●George A. Akerlof, “The cat in the tree and further observations: Rethinking macroeconomic policy”(VOX, May 9, 2013)
危機の予測という点に関しては、経済学者はダメダメだった。その一方で、危機が起きてからこれまでに試みられた一連の経済政策は、「経済を専門とする名医」の処方箋に近いものだったと言える。良い経済学も良識もこれまでのところはちゃんと機能している。あれこれと試してみて、成果も上がっている。このことは将来への教訓として胸に刻んでおかねばならないだろう。
IMFが主催した今回のカンファレンスでは、「マクロ経済政策の再考」がテーマとして掲げられた(IMF 2013)。私も参加させてもらって、多くのことを学ぶことができた。スピーチしてくれたすべての方々に大いに感謝したいと思う。ところで、全体の印象を何らかのイメージに置き換えるとしたら、どうなるだろうか? 誰かの役に立つかどうかはわからないが、大木によじ登っている猫というのが私の脳裏に浮かぶイメージだ。木の上にいる猫をみんなで見上げているのだ。 猫というのは、今回の大いなる危機のことを指しているのは言うまでもない。今回のカンファレンスでは、その愚かな猫をテーマにみんなで意見を出し合ったわけだ。どう取り扱うべきかについて。木の上から降ろすためにはどうしたらいいかについて。私がとりわけ感銘を受けたのは、「猫」に対するイメージ(「猫観」)が一人ひとり違っていて、意見が被ることがなかったことだ。とは言え、意見がうまく噛み合うことも時にあった。今回のカンファレンスを振り返ってみると、そういうイメージが浮かんでくるのだ。 今回のカンファレンスで交わされた討論は、大変有益なものだったと思う。なぜなら、どの「猫観」も独特だったし、それでいながらどれもが的を射ていたからだ。私の「猫観」はというと、哀れな猫が木の上にいて、今にも落ちそう。でも、下で見ている人たちはどうしていいかわからないでいる。そういう感じだ。
経済危機に関する私見
今回の危機についての私なりの考えを具体的に論じていくとしよう。「猫」の扱いはどれくらい上手くいったのだろうか? 他のみんながそれぞれ独自の観点から述べたことに私なりに少し違った角度から光を当ててみようと思う。
危機後のアメリカに分析を集中させるが、その結果は他の国にも当てはまるだろう。格好の論文がある。オスカー・ヨルダ(Oscar Jorda)&モリッツ・シュラリック(Moritz Schularick)&アラン・テイラー(Alan Taylor)の三人の大変優れた共著論文(Jorda, Schularick&Taylor 2011)がそれだ。この論文では、1870年から2008年までの間に先進14カ国で発生した景気後退が2つのタイプに分類されている。金融危機を伴う景気後退(financial recession)と、(金融危機を伴わない)通常の景気後退(normal recession)である。ブーム期における与信残高の対GDP比の違いに応じてその後に発生した景気後退の性質にどんな違いが見られるかが検証されていて、以下のような結果が見出されている。
- 金融危機を伴う景気後退は、通常の景気後退に比べると、GDPの落ち込みが大きくて、景気回復の足取りも鈍い傾向にある。それに加えて、ブーム期における与信残高の対GDP比が高いほど、金融危機を経た後の景気回復の足取りが鈍い傾向にある。
これまでについてはそうだったという話だ。過去のデータから見出せる傾向に照らすと、目下の危機についてどんなことが言えるだろうか? 「与信残高」をどう測るかによってその結果は違ってくる。
- 民間部門における銀行融資残高で「与信残高」を測ると、2007年以降のアメリカの景気回復局面におけるGDPの水準は、過去の似たような事例(景気後退に先立つブーム期における「与信残高」の対GDP比が同じくらいの過去の事例)での景気回復局面におけるGDPの水準の平均値を1%上回っている。
- 民間部門における銀行融資残高にシャドー・バンキング・システムを経由した信用残高を加えて「与信残高」を測ると、2007年以降のアメリカの景気回復局面におけるGDPの水準は、過去の似たような事例(景気後退に先立つブーム期における「与信残高」の対GDP比が同じくらいの過去の事例)での景気回復局面におけるGDPの水準の平均値を4%上回っている。
詳しくは、ヨルダ&シュラリック&テイラーの共著論文のグラフをご覧いただきたい。ところで、金融デリバティブの隆盛に伴って、「与信(信用)」(“credit”)をどう測ればいいかがよくわからなくなってきているのだ。
デリバティブがリスクヘッジのために利用されるようなら、金融市場がクラッシュした時にそのインパクトを和らげる働きをするだろう。例えば、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)の売り手ではなく買い手が債務不履行で破産するとしたら、CDSのおかげでその影響が和らげられるだろう。その一方で、デリバティブがギャンブルを煽るようなら、金融市場がクラッシュした時にそのインパクトを増幅する働きをするだろう。
2007年~2008年のアメリカではどうだったかというと、デリバティブは色々なかたちでギャンブルを煽っていたというのが通説だ。デリバティブが住宅ローンの評価の嵩上げに寄与したことを伝えるたとえ話としてよく持ち出されるのが、(カリフォルニア州の)セントラル・バレーで怪しげな相手に貸し出された住宅ローンがデリバティブによってひとまとめにされて、Aないしはそれ以上の格付けを得たというやつだ。怪しげなジャンク債でも高い格付けを得られたのだ。そのため、住宅ローンのオリジネーター(原債権者)は、借り手に頭金の支払いを求めなかったし、借り手の信用調査も行わなかったのだ。
