●Dani Rodrik, “Soccer, culture, and violence”(Dani Rodrik’s weblog, April 3, 2008)
今回もまたもや「サッカーの経済学」ネタを取り上げるが、「その話題はもうウンザリだ!」と感じている読者がいたらこの先は読まなくてもいい。ただし、興味をそそる話だとは思う。
エドワード・ミゲル(Edward Miguel)が「おっ」と思うような事実を探り当てた実に興味深い論文(pdf)――セバスチャン・サイエ(Sebastián M. Saiegh)&シャンカー・サチアナ(Shanker Satyanath)との共著論文――を送ってくれた。ヨーロッパのプロサッカーリーグでプレーしている選手に限った話になるが、内戦を経験したことのある国出身の選手は、そうじゃない選手に比べて、試合中に暴力的なプレーをしがちな傾向にある――イエローカード(警告)をもらいがち―― [1] 訳注;内戦の年数が長い国出身の選手ほど、イエローカードをもらいがちというのだ。そのことを図示しているのが以下のグラフだ。
(右上にポツンと孤立している二つの国は、イスラエルとコロンビア)
ミゲルらによると、諸々の変数――その国の所得水準だとか、その国がどの大陸に位置しているかだとか、選手のポジション(ディフェンダーか、ミッドフィルダーか)だとか、選手の年齢だとか――にコントロールを加えても、結果に変わりはないとのことだ。
以上の結果は、何を意味しているか? 「文化は、 個々人の暴力性や攻撃性を規定する役割を果たしている」というのがミゲルらの解釈だ。暴力的な文化が内戦を引き起こしているのか、はたまた内戦が暴力的な文化を育んでいるのかはわからないが、一人ひとりの人間は生まれ育った環境(「文化」)に特有な行動特性――今回のケースでは、暴力性や攻撃性――を引きずるものであり、その束縛から自由になるまでにはしばらく時間がかかるというわけだ。
私なりにこれはという別の説明を持ち合わせているわけではないが、「文化」を持ち出す説明には冷めた目を向けてしまうのが偽(いつわ)らざるところだ。 (ニューヨークの)マンハッタンでタクシーに乗った経験があるようならわかってもらえると思うが、タクシーを運転しているドライバーがロシア出身かパキスタン出身か――あるいは、イスラエル出身か韓国出身か――を見極めるのはかなり難しい。国によって「運転文化」が大きく違っていても、ロシア出身のドライバーもパキスタン出身のドライバーも――あるいは、イスラエル出身のドライバーも韓国出身のドライバーも――マンハッタンでは「ニューヨークのタクシードライバー」らしく振る舞っている――運転の仕方にそれほど違いはない――のだ。
(追記)ミゲル本人から以下のようなコメントが寄せられた。
コメント欄を眺めると、最大の異議として「『外れ値』(イスラエルとコロンビア)を除去したら、(「内戦の年数」と「イエローカードの数」との間の)相関関係は成り立たなくなるんじゃないか?」との声が寄せられているようです。貴殿がエントリーに掲載したグラフでは「生の」データがプロットされていますが、我々の回帰分析では諸々の変数にコントロールを加えています。そうするのが「正しい」やり方ですが、諸々の変数にコントロールを加えると相関はさらに強まるようです。諸々の変数にコントロールを加えた修正版のグラフも論文に追加しましたので、興味があるようならご確認ください。
イスラエルとコロンビアを除去した上で、諸々の変数にコントロールを加えた修正版のグラフが以下だ。
References
↑1 | 訳注;内戦の年数が長い国出身の選手ほど、イエローカードをもらいがち |
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