思うかもしれないけれど,いま Meta が AI 研究者たちに 2億5000万ドルも払っているのを思い起こせば合点がいくんじゃないかな.
[n.3] ひとつの経済全体を扱っているときにある影響の原因がなんなのか探り当てるのはとても難しい.でも,多くのいろんな企業を調べられるなら,ずっとやりやすくなる.
[n.4] 競争とイノベーションの「逆U字」理論を受け入れると,この結果からこんな含意が出てくる――「産業政策以前に,中国のいろんな産業が国有企業その他の競争力に乏しい準独占企業が大多数を占めていた.」 だとすると,産業政策は反トラストのすぐれたツールってことかもしれないね!
[Noah Smith, “A Nobel for thinking about long-term growth,” Noahpinion, October 14, 2025]