ガラパゴスとは言うまでもなくエクアドル沖の諸島のことで、島名はそこに生息する最も有名な巨大なカメに由来している。ガラパゴス諸島はその隔絶性と、野生生物がその地域環境に適応して進化したことで有名だ。でも、日本だと別の意味がある。エンジニアで「オープンソース・ガイ」佐渡秀治は、2004年に冗談で日本を「ガラパゴス」と呼び始めた。もっとも、この言葉が一般で使われるようになったのは2007年になってからだ。その年、真に変革的な商品が発売され、日本は消費者向けテクノロジーの王座から引きずり降ろされた。iPhoneと呼ばれた商品だ。iPhoneの成功を受けて、専門家たちは日本が「ガラパゴス症候群」に苦しんでいると指摘するようになった。日本はあまりに内向きになり、国内市場の特殊性に焦点を当てすぎていて、グローバルな競争で遅れをとっている、と。
それまで支配的だった日本像は、西洋よりも少し早く未来に到達としたというものだった。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年)のような本や、未来のロサンゼルスを東京風に描いた『ブレードランナー』(1982)のような映画は、来たるべき世紀は日本のものになるだろうという風潮を決定付けた。このイメージは、1990年にバブル経済が崩壊し、数十年にわたる金銭的・心理的な不況が到来しても揺らがなかった。2001年になっても、SF作家のウィリアム・ギブスンは「日本は世界の想像力における未来設定だ(…)日本人は、僕たちから見れば、タイムラインで数段階先に住んでいるように見える」と述べることができている。
iPhoneは全てを変えた。それから数年、もっとシニカルな日本像が登場した。それを完璧に捉えたジョークがある。日本は1980年からずっと2000年を生きている…。そして今も、2000年を生き続けている。SNS、生成AI、科学論文、個人資産、果ては(なんと)ダンスミュージックに至るまで、あらゆる分野で日本は遅れを取っているとの報告が山積みになっている。「日本はかつて技術大国だった」とCNNは8月に嘆いている。「なぜファックスと印鑑から抜け出せないのか?」
アメリカやドイツのようなハイテク国家もまだファックスを使っている事実はひとまず置いておこう。まず、日本は時代の先を行っているという話があった。次に、日の出ずる国は沈んだという話になった。今、さらに別の見方がSNSで注目を集めている。「日本は本当に2050年を生きているよ」というミームだ。
一見すると、歴史の繰り返しのように聞こえるかもしれない。でも、そうしたミームが語られている動画(そう、それらは全て動画だ)で実際に話題になっているのは日常の消費者向け商品やサービスだ。コンビニの調味料のパック、両側から開けられる冷蔵庫、便座が自動で起き上がるトイレ、自動レジ、回転する電車の座席、それから…ええと、1人分ヨーグルトなんかだ。それらのほとんどが海外でも何らかの形で存在することは置いておこう。あるいは、それらが、未来というより、利便性の現れであることも置いておこう。ヨーグルトの動画はTikTokで260万回再生された。
こうしたミームが興味深いのは、それが本当か嘘かということより、それを共有している人たちの心理を映し出していることにある。未来的ユートピアでも、失敗した帝国でもなく、単に住みやすい場所としての日本像だ。海外で若者がいかに厳しい現実に直面していることの現れと解釈できるかもしれない。かつては、日本の没落に対する溜飲を下げるようなシャーデンフロイデ(他人の不幸を喜ぶ感情)があった。でも今では、新しい世代が日本に対して、切実なまでの安らぎの憧れを投影している。かつて西洋は、日本の技術的優位性を恐れていた。それは、なんら不思議ではないかもしれない。今回のミームの中心にあるのは、消費者の生活を便利にする製品を作っている企業たちだ。アテンション・エコノミー(関心喚起型の経済)の中で育ち、消費者である企業に、商品として扱われてきた西洋の若者たちにとって、日本は夢のようなファンタジーに感じるのだろう。
西洋の若者にとって、日本は過去でも未来でもない。日本は、非常に地に足が着いた場所、つまり物事がめちゃくちゃになっていない場所なのだ。一種のガラパゴスとしての日本像だが、軽蔑的な意味はそこにはまったくない。むしろ、最高の賛辞であり、どこか切実な自問自答でもある。なぜ私たちの国にはこんな素敵なものがないんだろうか? と。