投資銀行や格付け機関は、「受託者」(fiduciary)という信用ある立場を存分に利用して、新しいデリバティブを次々と編み出して、それらに高い格付けを与えていった。これらのことを踏まえると、2007年以降のアメリカの景気回復局面についての先の二つの評価は辛めということになるだろう。
政策の成否を測るベンチマークとしての大恐慌
2008年の秋頃における世間の認識も同じだったようだ。政府が何らかの対策を講じなければ、「大恐慌」級の不況がやって来るだろうと思われていたのだ。「大恐慌」が物差しになっていたのだ。「大恐慌」を物差しにして判断するなら、これまでに試みられたマクロ経済政策は、「グッド」というにとどまらず「エクセレント」という評価になるだろう。アラン・ブラインダー(Alan Blinder)も出色の一冊である『After the Music Stopped』で、まったく同じ評価を下している(Blinder 2013)。
そのほとんどが「名医」の処方箋に近かったのだ。具体的な例は、以下の通り。
- 2008年景気刺激法
- 保険大手のアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)への公的資金の注入
- ワシントン・ミューチュアル、ワコビア、カントリーワイドの救済合併
- 不良資産救済プログラム(TARP)
- 財務省とFedによる銀行のストレステスト(健全性審査)
- Fedによるゼロ金利政策
- 2009年アメリカ復興・再投資法(ARRA)
- 自動車業界の救済
- IMFが主導的な役割を果たしたG20ピッツバーグ・サミットでの合意内容に沿った国際協調
個人的に不満に思っていることが一つだけある。
- 政策の成否は、足許の失業率の水準で判断するのではなく、適当な物差しと比べて判断すべきなのだ。景気後退に先立つブーム期における金融面での脆弱性に照らして今回の危機と似ている過去の事例と比べて判断すべきなのだ。そのことを世間に訴えるべきだったのだ。
適当な物差しと比べると、これまでに試みられたマクロ経済政策は成果を上げていると判断できる。経済学者たちは、そのことを世間にうまく説明できていないのだ。とは言え、世間の人たちは、なかなか耳を貸してくれないかもしれない。マクロ経済学やマクロ経済の歴史を学ぶ以外にやるべきことをたくさん抱えているからだ。
しかしながら、これまでに試みられたマクロ経済政策が上々の成果を上げているのに気付くためには、ちょっとした良識を働かせるだけでいい。例えば、リーマン・ブラザーズが1ドルの赤字を計上していて、経営破綻に陥らないためには1ドルの黒字に転じるだけでいいとすると、ここぞというタイミングで2ドルの公費を投じれば、「大恐慌」級の不況を回避できてしまえる可能性があるのだ。わずか2ドルでいいのだ。堤防の裂け目を防ぐためには、指・・・ではなくて2ドルを突っ込むだけでいいのだ。
言うまでもないが、金融機関を救済するために実際に投じられた公費は2ドルでは済まなかった。その額は、最終的に数十億ドルに及ぶ可能性もある。しかしながら、金融機関を救済するために公費が投じられたおかげで、金融システムのメルトダウンが避けられたことは確かだ。金融システムがメルトダウンして「大恐慌」級の不況に見舞われていたとしたら、数兆ドルものGDPが失われていた可能性がある。数十億ドルの公費を投じるおかげで数兆ドルものGDPが失われずに済むとすれば、不良資産救済プログラム(TARP)の費用対効果は1対1000ということになる。費用対効果が1対1000というのだから、「堤防の裂け目に突っ込まれた指」という喩えを持ち出しても誇張じゃないだろう。
ブッシュ政権ならびにオバマ政権によって試みられた財政刺激策(2008年景気刺激法と2009年アメリカ復興・再投資法)は、費用対効果の面で見劣りするが、効果があったのは確かだ。政府支出の乗数効果は2くらいと推計されているが、直感的にも納得がいく。流動性の罠に嵌っているようなら、均衡予算乗数の値は理論的に1くらいで、実証的にもそのくらいと推計されている。租税乗数の値も同じく1くらいと推計されている。政府支出乗数は、均衡予算乗数と租税乗数の和なので、足して2だ。財政刺激策もだいぶ大きな効果を生んだのは確かなのだ。
結論
まとめるとしよう。危機の予測という点に関しては、経済学者はダメダメだった。その一方で、危機が起きてからこれまでに試みられた一連の経済政策は、「経済を専門とする名医」の処方箋に近いものだったと言える。いずれの政策もブッシュ政権およびオバマ政権の両政権によって党派の枠を超えて繰り出され、議会も支持したのだった。
良い経済学も良識もこれまでのところはちゃんと機能している。あれこれと試してみて、成果も上がっている。このことは将来への教訓として胸に刻んでおかねばならないだろう。
<参考文献>
●Blinder, Alan S (2013), After The Music Stopped, Penguin.
●IMF (2013), “Rethinking Macro Policy II: First Steps and Early Lessons”, conference, 16-17 April.
●Jorda, Oscar, Moritz Schularick and Alan Taylor (2011), “When credit bites back: Leverage, Business Cycles and Crises”, NBER Working Paper Series 17621, NBER.