近年、アメリカで経済的不平等への関心が大変高まっている。このことを考えると、高等教育、そして、アメリカで最もランクの高い大学が実はもはや階層流動性を高めるためのパイプとして機能していないという事実に、大きな注目が向くのは自然なことだ。例えばトマス・フランクは、授業料が過去30年間で1200%も上昇したことをしきりに嘆いている(この記事やこの記事)。しかしフランクは他のアメリカの論者たちの多くと同様、もっと明白な問題を見落としている。アメリカのトップ大学がたとえ授業料をゼロにしたとしても、社会的不平等は減らせそうにないのだ。なぜならこの対処策は、学生数が少なすぎるというアメリカのエリート大学の最も根本的な問題に手をつけていないからである。
カナダ人は、国境の南側で子育て競争の過熱を嘆くアメリカ人の声を飽きるほど聞いている。子どもをイェール大学に入れたいなら、「充実した」保育が行える大卒のベビーシッターを雇い、早くからピアノやヴァイオリンのレッスンを始めさせ、良い私立校への入学を掴むために、競争率が非常に高い幼稚園に応募しなければならない。カナダ人の多くは、この事態をいささか奇妙に感じている。なんだかんだ言って、カナダで同格の大学(マギル大学やトロント大学)に子どもを入れたいとしても、子育てがそこまで大変になるとは思われない。
だがもちろん、イェール大への入学がこれほど難しいのには理由がある。イェール大は、人口3億1500万人のアメリカで、5400人の学生しか抱えていないのだ! 人口が3500万人のカナダで、マギル大が3万人以上、トロント大が6万7千人以上の学生を抱えているのとは対照的だ。つまり、マギル大生はカナダ人の1100人に1人はいる一方で、イェール大生はアメリカ人の5万8千人に1人しかいないのである。アメリカ人の人生がカナダ人より激しい競争に巻き込まれているとしても驚くにあたらない。
さらに言えば、アメリカの最上位の大学はどこも規模が小さい。下のリストは、U.S. News & World Reportのランキングでトップ10に入っている大学の学生数(恐らく学部生の数)を示している。
プリンストン大学:5336
ハーバード大学:6658
イェール大学:5405
コロンビア大学:6068
スタンフォード大学:7063
シカゴ大学:5590
デューク大学:6655
マサチューセッツ工科大学:4503
カリフォルニア工科大学:997
ダートマス大学:4193
つまり、人口3億1500人を抱えるアメリカで、ランキング上位10位の大学は常時、合計で62,150人の学生しか抱えていないのだ。一方で、こちらはカナダの上位3大学の学部生の概数である。
マギル大学:30000
ブリティッシュ・コロンビア大学:47500
トロント大学:67000
カナダのトップ3校は常時、合計14万4千500人の学生を教えており、これはアメリカのトップ10大学の総学生数の2倍以上である(実は、トロント大学の学生数だけでも、アメリカのトップ10大学の学生数の合計より多い)。アメリカはカナダの実に約9倍の人口を抱えているので、カナダと同じ規模で高等教育を提供するには、アメリカのトップ27校が合計で130万人の学生を抱える必要がある。
アメリカの大学のもう1つの際立った特徴は、すぐにでも学生数を数倍は増やせるほどの充実した設備を持っていることだ。私は今年の初め、プリンストン大学にいた。プリンストン大は、非常におしゃれな大学であることは別にしても、マギル大の恐らく3倍はある広大なキャンパスに、たくさんの建物が並んでいる。プリンストン大の物理的インフラから学生数を予想しろと言われれば、カナダ人の私は35,000人と答えるだろう。プリンストン大が5,500人以下の学生しか抱えていないというのはバカげている。そしてそのプリンストン大ですら、〔他のアメリカのトップ大学と比べれば〕それほどキャンパスが大きいわけではない。デューク大学は非常に巨大で、さながら広大なカントリークラブのようである。私見では、そうした大学は、5万〜6万ほどの学生をたやすく抱えることができる。
この問題の一因は、これらの大学が民間の非営利事業であることだ。非営利企業の問題の1つは、資本過剰(overcapitalized)になりがちなことである。非営利企業は支出をカバーするのに十分な収入を稼がなければならない。だが非営利企業には所有者も投資家もいないから、「資本コスト」を賄う必要はない。結果、資本がよい投資先に向けられているかを気にする人がいないので、時を経るごとに資本が積み上がっていく傾向がある。アメリカの豪奢な大学の周りを歩いていると、いつも「資本過剰」という言葉が私の心に浮かぶ。