iPhoneが日本に登場した時のことを僕はよく覚えている。ちょうど日本にいたからだ。2007年は興味深い瞬間だった。匿名掲示板「2ちゃんねる」が若者の間でネットのたまり場として定着し、「ネット右翼」や「ネットいじめ」のような新しいトレンドを生み出していた。当時無名だった新海誠という名のアニメ監督が『秒速5センチメートル』という画期的な映画を公開したのもちょうどこの時だ。そして、当時防衛大臣だった石破茂は、もしゴジラが日本を攻撃したら自衛隊が反撃するのは法的に許容されると発言し、話題を呼んだ
2007年1月にアメリカでiPhoneが発売されると、消費者は熱狂した。それからソフトバンクは6ヶ月月をかけて、日本で6月に発売できるように準備を進めた。生粋のAppleユーザーだった(家にあったApple II+とIIGSと育って、大学にはMacintosh Portableを持っていった)僕は、ワクワクしながらiPhoneの到来を待っていた。ちょうど同時期、ソニーも新製品を発表した。ラジカセ、ウォークマン、トリニトロン、プレイステーション、アイボなど数々の革新的な製品を生み出した企業が、今度はどんな製品を市場に出すのだろう? と。

その名は「Roly」。ソニーはRollyをロボットと称していたが、実際には、保存した音楽に合わせて「踊ったり」、携帯電話で遠隔操作できる卵型のMP3プレイヤーだった。秋葉原の店で、Rollyが台の上で気だるそうに転がり、宇多田ヒカルや嵐の楽曲に合わせて、LEDを点滅させ、耳のような翼をバタバタさせるのを僕は見た。確かに可愛らしくはあった。でも、来たるべきiPhoneを前にして、完全で完璧なまでに的外れに思えた。カート・ヴォネガットの小説『チャンピオンたちの朝食』を想起した。地球に降り立った宇宙人が脅威的な技術を持っているのに、コミュニケーション手段が「おなら」と「タップダンス」しかないために誰にも相手にされない、という話だ。Rollyと、ウォークマンやプレイステーションとの落差は鮮烈で、少し狼狽するほどだった。革命が間近に迫っているのに、これがソニーにできる精一杯なのか? と。これこそが、噂に聞いていた「ガラパゴス症候群」なのか、と僕は思った。
長い間、コミュニケーション・テクノロジーに関しては、日本は西洋よりも本当に「タイムラインで数段進んでいた」。日本は、アテンションエコノミーの構成要素であるデジタルによる強制依存循環をビデオゲームで初めて磨き上げた場所だ。携帯メールが若者の現象となった最初の社会だった。絵文字が発明された場所でもある。1999年、モバイルインターネットサービス「iモード」と2ちゃんねるが登場し、国民全体の急速なネット化が、国民の会話にどんな影響を与えるかを最初に経験した国でもある。折りたたみ携帯電話だったかもしれないが、西洋よりも10年先んじて、日本人はポケットの中のインターネットというライフスタイルを体験していたのだ。
なので、スマートフォンの発明に完全に出遅れた日本を見るのは、失望というより、なんらかの裏切りに感じられた。そして、ソニーは本当にあと一歩のところに来ていたのだ。ソニーは2002年にスマートフォンの原型を発売していた。2006年の日本でベストセラーになっていた携帯電話は、MP3プレイヤーと携帯電話を融合させた、ソニー・エリクソンの「ウォークマンフォン」だった。ソニーは、レコード会社も所有していた! それから、2007年にiPhoneが登場し、恐竜を絶命させた隕石のように、日本の携帯電話市場全体を壊滅させた。
これは誇張じゃない。3年経過した2009年、Appleは日本の携帯電話市場の72%のシェアを獲得していた。翌年、90%まで上昇した。日本人は、かつて市場を支配していた特注の国産モデルを「ガラパゴス携帯」、略して「ガラケー」と呼び始めた。
