タイラー・コーエン 「アンビバレント派宣言」(2013年6月21日)

アンビバレント派の痕跡は、世の中に一切残らない。だからといって、どこにも存在していないというわけではないのだ。 
画像の出典:https://www.ac-illust.com/main/detail.php?id=23630219

我らは、相反する考えや感情を同時に抱く「アンビバレント派」なり。言い争う二つの陣営のそれぞれの言い分が理解できないわけではないが、無人地帯で身動きできずにいる。己の正しさを信じて疑わない大勢の者たちに両側から挟まれるようにして。我らは、自分の名前も言えない。真っ向から対立する考えを同時に信じていると告白しようにも、まともに取り合ってもらえないからだ。対立し合う候補者全員に選挙で一票ずつ票を入れることができないからだ。 アンケート用紙を隈(くま)なく眺めても、「私は、これらの見解(相反する二つの見解)のどちらにも同意します」という回答欄が見つからず、問いに答えないか、「わかりません」と回答するか、歯を食いしばって無理矢理どちらかの見解に賛成するしかないからだ。それゆえ、我らアンビバレント派の痕跡は、世の中に一切残らない。だからといって、どこにも存在していないというわけではないのだ。

アンビバレンス(Ambivalence)というのは、相反する考えや感情を同時に抱く状態を指している。 接頭辞の「アンビ」(ambi)は「両方」という意味である。接尾辞の「バレンス」(valence)は、ラテン語で活力を意味するvigorに由来しており、何らかの対象に引き付けられたり、嫌悪感を抱くことを指している。ポジティブな活力(バレンス)が湧いてくることもあれば、ネガティブな活力(バレンス)が湧いてくることもある。両方が同時に湧いてくることもある。

混同されがちではあるが、アンビバレンスは、「無関心」とは別物である。アンビバレントな状態にあると、意見が何もないのではない。意見が過剰にあるのだ。アンビバレントな状態にある人は、ある問題に対する己の立場を明確にできずにいるのに、その問題に対して強い思い入れを抱いているかもしれないのだ。

・・・と語るのは、イアン・レズリー(Ian Leslie)。全文はこちら


〔原文:“The ambivalence manifesto”(Marginal Revolution, June 21, 2013)〕

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