マイルズ・キンボール 「誰もが収入の範囲内で暮らすべきなんでしょうか?」(2012年8月8日)

カントの定言命法に従うなら、誰もが収入の範囲内で暮らすべき?
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exjunior から次のような質問が寄せられた。

カントの定言命法は、倫理的に振る舞うための優れた指針であるというのがかねてからの持論なんですが、ここでちょっとした質問があります。収入の範囲内で暮らすべき(収入の範囲内に支出を抑えるべき)なのでしょうか? 収入の範囲内で暮らすべき(収入の範囲内で生活せよ)というのが普遍的な命令としての定言命法であると仮にするなら、誰もがそうすべきということになるかと思いますが、みんなが常に収入の範囲内で暮らすようになったらどうなってしまうんでしょうか? 現代のマクロ経済学に関する私なりの理解によると、みんなが常に収入の範囲内で暮らす(収入の範囲内に支出を抑える)ようになったら、不況が起きてしまうと思うんです。でも、支出を収入の範囲内に収めるというのは、明らかに結構なことだと思うんです。カントの間違いが経済学によって露(あらわ)にされてしまったんでしょうか?

私なりの答え:「支出を収入の範囲内に収めるというのは、明らかに結構なことだと思うんです」という言い分には同意できない。老後(定年後)に備えて貯蓄するために、まだ若くて働き盛りの時に支出を収入の範囲内に抑えるのは結構なことだ。しかしながら、老後に収入以上に支出するのは、まったくもって適切なことだ。若くて働き盛りの人たちが支出を収入の範囲内に収め(そうすべき)、定年退職して仕事を辞めた高齢者たちが収入以上に支出する(そうすべき)。景気循環を脇に置いて長い目で見ると、その結果として全体的にうまくつり合いがとれるのだ。


〔原文:“Should Everyone Spend Less than He or She Earns?”(Confessions of a Supply-Side Liberal, August 8, 2012)〕

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