でも、後知恵となるが、iPhoneの到来は、日本にとって当初考えられていたほど壊滅的なものではなかった。もし、他の製品だったなら、そうだったかもしれない。でも、iPhoneは、アメリカ企業によって発明された製品の中で、唯一かつ最も日本的なデジタルガジェットだった。「ジョブズはIBMにはなりたくなかった」と、1983年から1992年までAppleのCEOを務めたジョン・スカリーは回想している。「彼はマイクロソフトになりたくなかった。ソニーになりたかったんだ」。ジョブズはソニーの家電製品を崇拝していたので、当初iMacをウォークマンにちなんでマックマンと名付けようとしたが、説得されて別の名前にしている。
iPhoneによる世界の席巻は、ジョブズやApple、そしてシリコンバレーの勝利だった。でもそれはまた、日本的な感性、美学、ライフスタイルの静かな勝利でもあった。iPhoneによって、世界中が、モバイルゲーム、メール、絵文字、自撮りを生み出した先駆者である1990年代の渋谷の女子高生のような生活を当たり前のように送るようになった。iPhoneはアメリカ製だ。でも、それがもたらした新しいライフスタイルは、日本人がもう10年前から実践していたものだった。
iPhoneが日本の時代に終止符を打ち、「世界の工場である日本」という表現にトドメを刺したという意味で、批評家たちは正しかった。でもそれが、グローバル・インフルエンサーとしての日本の始まりでもあったことを彼らは見落としていた。
日本がグローバルなトレンドに無頓着であるという点で、日本が一種のガラパゴスであるということに僕は同意する。でも、これが弱点だということには同意しない。なぜなら、地球上で愛されている日本のもののほとんど全てが、そもそも日本人によって、日本人のために作られたものだからだ。
振り返ってみると、これは常にそうだった。19世紀に世界を驚かせた浮世絵。80年代の必需品だったウォークマンやファミコン。2000年前後に世界を席巻したポケモンブーム。2010年代の片付けの魔法。2020年代に次々と生み出されるアニメの大ヒット作。これらは、僕たち西洋人の心に響いたので、僕たちのために作られたと思い込んだ。でも、そうじゃない。
数カ月前に書いた〔日本語版はここ〕ように、日本のクリエイターたちは伝統的に海外の消費者をほとんど気にしていない。ウォークマンの開発者だった大曽根幸三は、単に作れるかどうか試すために試作機を作った、と僕に話してくれた。ソニーは当初、ウォークマンにあまり期待していなかったので、最初の生産ロットはわずか3万台だった。宮崎駿は、海外での自作の人気について「困惑している」と述べている。マリオの産みの親である宮本茂は、任天堂のほとんどの社員が、当初ポケモンは日本でしか発売されないだろうと想定していた、とインタビューで述べている。
とある大手漫画雑誌の編集者は簡潔に僕にこう言った。「海外の読者を気にする必要はないと思います。海外の読者を無視すべきだという意味じゃないんです。海外読者向けに特化した何かを創ろうとしても上手くいかない、という意味です。グローバルで成功する前に、日本で成功しないといけないんです」。

これで思い出すのが、2014年に僕のアイドルの1人――『機動戦士ガンダム』の生みの親、富野由悠季監督――に会ったときのことだ。ある国際共同制作の記者会見の場だったが、結局その企画は実現しなかった。会見後、僕は富野監督にクールジャパン政策について尋ねた。
大きっらい。〔クールに〕なれるわけないじゃないの。
これは一般的に言ってもそうだけど、官僚がクリエイティビティの部分に口を出した瞬間に、クリエイティビティはなくなるんだもん。だから、だいたいさ、アニメはクールかよ。
(中略)
〔日本のコンテンツには〕ジャパンテイストっていうローカルなテイストがあるわけ。それはなにも、ジャパン・テリトリーだけじゃなくて、世界中のローカルがみんなもってる個性でしょ。
その個性を持っているということは、そのカルチャーなり、地域みたいなものの存在価値があるということになるわけだから、それはずーっと売れるものですよ。
それをむしろ、今までなんていうのか、売れるもんだと思ってなかった。それから、そういうことを宣伝することが、たとえば恥ずかしいと思っている日本人がいるわけ。恥ずかしくないんだよ。きちんとやっていけば、実をいうと他の文化の人もわかるんだよ、という売り方を日本人は知らなかった。
