●Alex Tabarrok, “Soviet Growth & American Textbooks”(Marginal Revolution, January 4, 2010)
ポール・サミュエルソン(Paul Samuelson)の『Economics』は、経済学入門のテキストとして著名だが、1961年に出版された版に次のように記されている。ソビエト連邦のGNP(国民総生産)の規模は、今のところはアメリカ経済のGNPの半分程度に過ぎないが、ソビエトの方が経済成長率が高い。それゆえ、早くて1984年、遅くても1997年までには、ソビエトのGNPがアメリカのGNPを追い抜くと予測してもあながち的外れではないだろう。ともあれ、ソビエトのGNPがアメリカのGNPに肉迫するのは間違いなさそうだ、というのである。この予測は外れたわけだが、さらに不味い(まずい)ことに、サミュエルソンは、その後の版でも同様の予測を何度も何度も繰り返したのである。とは言え、ソビエトのGNPがアメリカのGNPを追い抜く年が先に延ばされるという修正が加えられはした。例えば、1980年に出版された版では、ソビエトのGNPがアメリカのGNPを追い抜くのは2002年から2012年の間だろうと予測されているのである。その後の版でサミュエルソンが度重(たびかさ)なる予測の誤りを率直に認めたかというと、そんなことは一切ない。ソビエトを襲った「悪天候」について言及されているくらいなのだ。
この失態についてはリバタリアンの間で語り草になっていたが、デイヴィッド・レヴィ(David Levy)&サンドラ・ピアート(Sandra Peart)の共著論文――“Soviet Growth & American Textbooks”――が明かしているように、このエピソードは(私も含めた)多くの人々がこれまで考えていたよりもずっと興味深くて重要な面を備えているようだ。
まず第一に、マッコネル(Campbell R. McConnell)の『Economics』――これまた売れに売れた経済学入門テキストの一つで、売れ行きは今でも好調――での予測は、さらに大きく外れているらしい。マッコネルは、サミュエルソンと同じように、1963年時点におけるソビエトのGNPの規模がアメリカのGNPの半分程度と推計しているが、ソビエトはアメリカよりも対GNP比でずっと多くの投資を行っているので、ソビエトのGNPはアメリカのGNPよりも「2~3倍」のペースで成長するだろうと予測しているのだ。ソビエトのGNPがアメリカのGNPよりも速いペースで成長するという予測が少なくとも第10版(!)まで繰り返されているというのだ。そうだというのに、1990年に出版された第11版に目をやると、ソビエトのGNPの規模が相変わらずアメリカのGNPの半分程度と推計されているというのだ。
「リベラル」なイデオロギーに目を曇らされた(サミュエルソンに続く)第2の例なのだろうか? 「イエス」と答えたくなるところだが、レヴィ&ピアートの二人は変化球を投げつける。彼らの共著論文によると、「極左」とまで形容できるものも含めたリベラル色の濃い当時の他のテキスト――例えば、ターシス(Lorie Tarshis)やハイルブローナー(Robert Heilbroner)が執筆しているテキスト――では、サミュエルソンやマッコネルのような過ちが犯されていないというのだ。
ターシスやハイルブローナーは、サミュエルソンやマッコネルよりもリベラルだと言えるが、ソビエト経済についていささか玉虫色で記述的な説明を加える程度にとどめていて、断定的な結論を避けているという。どうしてだろうか? レヴィ&ピアートの二人によると、ターシスらが過ちを犯さずに済んだのは、ソビエト経済に疑いの目を持っていたからではなく、「単純な経済理論」に疑いの目を持っていたからではないかという。国ごとに異なる制度の細部を無視した「単純な経済理論」によっては、現実の経済をうまく描写することはできないという立場に与(くみ)していたからではないかというのだ。
ソビエト経済の行方を予測するために、サミュエルソンもマッコネルも同じ分析ツールにお伺(うかが)いを立てている。「生産可能性フロンティア」(production possibilities frontier;PPF)がそれだ。いかなる社会であれ「ガン(銃)を生産するか、バターを生産するか」 [1] 訳注;ガン=軍需品、バター=民生品 のトレードオフに直面しているという考えを図示したのが「生産可能性フロンティア」だ。サミュエルソンは、1948年版の『Economics』の中で次のように書いている。
戦前のロシアでは失業が存在していなかったので、ソビエト経済は戦争に突入した時点で既に生産可能性曲線上に位置していた。軍需品の生産を増やすには民生品の生産を犠牲にせざるを得ず、そのせいで生活必需品が不足することになったのだ。
ここで注意してもらいたいのは、どんな国であれ、どんな経済システムであれ、効率的と想定されていることだ――「ソビエト経済は・・・(略)・・・生産可能性曲線上に位置していた」――。国(あるいは経済システム)によって生産可能性曲線上のどの点が選ばれるかだけが違うと想定されているのだ。そのように想定されているからこそ、ソビエトのGNPがアメリカのGNPよりも速いペースで成長するという予測が導かれるのだ。戦争が終わって平時になると、「投資」(将来財)と「消費」(現在財)とのトレードオフが喫緊の課題になる。ソビエトはアメリカよりも対GNP比で多くの投資を行っている(「消費」を犠牲にして「投資」を選んでいる)ので、ソビエトのGNPはアメリカのGNPよりも速いペースで成長するだろう、という「あの予測」が導かれるのだ。さらには、ケインズ主義の影響も加わって、失業が存在していないソビエトは、アメリカよりも効率的 [2] 訳注;ソビエトは生産可能性曲線上に位置している一方で、アメリカは生産可能性フロンティアの内部に位置している、という意味。 という結論までもが下されたのだ。
サミュエルソンとマッコネルが過ちを犯したのは、なぜなのか? イデオロギーによって目を曇らされたからという可能性も否定できないが、分析を加えるために選んだツールによって目を曇らされたからである可能性の方が高そうだというのが、レヴィ&ピアートの二人が下している結論である。彼らの言葉を引用しておこう。
誰もが、選んだモデルによって制約されざるを得ない。現象のある側面について何らかの洞察を得るためには、その他の側面について盲目にならざるを得ないのだ。モデルの使用から得られる便益が、モデルの使用に伴うコストを上回るようにするためには、複数のモデルを競い合わせる必要があるのかもしれない。
(今回の金融危機にもそっくりそのまま当てはまりそうな指摘だ)。
(追記)ブライアン・カプラン(Bryan Caplan)がコメントを加えている。カプランも指摘しているように、真に優れた経済学者であれば、「生産可能性フロンティア」の助けを借りて正しい結論に至ることができるのだ。
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