物理的インフラにおける資本過剰よりもいっそう無駄に思われるのが、人的資本における資本過剰である。繰り返すが、アメリカのトップ大学の教職員は、現状よりも5~10倍の学生を苦も無く教えることができる。大学での講義には大きな規模の経済が働いているからだ。しかしアメリカのトップ10大学はそうはせず、最優秀層を集めて隔離し、アメリカの学生の大部分を締め出している。これは不幸な資源配分の失敗である。ハリウッドのスタジオが素晴らしい映画を作ったのに、チケットに5万ドル払える数千人の観客にしかその映画を見せなかったとしよう。これはビジネスモデルとしては実現可能だとしても、社会厚生の最大化という観点から見れば明らかに失敗だ。
過剰な人身攻撃は避けるべきだが、アメリカの不平等を巡る昨今の論争に参加している論客の多くが、上に挙げたリストに載っている大学の教職員であることは指摘しておきたい(ポール・クルーグマン、あなたのことです)。そうした論者がアメリカにおける不平等の緩和にコミットしていると目に見える形で示すための単純な方法の1つは、学生数を大幅に拡大させるよう〔大学側に〕求めることだろう。トロント大において私たち教職員は、過去5年間で2つの郊外キャンパスの規模を2倍に(それぞれ、7,000人から約15,000人に)することに成功している。アメリカのトップ大学は同じことを容易に行えるだろう。そうした施策を行わないなら、アメリカのトップ大学の基本的なビジネスモデルは教育上の配慮に基づくものではなく、レント獲得戦略であると暗に認めていることになる。
以下コメント
ジョン・フォレスト:教職員が今の「5~10倍の学生」を教えても、同じ質の教育を提供できるという根拠はなんなのでしょうか(これは修辞疑問ではありません。本気で答えが知りたいと思っています)。
もう1つ疑問が浮かびました。確かに、カナダのトップ大学と比べるとアメリカのトップ大学の学生数は少ないですが、アメリカには〔カナダよりも〕たくさんの「トップ大学」があります(言い換えれば、北米のトップ50、あるいはトップ100大学のランキングを作るなら、カナダの大学でランクインするのは2、3校だけで、トップ25%に入るのはトロント大だけでしょう)。なので、アメリカでは世界に通用するレベルの教育を受けるためにイェール大に行く必要はありませんが、カナダでそうした教育を受けるには、ブリティッシュ・コロンビア大、マギル大、トロント大のどこかに行かなければなりません(とはいえ、これは実際には人口規模に適した選抜度だと思います)。そこで、ブリティッシュ・コロンビア大、マギル大、トロント大の学生の総数と、例えば95位より(あるいはブリティッシュ・コロンビア大の順位より)上につけているアメリカの大学全ての学生数を比べたらどうなるだろうか、と思ったのです。
これは、アメリカの大学の一部(リベラルアーツカレッジ、アイビー・リーグ、私立の研究大学、宗教系大学、などなど)が、カナダの大学では(少なくとも同レベルの質では)絶対に得られない教育経験を提供していることも意味しています。なので、「カナダモデル」は提供される教育経験の均質化をもたらし、それは平等化の効果を持っているかもしれませんが、繰り返すように、それを改善と呼ぶべきなのか私には確信が持てません。
ジョセフ・ヒース:世界のトップ25大学、あるいはトップ50大学を取り出してみても、同様のボトルネックは依然として存在するでしょう。つまりそのリストで見てみても、カナダの大学は、アメリカの大学全てを合わせた学生数とほぼ同じくらいの学生数を抱えているでしょう。なぜなら、トロント大学は大抵トップ25大学にランクインしていて、かつ大変規模が大きく、少し〔ランキングに含める大学数を〕増やせば、ブリティッシュ・コロンビア大やマギル大も入ってくるからです。ランクインしているアメリカの大規模大学で最も上位につけているのはカリフォルニア大学バークレー校とミシガン大学(つまり、国立大学)ですが、どちらもブリティッシュ・コロンビア大より規模が小さいです。
しかしながら、ステータスと評判についてはより一般的な論点があります。アメリカのトップ10大学に入ることが重要なのは、その威信が大学名と結びついているからなのです。テキサス大学オースティン校や、ウィスコンシン大学マディソン校は、世界の大学のランキングでも上位にランクインし、それゆえ客観的には「トップ校」と見なされるかもしれませんが、そうした大学は現実にはアメリカで階層流動性を高める機能を果たしていません。プリンストン大卒業生とウィスコンシン大学マディソン校卒業生が1つの職を巡って競い合ったら、プリンストン大卒業生は明らかに有利でしょう。ようするに、「プリンストン大卒業生」の肩書を持てる人がごくわずかであるという事実は、社会を階層化させがちなのです。対照的に、カナダでは多くの人が「マギル大卒業生」とか「トロント大卒業生」とかという肩書を持てるので、それが差異化としてあまり機能しないのです。