今、日本人はこれに気づき始めている。アニメの輸出は現在、半導体や鉄鋼の輸出と同規模になっている。海外市場からの収益は、2023年に国内市場の収益を上回った。コンテンツ産業は急速に成長していて、これまで漫画やアニメ、ゲームに興味を示さなかった政治家やベンチャーキャピタリストまで参入している。これはチャンスにもなるけど、プレッシャーでもある。漫画やアニメがGDPに貢献し始めると、政治が介入してくる。自民党は、2020年代終わりまでにコンテンツ産業の規模を3倍にしたいと表明し、プライベート・エクイティ企業はもう投資を始めている。
でも富野監督が言うように、本当のクールさは買えるものではない。獲得するものだ。これ〔買えるものじゃなくて、獲得するものこそ〕が、日本のポップカルチャーの勢いにとっての両刃の剣となっている。日本は、ソフトパワー超大国になろうとしてなったわけではない。
文化製品がオーセンティシティ(ホンモノ)だったことで、自然発生的にそうなったんだ。そして、そのオーセンティシティは、日本のクリエーターたちが、当局からの干渉や支援をほとんど受けずに、ローカルな消費者のために、自前で作ってきたことの結果だ。
日本のファンタジー市場は、過密で、競争が激しい。それらは適者生存――そして大抵は最も奇妙なもの、つまり企業の役員室から生まれそうにないものだ。『鬼滅の刃』が成功したのは、政府の支援や、ベンチャーキャピタルのおかげではない。成功したのは、集英社が長年にわたって、才能ある個人クリエイターに連載させ、読者が多くのライバル作品からお気に入りを選べるシステムを構築してきたからだ。集英社はこのシステムを使って、何十作品もの世界的なヒット作を生み出してきた。一方、集英社をはるかに凌駕するエンターテインメントの巨人Netflixは、何十ものアニメ作品に直接資金提供したが、時代を象徴するレベルのヒット作を一つも生み出せていない。
このことは、「日本は本当に2050年を生きている」というミームのもう一つの側面を間接的に照らし出している。テック系自信過剰男性(techbro)や億万長者CEOたちの社会実験のための「課金制の培養皿」になっていない国に暮らすことには利点があるのだ。そうなっているのは、そうした連中が日本にはずっと少ないという事実にも一部起因しているのだろう。ウォーレン・バフェットが最近語ったように、日本の経営者は「アメリカの典型的な経営者ほど、自分の報酬に貪欲でない」。世界中のセブンイレブンを運営しているセブン&アイ・ホールディングスのアメリカ部門のトップは、2024年に4900万ドルの報酬を得ている。これは、日本の親会社のCEOの報酬のほぼ23倍だ。日本にはさまざまな欠点や課題があるが、少なくともCEOが一般人と別次元に生きているように感じない場所だ。
だからこそ、僕からのアドバイスはこうだ。日本のクリエイターたちは、これまでとまったく同じこと――まず自分たちのために創作して、グローバル市場のことは後回しすべき――を続けてほしい。それから、皆して、ガラパゴスを症候群として考えるのをやめるべきだ。なぜなら、グローバルな潮流からのある程度の隔絶と乖離こそが、日本の成功の秘訣となっているからだ。日本はもはや、グローバルな想像力における未来の標準設定ではないかもしれない。でも、そもそも未来自体が、かつてほど輝いていない。絶え間のない崩壊的変化の時代にあって、テクノロジー戦争に参加しないことは、症候群というより、賢明な戦略に思える。そして、これは間違いなく今の日本のグローバルな魅力の大きな一因となっている。日本はこれを認識して、この役割――スーパーガラパゴス受け入れ時るべき時なのだ。
〔タイトル直訳:スーパー・ガラパゴス〕
〔訳注;富野由悠季監督のインタビュー部分は、マット・アルト氏より提供されたオリジナルの日本語データに基づいている〕
[Matt Alt, “Super Galapagos” Pure Invention, Oct 23, 2025]
【著者紹介:日本のポップカルチャー研究家。1973年、米ワシントンDC生まれ。ウィスコンシン州立大学で日本語を専攻。1993-94年慶應義塾大学に留学。米国特許商標庁に翻訳家として勤務した後、2003年に来日。『新ジャポニズム産業史 1945-2020』が邦訳出版されている。】
〔本記事は、著者マット・アルト氏の許可の元に翻訳している。著作権等全ての権利はマット・アルト氏に帰属している。〕