アンドレイ・シュライファー(Andrei Shleifer)と顔を合わせるたびに、きまって尋ねられることがある。「革命の進捗具合はどんな感じ?」って聞かれるのが恒例になっているのだ。このブログでも述べさせてもらう機会のある私の持論というのが彼にとっては「異端」に見えるらしくて、当てこすりをしているわけだ。
ところで、そんなシュライファーが「反革命」の旗を振っているようだ。どういうことかというと、(1980年から2005年までの)過去四半世紀を「ミルトン・フリードマンの時代」と謳(うた)っている(褒め称えている)のだ。シュライファーのこちらの論文(pdf)によると、中国とかインドとかあれやこれやの国が急速な経済成長を遂げることができたのは、市場に重きが置かれるようになったおかげであり、経済政策に関するフリードマン流の立場が勝利を収めたおかげだというのだ。
過去四半世紀は、人類が目覚ましい進歩を遂げた時代だった。世界全体の1人当たり所得(インフレ調整後)は、1980年から2005年までの間に5400ドルから8500ドルにまで増えている。世界全体で就学年数も平均寿命も急速に伸びているし、幼児死亡率も貧困率も同じくらい急速に下落している。 1980年時点と比べると、民主的な国の数もずっと増えている。
過去四半世紀は、自由市場政策(自由主義的な経済政策)――民営化、自由貿易(貿易の自由化)、健全な財政運営、税率の引き下げ etc――が豊かな国でも貧しい国でも広く受け入れられた時代でもあった。過去四半世紀の幕を開いた三つの重大な出来事がある。1979年に鄧小平が中国で市場改革に乗り出し、そのおかげで過去四半世紀の間に中国で暮らす何億もの民が貧困から抜け出すことになった。同じく1979年にイギリスの首相に就任したマーガレット・サッチャーが抜本的な改革に乗り出し、そのおかげでイギリス経済は長らく成長を続けることになった。そして、1980年にアメリカ合衆国の大統領に就任したロナルド・レーガンが同じく自由主義的な経済政策を推し進めた。三名の指導者のいずれもがミルトン・フリードマンの著作から感化を受けたことを公言している。そのことを踏まえると、過去四半世紀を「ミルトン・フリードマンの時代」と名付けても差し支えないだろう。
シュライファーの件(くだん)の論文は、過去四半世紀について異なる評価を下している二冊の書評論文というかたちをとっている。書評の対象となっているうちの一冊にはスタンレー・フィッシャー(Stanley Fischer)らが名を連ねており、もう一冊にはジョセフ・スティグリッツ(Joseph Stiglitz)らが名を連ねている。シュライファーがどちらに好意的で、どちらに厳しくあたっているかは火を見るよりも明らかだろう。
常々思っているのだが、過去四半世紀の間に起きた良好な結果のどれもこれもを市場志向の政策のおかげと見なすのは、人の目を開かせるよりも曇らせてしまうんじゃなかろうか。二点ほど突っ込ませてもらうと、中国とかインドとかいう国の過去四半世紀を振り返ると汚点があまりに多いので、中国とかインドとかを経済的自由主義のお手本として扱うと忽(たちま)ち厄介な事態に追いやられてしまうだろう。フリードマン流の立場からすると、中国とかインドとかを反面教師として、「汚職が蔓延(まんえん)してるし、国家による統制があちこちに及んでいるし、国有企業もまだまだ多いし云々かんぬん」とかいうふうに、中国とかインドとかのダメなところも容易(たやす)く説明できてしまえるだろうからだ。
二つ目の突っ込みに移ると、市場に重きを置く方向に舵を切った国のすべてが中国みたいに経済成長という恩恵に浴したわけじゃなく、残念な結果に終わったところもある。特にラテンアメリカの国々なんかがそうだ。シュライファーもそのことは承知していて、ラテンアメリカの国々の調子がイマイチだったのは過重な税負担と煩雑な規制のせいだという説明を持ち出している。そんな感じで後出しで証拠を出していいのなら、反証されるおそれなんて一切なくなってしまう(常に間違わずにいられる)んじゃなかろうか。
シュライファーの言い分に対する格好の解毒剤の一つとして、カリフォルニア大学バークレー校に籍を置く経済学者のプラナブ・バーダン(Pranab Bardhan)がボストン・レビューに寄稿しているこちらの記事を紹介しておくとしよう。中国やインドの経済面での躍進にまつわる神話が解体されている。
〔原文:“Shleifer the (counter-)revolutionary”(Dani Rodrik’s weblog, February 23, 2008)〕